由緒ある伯爵家のご令嬢は男爵家のイケメン嫡子からのうれしい求婚と家格の違いにやきもきとしているようです。
「ハンスはまだ戻らないの?」
ハイジは、執事であるハンスの帰りを今か今かと待ちわびていた。
アーデルハイト・フォン・シュヴァーベン。
ハイジとはアーデルハイトの愛称であり、ハイジは由緒ある伯爵家の長女である。
今から2か月ほど前、有力男爵家アスカーニエンの嫡子からプロポーズを受けたハイジ。相手の名はヴォルフガンク。社交の場に現れれば、彼を初めて見る女の多くは、息をするのも忘れてしまうほどの美男子であった。
下位貴族の令嬢たちは言うに及ばず、高位貴族のご婦人たちからも愛人となるように、数多の打診を受けるほど、自然な色気まで兼ね備えていた。そのくせ、身持ちは硬く、「彼がいったいどこの令嬢に求婚するのか(一説には男色であるという噂まで立ち、またその可能性すらも)」が賭けの対象となっていたほどだ。
「ああ、ハンス。早くヴォルフ様からの良きお返事を私の下へ…」
ハイジは、ヴォルフガンクからの最初のプロポーズを断っている。
帝国が誕生した頃より存在する、歴史あるシュヴァーベン家と新興のアスカーニエンとでは「家格」が釣り合わなかったためである。見逃すにはあまりにも惜しい眉目秀麗なヴォルフガンク。ハイジは固執しつつも、断腸の思いで、やんわりと「含みを持たせた曖昧な断り」の返事を入れていたのであった。
―― そんな中、事件が起こる。
アスカーニエンが寄子として遣えるシュヴァルツヴァルト辺境伯領の一人息子とその母親がまとめて事故死する。そこで、実は庶子として内密にアスカーニエンへと養子に出されていたヴォルフガンクが、シュヴァルツヴァルトの嫡子として、ふたたび辺境伯家に呼び戻されたというのである。辺境伯の庶子であったこともそうだが、まさに「寝耳に水」。辺境伯家は伯爵家よりも格上の存在。これにより「家格」の問題は消滅したのであった。
「お嬢様!たった今、執事のハンス様がお戻りになられました!」侍女のクララがハイジのいる部屋へと駆け込んできた。
◇
「―― で、どうだったのハンス!?」待ちきれず、目を輝かせながら玄関外まで執事を出迎えるハイジ。
「お嬢様……残念ながら……」肩を落とし、そう答えるハンス。
「え、どうして?ヴォルフ様に対する私の気持ちはちゃんと伝えたの?」
「もちろん、お伝えいたしましたが……」
「なら、なぜ!」
「帝国法では求婚に対する正式な返答は40日以内と定められており……しかも、お嬢様は一度……」
「そんなこと分かっているわ!でも、たった2か月の間に、あの誠実の貴公子・ヴォルフ様がお心変わりなされたとでも?!」
「ヴォルフガンク様におかれましては、すでに第二皇女であらせられるマグダレーナ様とのご婚約を成されたとの ―― 」
「はっ、何を言ってるの?マグダレーナってあのマグダレーネ様と……婚約?!……いったいどうなっているのよ??」
◇
「―― で、どうしてただ古いということしかない取り柄のない貧乏伯爵家の小娘なんかに求婚したの、ヴォルフ?」と、この帝国の第二皇女であるマグダレーネが、婚約者となったヴォルフガンクに問う。
「ああ、彼女がとても都合のいい相手だったからだよ」ニコリと、事も無げにそう答えるヴォルフ。
「都合がいいってどういう意味?」
「彼女は……ええと、アーデルハイト嬢だったかな。彼女にはすでに一度求婚を断った前科があるだろ。しかも同じ伯爵家であるビューロウの嫡子からの求婚を伯爵家としての歴史が違うという理由だけで一蹴したという」
「ええ、ほんと馬鹿馬鹿しい。ビューロウの方が領地も栄えていて実質的には格上ですらあるのに」
「だろ。だから男爵家の嫡子からの求婚なんて受け入れられるわけがない」
「あら、貴方わざと断られることを前提に求婚したとでも?」
「ああ、だからこうして君が釣れた」
「ほんと……つくづく嫌になる男ね、貴方って」
―― 茶番である。
ヴォルフガンクとマグダレーネはすでに数年来の恋仲にあった。誰にも知られることなく密会を重ね、お互いの尋常ならざる野心についても語り合うほどの親密な関係にあった。
「それにしても、よくオスカーとあのババァが都合よくまとめて死んでくれたものだ」含みのある笑みを浮かべながら、マグダレーネを見やるヴォルフ。
