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冷たい男  作者: 織部
1/8

神事

冷たい男と言う触れた触れた物を凍らせてしまう主人公のホットファンタジーストーリーです

"冷たい男"と彼は町の人達から呼ばれていた。


 親しみを込めて。


 生まれた時から彼の身体は冷たかった。

 冷たすぎて子宮から出た途端に取り上げた助産師の手が悴み(かじか)、分娩室の温度が3度下がった程だ。

 低体温症かも⁉︎

 医師は、看護師たちにお湯を準備してするように告げた。

 今までの経験からそんな症状では説明出来ないと医師も感じながらもそれしか対処方法が思いつかなかった。

 結果として診断は間違っていた。

 彼を震える手でお湯に浸けるもすぐにそれは水へと変わった。それも氷を落として何時間も経ったような冷却水に。

 そして医師たちは気づいた。

 

 これは低体温症などではなく、彼に取って正常な状態なのだ、と。


 凍えるように冷たい以外に彼の症状にはなんの変化もなかった。

 脈拍も正常、血圧も正常。

 その他の面でも何の問題もなし。

 直接、母乳として挙げられず、極熱の哺乳瓶(そうしないと口に触れた瞬間に氷水のようになってしまうから)からミルクをあげないといけない以外は、食欲も旺盛で体重も平均よりも大きいくらいだ。

 つまり彼は健康優良児として生まれたのだ。

 そして一週間後、彼は無事に退院。

 一歳半検診も3歳児検診も体温が異様に低く、素手で触れた人を凍えさせてしまう以外は何の問題もなかった。

 両親は、彼を溺愛した。

 多少、育てにくい面はあったものの、部屋の中では厚着して、料理を作る時は熱々にし、触れる時は手袋を付ければ問題はなかった。


 彼を愛することにそんなことは障害にもならなかった。


 そんな彼を町の人間たちも受け入れてくれた。

 それほど大きくない、自然豊かな町だったことも幸いしたのかもしれない。

 小学校にいっても虐められることなく、勉学や遊びに励み、町内会のイベントにも参加した。

 手袋を嵌めれば友達とも触れ合えたし、厚着すれば周りを冷えさせることもないと、色々試行錯誤した結果分かったことも大きかったと思う。

 中学でも部活や勉強を楽しみ、高校にも進学し、無事に卒業して就職をした。

 就職した先は、葬儀屋だった。


 黒いスーツに身を包んだ彼は棺に向かってゆっくりと頭を下げる。

 棺の中には昨日亡くなった若い女性が眠るように横たわっていた。

 彼は、手袋を外すと女性の頬にそっと触れる。

 冷たくなった彼女の身体がさらに冷たくなっていく。女性の身体を包む白い布が糊をつけたように固くなり、棺の中が冷蔵庫のように冷たくなる。

 彼は、女性の頬から手を離す。

「これでご葬儀の日まで奥様のお身体は綺麗に保たれるかと思います」

 彼が優しく声をを掛けると亡くなった女性の夫は嗚咽を上げて感謝する。

 そして自分の手が凍傷になるのも構わず彼の手を握る。

「ありがとうございます!ありがとうございます!」

 夫は、何度も何度も感謝する。

 彼は、夫の手を心配しつつも小さく微笑む。

「どうぞ、奥様とゆっくり語らってください」


 彼が休憩室で熱々のお茶に口を付けようとした瞬間、乱暴にドアが開いた。入ってきたのはショートヘアの目の大きな可愛らしい少女だった。日に焼けた小麦色の肌が何とも微笑ましい。

