異世界に天才現る
「そんな無茶な企画が通るわけないだろう!」
怒鳴り声が会議室に響き渡る。上司の額には怒りの汗が浮かび、机を叩く手が震えていた。
「これだから凡人は……」
浅倉礼音は、静かに、それでいて露骨に呆れたように言い捨てて会議室を後にした。ドアがバタンと閉まる音が、重たく響いた。
(結局、誰も僕の案の真価を理解できない。画期的なアイディアなのに)
愚痴をこぼしながら歩き出す。街は夕暮れ、ビルの隙間から橙色の光が差していた。革靴の先で道端の小石を蹴る。
「凡人に囲まれてちゃ、そりゃ革新なんて起こせるわけがない」
飛んだ石は、少し離れた工事現場の柵を越え、立てかけられた鉄骨にカツンと当たった。
ガランッ……。
不穏な音が響いた直後、その鉄骨が傾き、稼働中の重機のフロントガラスに直撃。
ガシャン!
「うわっ——!」
運転手が驚いてレバーを誤操作し、重機が隣の仮設壁に激突。
その振動で崩れた建材の束が、一直線に——。
「え……?」
浅倉礼音の頭上へと、音を立てて落ちてきた。
白い空間に、浅倉礼音は立っていた。自分が死んだことに、まだ気づいていないようだった。
「ふむ、ここがいわゆる“転生待機空間”というやつか」
そんな風に言いながら腕を組み、堂々と立つ。目の前には、無表情のまま彼を見つめる一人の女神がいた。
「……あなたは事故で亡くなりました。次の世界へ転生することになります」
「やはりな。僕のような人材が一つの世界で終わるはずがない。これは神の導き……もとい、世界の要請だな。事故なんかで僕という才能を失うことは、やはり看過できないか」
(その事故もあなたが元凶ですが……)
女神は無言でまばたきを一つしながら、内心でため息をついた。
「では、能力を授けます。希望をどうぞ」
「全属性魔法適性、剣聖の加護、アイテムボックス。それと、現代知識も維持で。あ、でも転生って記憶失うのか? いや、僕なら——」
「全部付与します」
(……強欲で傲慢……そして怠惰。ハズレね)
「……ふ、当然の判断だね」
「ただし、ひとつだけ。あなたが“転生者であること”は、この世界で絶対に知られてはなりません」
「了解。僕の隠密行動力を舐めてもらっては困る」
(いや、舐めてません。むしろ信用してない)
女神は何も言わず、レオンを光の中に送り出した。
【異世界・屋敷・セリス視点】
「坊ちゃま、ありがとうございます。洗濯物、きれいに乾きました」
「ふっ、この程度のこと、造作もないさ。何かあればまた呼んでくれ」
満足げにそう言い残して、レオン坊ちゃまはご機嫌にその場を去っていった。
「はぁ……坊ちゃまのあの自信は、いったいどこから来るのでしょう」
確かに洗濯物は見事に乾いている。だが、そのすぐ横の石壁が、一部黒く焦げていた。
(なぜ洗濯物を乾かすのに火属性の魔法を……風魔法の方が安全で確実なのに)
坊ちゃまなりに何か考えがあるのだろう。だが、毎回どこかを焦がされては堪らない。
(もっとも、今に始まったことではないし……もう諦めもついています)
そう言ってセリスは洗濯物を回収し、焦げ跡が目立たぬよう丁寧に掃除を始めた。
(今度こそは、坊ちゃまにきつくお灸をすえなければ。いつ屋敷が火事になるか分かったものではありません)
そう思いながらレオン坊ちゃまを探していると、彼の部屋からこんな声が聞こえてきた。
「……前の世界でも、僕は神童だったんだ。この世界でも女神に与えられた能力で無双してやる!」
「だが、女神から隠密行動をと言われているしな。どうしたものか」
転生者の伝承はお伽話として子供でも知っている。かつて姫を攫ったドラゴンを倒した勇者様が転生者だったという話もある。
(ご主人様に一応報告しておいた方がいいかもしれません)
そう思い、セリスは主の執務室を訪れた。
「旦那様、坊ちゃまのことで少し……」
「また何か妙なことでも言ったのか?」
「はい。『電子レンジで温めたい』とか『掃除機はどこだ』とか……あと、自分は“神童”で“前の世界”から来たと……つまり、自分は“転生者”だと……」
「……はは、またそんなたわごとを。本気にする必要はない。掃除のしすぎで疲れたのではないか?」
「いえ、私は正気です。坊ちゃまは確かに常人離れした力を持っています。魔法も剣も、誰よりも扱えている……才は本物です」
「だが、転生者ならばもっと家の役に立つこともできよう。言い伝えの勇者様は慎ましいお方だったという。家のバカ息子と一緒にしてしまっては罰が当たる」
「……まあ、もし本当に転生者だったときはセリス、君が助けになってやってくれ」
「はい、承知しました。坊ちゃまの才を見た者が、転生者だと疑われぬようフォローいたします」
「……転生者様があのような人だと知ったら国中は大騒ぎになるだろう。しかも今の王太子殿下は勇者の英雄譚が大好きだ。同じ転生者があれでは正気を失いかねん」
「まったく、やれやれだな……。セリス君、できるだけ騒ぎにならぬよう頼んだぞ」
「はい。私にお任せください。坊ちゃまの無自覚な爆弾発言の後処理も、これまで通り淡々とこなして参ります」
セリスは小さく肩をすくめ、静かに執務室を後にした。