第六十八話 覚醒の刻
『君が望むのなら、僕が代わってあげるよ』
頭に響く、女性の声。それはまさに悪魔の囁きだった。
絶望の闇の底に、垂らされた一本の糸。
つい反射的に掴みたくなる。――が、糸を持っているのは魔王アルゼスブブ。体を明け渡したら最後、どういう結末が待っているかわからない。分の悪すぎる賭けだ。
――『悪魔だって、使い方次第では人を幸福にします』
ポーラの予言が頭を過る。
あの時、彼女はこの時のことを予言したのだろうか……ユウキは頭の中で考えを巡らせるも、すぐに無駄な思考だと判断し、頭を振って前を向く。
「フェンリル!!」
ユウキはフェンリルを隣に呼び、両手で印を結ぶ。
「真価解放!!」
「がうっ!!」
フェンリルに大量の魔力がこめられ、体が巨大化していく。
「ワオオオォォォォン!!!!」
フェンリルの体躯は通常の五倍ほどになる。人間を丸呑みできるほどのサイズだ。
(たった10秒のみフェンリルを進化させる奥義! これで決める!!)
フェンリルはその成長した体で、凄まじい速度でシグマに向かっていく。
だが――
「遅い」
シグマは雷の鉤爪で容易くフェンリルを掻き裂いた。
「そんな……!」
「悪いね。俺は戦いが好きでさ、格下相手だとつい長く楽しむために手を抜いちゃうんだ。さっきまでは全然全力じゃなかったのさ」
「じゃあ……最初に出した雷獣も……」
「うん。アレが麒麟の全開じゃない」
シグマはゆっくり歩いてくる。
もはや目の前の少女2人に手札はない、そうわかっているのに……なぜだか一気に葬る気にはならなかった。
まだ、楽しめる余地がある……そんな予感がシグマにはあった。シグマは多くの強敵を屠ってきた。多くのユニークスキルを見てきた。その経験から、ユウキのユニークスキルにはまだポテンシャルがあると感じていた。
しかし、そこまで気が長いわけでもない。距離が3メートルまで詰まれば、確実に殺す。
猶予は彼が3メートルの範囲内に入るまでの、たったの7秒。彼がユウキに与える最後のチャンス。
(ダメだ……もう私には何も、手がない……!!)
アルゼスブブに頼るか、おとなしく死を選ぶかの二択。
どちらにせよ……悪に堕ちる道しかない。
(ダンザさん……助けて!!!)
ただ祈る。ユウキは貴重な7秒の内、3秒をダンザへの祈りに費やした。
(ダンザさん! ダンザさん! ダンザさん!! ダンザさんっ!!!)
あの人が来てくれれば――あの人さえいれば、こんな状況どうにでもなる。彼さえいれば。
(あ)
――『反対に騎士も、使い方を誤れば人を堕落させる』
またもこの窮地で頭に過ったのはポーラの言葉だった。
ダンザは強い。頼りになる。自分を助けてくれる。
だからと言って、彼にかまけて甘えていては、自分は成長できない。まさに堕落するのみ。
思考を巡らす。
ポーラの予言――騎士が自身を悪魔に導くとは、騎士、つまりダンザに頼りすぎれば悪魔に身を落とすことになる、ということではないか?
そうだとすると、悪魔が自分を天使に導くとはどういうことだろうか。
アルゼスブブに体を預けろということだろうか。いや、それだけは絶対にない。ユウキは断言する。それは地獄への道だ。
頭の中で予言を自分なりに解釈し、整理する。
・ダンザに頼るな。
・アルゼスブブの力を使え。
それが、天使になる道。人々を救済する存在になるための道しるべ。
ならば――
「……ふぅ……」
ユウキは前かがみになり、殺意に満ちた瞳でシグマを見る。
「!?」
シグマは野生の勘からすぐさまユウキより距離を取った。
後一歩踏み込んだら殺される。そんな予感が足を動かした。
「…………体内に封印されている存在の分身体を生み出すのが『自己封印』の力……ならば可能なはず……ただそのまま召喚しても制御はできない……私が制御できるサイズに縮小し、操ってみせる……」
ユウキは大きく空気を吸い込む。
(いつまでもダンザさんに守られる私じゃない!!)
才能はあった。
だがその溢れる才能を発揮する機会が、育む機会が無かった。
ユウキに過度な力を持たせぬようゾウマがユウキの才能を押さえつけてきたのだ。ユウキに教育を施した家庭教師の質は本邸付きの教師に比べたら下も下。ユウキは独学で足りない分の教養を埋めるしかなかった。しかし独学には限界がある。独学ではどうしても越えられない壁がある。
その壁をいま、ユウキは突破した。
ここ数日、カムラ聖堂院最高峰の教育を受け、更に以前、アルゼスブブという最強の召喚師が己の体を使ったことが大きい。ユウキはアルゼスブブとダンザの戦いを、夢という形で徐々に思い出しており、そしてその記憶からアルゼスブブの召喚技術を抽出することに成功していた。
覚醒の刻が訪れる。
「第0番……召喚」
ユウキは口から黒い煙を吐く。
煙は人の姿になる。
『……驚いたな。まさかこんな形で僕を使うとはね』
真っ黒な長い髪をした幼女。
黒いドレスを着ており、見た目だけでいえば大変可愛らしい。
だが、少しでも魔力感知のできる者ならこの娘を可愛いなどとは決して思わないだろう。それだけ異質で歪な魔力と空気を纏っていた。
最凶最悪。
そんな言葉が似合う、忌々しいオーラ――
「これはこれは……君ぃ、一体なにを召喚した!!?」
シグマは思わぬ強敵の出現に歯を見せて笑うも、その表情には戸惑いと畏怖が滲んでいた。
ユウキが召喚した者、それは最強の魔王。
アルゼスブブ(幼女ver)である。
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