1回表「つまんねえ奴だな」ー③
「だから、止めた方が良いって言ったじゃん」
5杯目のお冷を飲み干した時に、秋月さんは悪戯な目線で笑っていた。
辛いモノは大丈夫だと高をくくっていたら、案外辛かった。 口の中が火傷したみたいにヒ―ヒ―し、我慢できずに何杯もお冷を飲み干した。
「もっと飲む?」
僕は頷いた。彼女はポットをもち、コップ一杯に水を注いだ。
「まさか、こんなに辛いモノだとはおもわなかったよ」
「でしょう? どの位なのか知らないのに、いきなり4を頼むんだから」
「確かに迂闊だったよ。 3にすればよかったよ」
「まるで、谷口君は中学生みたいだね。」
秋月さんはクスッと笑う。
「なんで?」
「だって、見栄張って辛いカレー頼むんだもん。 中学生の時って、ワサビつけて食べれるとかインスタントカレーの辛さで妙に自慢してなかった? ほら、回転寿司で、ワサビ抜きを注文しなくてもいいって皆に自慢したりしなかった? 自分の丈に合わないのに妙に大人になりたがってさあ」
「それって僕が子供って言いたいの?」
「うん。そうだよ。 でも、そんなところが可愛かったりするよ」
また、クスッと笑う。 その笑顔は、まるで、可愛い弟の面倒をみるお姉さん見たいだった。
「ふ~ん そしたら、秋月さんは大人っぽい人だね。 頭もいいし、性格も良いし、なんか話し方が大人っぽいし…」
「…でも、大人っぽいってみんな言うけど、自分ではそう思わないなあ~」
「え~なんで?」
「だって、私、ワサビはだめなんだもん」
※※※※※※※※※※※※※※※
補修最終日だったその日から、夏休みが終わるまで間、部活にはいってない僕は学校に行かなくなった。 補修が終わった以上、僕が学校に行く理由が無くなった。 もちろん、秋月さんにも将にも会っていない。
そして、日々、怠惰な生活を送るうちに、ただ悪戯に時間が過ぎ、夏休みは明けて行った
夏休みが明け、初日。 一ヵ月半ぶりに見るみんなの顔は変わっていた。
日焼けした顔や、茶色に染まった髪、思いっきり髪型を変えたりして、イメチェンを図った者、そして、将みたいな大して変わらん奴。
そんなクラスの皆は想い想いに満喫した夏休みの話をしていた。 隣のお嬢様学校の生徒と合コンしたりとか、海に行ったりとか、花火大会に行ったとか…
「おい、谷口。 聞いているのかあ?」
右隣に座っている川淵が聞く。 彼の顔は、日焼けしたみたいで顔が真っ黒だった。
「あん?」
「あん?じゃねえよ。 さっきから、お前、上の空だし…」
「ああ~ ちゃんと聞いているよ」
そうだ、そうだ。 さっきから、川淵っていうサッカー部の奴が一方的に、話しこんでいたなあ~
なんだっけ。 隣の高校の女子で海に行ったとかそんな事だったよな…そんなどうでもいいような事だったな。
「全くお前は… 谷口はどっかに遊びに行ったりしてねえのか?」
「学校の補修以外、何処にも行ってねえよ」
「おいおい、マジかよ。相変わらず、しけてるなあ~ 谷口の夏休みは」
川淵が半泣きして笑っていた。 何が面白くて笑っているのか僕には理解できなかった。
「そんなようだと、彼女の一人もつくれないよ」
川淵は薄笑いをした。 まあ、もっとも、こいつはモテるしスタイルもいい。しかも、何故かそこそこ可愛い彼女もいる。 そんな甘いマスクで女の子には受けが良いかも知れんが、男の僕にとってははっきり言って嫌いだった。 正直、この半スケベなじゃじゃ馬では合わないと思う。なのに、こいつは会えば、引っ切り無しに僕に話してくる。
「まったく、お前、顔はいいのに、そんな態度じゃあ~」
彼は何か言いかけたが、何を言ったか覚えてなかった。
聞き流していて、僕はまたクラスの様子を見た。 机五つ向こうでは、女子が集まっていた。 その中に秋月さんの姿が見えた。
最後に見た彼女と違い、肩まで髪をバッサリ切ってしまったようだ。
でも、僕と秋月さんの関係は相変わらずだった。 7月の終業式以来、僕たちの関係は全く変わってないように感じた。
夏休みの補修の帰り、昇降口で毎日、二人っきりで話していたけど、それも、きっと嘘だろうと思うぐらいだった。
夏休み前となんら変わらない距離感と関係だった。
また、将の付き合いが夏休み中盤から、少しばかり悪くなった。
将はシニアの時、僕と同じチームに入っていた。 僕が投の要だとするならば、将は、打や守の要だった。将を多くのスカウトは「天才的なバッター」と評し、諸手を挙げて彼を母校に入れようとした。
その中には、東京の帝荏や神奈川の栄大藤沢という古豪、また九州の雄とも言われた、鹿児島の薩摩実業も誘われた。
シニアの監督やコーチ・チームメイトといった周りの人間は、もっぱら、将が何処に行くのかが話題だった。地元の栄大藤沢に行くという、当てもない噂すら流れた。
どちらにしろ、将はどっかの強豪に行くのは当たり前だと思われた。
でも、周りの期待や興味の目を反して、奴はすべて断った。 そして、普通に高校受験をし、無名校と言われる公立の此処に来た。
「野球して飯を食っていけるのは一握りのみ。どうせ、俺の能力じゃあ、食っていける稼げねえ気がする」と奴は言うけど、野球を除くと、なんにも残らないような将がこう言うとは思わなかった。
そんな将は、この秋季大会から、三番サードとしてスタメンに選ばれている。 彼の実力なら、ベンチに座らせるのはオカシイし、当たり前の結果だった。 でも、そのためにみっちり練習が詰め込まれた。夏休み初めには、しつこいぐらいに毎日引っ切り無しにくる将からの遊びの誘いも、終盤になれば嘘のようにまったく来なくなった。
「全く、身体が持たないよ~ マジで~」
昼休み、グラウンド整備から返ってきた将は開口一番、僕にそう言った。
「はあ~ 眠いよ~」
「将。 お前は何時も眠たそうだよ。 授業中だって、何時も大きな欠伸ばっかりしているじゃん?」
「いやいや、今日は特別眠いんだよ。 疲れているし~」
「じゃあ、今日も睡眠学習?」
「そう…じゃあ、お休み」
そう言い、将は机の上で伏した。 次の授業は寝る気満々らしい…
僕も昔、将みたいな野球バカだった。 シニアの時、将と二人で頑張って、日が落ちても最後までグランドに残っていた。
僕がピッチャーで将がバッター。
僕が思いっきり投げて、将が遠くまで打つ。
僕が限界まで投げ、将は手の握力がなくなるまでバットを振る。
でも、今は違う。 将はバットを持っているけど、僕はボールを握るのを止めた。
僕はもうマウンドから降りたんだ。