オスカーとは、シュヴァルツヴァルト辺境伯オットーと正妻であるテレーゼとの間に生まれた唯一の嫡子だった男の名であり、ババァとはテレーゼのことを指す。
「貴方って私とふたりきりなると、ほんとうに口の悪い男になるわね」
「君と僕との仲じゃないか。俺たちはふたりでひとつの一心同体なのだからさ」
ヴォルフは、オスカーとテレーゼの親子が事故死した背後にマグダレーネがいたことを確信している。ふたりの乗った馬車の崖からの転落は、事故として処理はされているが、当日彼らを王宮に呼び出していたのが、他でもないマグダレーネ本人であったからだ。
「そうね」マグダレーネ自身もウォルフに黒幕が自分であることを読まれているということは、重々承知していた。理解しあった上でのふたりの関係性であるからだ。
「貴方は貴方で、なぜ貴方の母父がトスカーナの先王であったことを黙っていたの?」
「いや、それについては俺も最近知ったことでね ―― 」
ヴォルフガンクの母は、シュヴァルツヴァルト辺境伯オットーの妾ではあったが、その出自は少々特殊である。母アンネローゼの母、すなわちヴォルフガンクにとって祖母に当たる人物。それは前皇帝フリードリヒの妹アレクサンドラ、そのひとであった。当時、すでに結婚していたアレクサンドラが「名も知らぬ異国の貴人」との一夜の不義によって生まれたのが、ヴォルフの母アンネローゼである。アンネローゼはアレクサンドラの夫であった公爵の手により、出生直後にシュヴァルツヴァルトへと引き渡され、そのまま成長し、「辺境伯の妾」となったというのが、ヴォルフガンクの出生のいきさつである。
「―― トスカーナの狼から連絡が来たのは昨年の冬のことだからな」トスカーナの狼とは、トスカーナの先王ベンガーリオのことである。アレクサンドラとの不義の頃には、まだ地方領主のひとりに過ぎなかった。だが帰国後、クーデターに成功し、トスカーナ地方の王となった。昨年、王位を息子のアレッサンドロへと譲り、今は先王というわけである。
「昨年にはもう分かっていたことなのに、どうして先月になってようやくリークしたわけ?」
「何事にもタイミングというものがあるだろ?」
本来、庶子でしかなかったヴォルフガンクが、高貴なる血のサラブレッドであることが判明したことは、嫡子を失ったシュヴァルツヴァルトに跡継ぎとして呼び戻される最後の決め手となった。
「だとしても、なぜ辺境伯は息子と妻を殺した黒幕が私であることを知りながら、貴方を跡継ぎとして戻すことに何ら抵抗することもなく同意したのかしらね?」
「ああ、辺境伯とあの婆さんとの関係はすでに冷え切っていたし、オスカーはオスカーで凡庸なザ・二代目、三代目みたいなやつだったから、伯の野心には到底器が足りていなかったのだろう」
「あら、なら正に渡りに船みたいな感じだったの?」
「こちらの秘密を握っている以上、彼もある程度は安心してこちら側に野心を示せるってものだろ」
「頼りにしてもいいのかしら?」
「オスカーはどうしようにもならなかったが、オットーは俺の実父でもある」
「そうね、裏切らなければ最終的にはそれなりの地位につけてあげても良いのかもね」
皇女マグダレーナの父である皇帝ルートヴィヒ2世には、男の世継ぎがおらず、3人の娘がいるのみであった。だが、ルートヴィヒは他国の王族から娘婿を迎え、新皇帝とすることに難色を示し、皇室典範を改正した。すなわち女帝誕生の容認を皇室法に組み込んだのである。
皇位継承権第一位、マグダレーナの姉ヒルデガルドも善性のひとではあるが凡庸などこにでもいるような皇女であった。
―― この後、いったい何が起こり、それはいったいどういった評価受けるべきこととなるのであろうか?
答えは、後世の歴史家たちに問うこととしよう。
連休中にふと思いついたネタがようやく完成。
4~5分で生まれたストーリーなのに、いざ文章にするとなるとまあ大変。
これまでエッセイしか投稿してこなかったので、とりあえずは短編でも書いてみるかと、個人的には未開の恋愛モノをここに上梓。
こんなもの恋愛小説とは言わない!と言われても、それはそうなのであれである(?)
処女作みたいなものなので、お手柔らかに感想や評価などをいただけると幸いです。
補足)ヴォルフガンクとマグダレーナは、筆者的にはお似合いのカップルに思えます。彼らは同じ方向性の野心を共有するという「運命の相方」を得ているので(後付け)