 少女は、彼の名前を大きく叫ぶと大股で近づいてくる。

 彼女は、きっと彼を睨みつける。

「あんた今年もお社様のところに行くって聞いたけど本当?」

 何だそんな事か、と彼は胸を撫で下ろす。

 何か彼女を怒らせることでもしてしまったのか、と冷や冷やしていた。

「そうだよ」

「危ないから断りなさいって言ったでしょう!」

 少女は、怒りに目を釣り上げる。

 それが彼を怒っているのではなく、純粋に心配してのことだと言うのが伝わり、彼は微笑む。

「そうは言っても神事はやらない訳にはいかないでしょう?それに・・・」

 彼は、冷えて表面に氷の膜の張った湯呑みを置く。

 うっかりと手袋を嵌めるのを忘れてしまった。

「これってオレしか出来ないでしょう?」

 そういうと彼女も黙ってしまう。

 彼女も分かっているのだ。

 この神事が大切なことは。

 そして理解しているのだ。

 この神事は、彼にしか出来ないと言うことを。

「怪我して帰ってきたら許さないからね」

 少女は、目を逸らし頬を膨らませながら言う。

 その仕草があまりにも可愛らしく彼は思わず微笑んでしまう。

「善処します」


 そして神事の日。

 彼は町から少し離れた山の中にいた。

 何度も人が出入りしているのでそこまで険しいわけでもなく、道も開拓はされているのだがそれでも宮司の出立ちをし、草履を履き、背中に區を背負って登るのはきつかった。

 人よりも体温の低い彼でなければ汗だくになって脱水を起こしていたことだろう。

 彼は、背後を向く。

 町では今頃、祭りの準備をしていることだろう。

 昨年と一昨年とコロナ蔓延で出来なかったから今年は気合いを入れると張り切っていたのを覚えている。今頃、両親も町内会に駆り出されていることだろう。

 てんやわんやしている2人を思い彼は苦笑する。

 そして次に浮かんだのはあの少女。

 りんご飴一緒に食べるんだから早く帰ってきなさいよ!と言って送り出した彼女を思い出し、急ぐか、と區を背負い直す。

 それからさらに1時間登り、太陽が山の頂上に差し掛かった頃、ようやく目的地に着いた。

 岩をそのまま掘削して造ったような鳥居の奥にぽっかりと口を開いたような小さな洞穴があった。

 彼は、背負ってきた區を下ろして上げ戸になっている蓋を上に上げる。

 中から出てきたのはLEDの小さなキャンプ用ランタンと紫の風呂敷に包まれた長方形のもの、そして一升瓶だった。

 ランタンをカラビナと一緒に腰に引っかけてランプを付け、右手に風呂敷包みを、左手で一升瓶を抱えて洞穴の中に入っていく。

 洞穴の中は心地よいくらいに涼しかった。

 つまり常人には極寒と呼べるほどに寒かった。

 足を踏み出せば草履の下で霜が割れ、天井に張った氷柱は溶けることなく鋭い牙を剥き出しに、岩壁に張った氷はランプの光を妖しく反射させた。

 

 チッチッチッ


 小鳥の鳴き声が聞こえる。

 彼は、足を止める。


 チッチッチッ


 小鳥の鳴き声が近づいてくる。

 南極にでもいかない限りこの寒さで動ける鳥など存在しない。

 しかし、鳴き声はゆっくりと近づいてくる。


 チッチッチッ


 LEDが近づいて来た者を映しだす。

 羽毛のような光沢のある茶色い着物、結い上げられた髪、金銀の見事な装飾の施された簪、そして青白くも美しいラインを描いた顔、そして鋭い目・・・。そして小さく分厚い唇から溢れる小鳥の鳴き声。

 声は、この女が発していたものだった。

 彼女の姿を見て彼はにっこりと微笑む。

「お久しぶりです」

 彼に声を掛けられて彼女は泣くのを止める。

 その代わりに人の言葉を話した。

「もう1年経ったのかえ?」

 見た目は若く美しいのにその喋り方は町のどの高齢者もしないような酷く古臭いものだった。

「ええっ。今年も暑いみたいです。僕には分かりませんけど」

「温暖化というやつかえ?」

「よく知ってますね。そんな言葉」

「この山を登りにくる輩がよく口にしておるわ。毎年のように"暑い""暑い""温暖化だあ"ってな」

 極力、登山に来る者たちの真似をしたようだが、それにしては品があり過ぎて伝わってこない。

 彼女は、そんなやり取りを飽きたとはがりに踵を返す。

「ついて参れ。これから先は先遣(さきやり)の私がいないことには辿り着かんぞ」

 そう言って歩み出す。

 彼も何も言わずに付いていく。

 奥に行くに従って氷が分厚くなり、寒さが増してきている・・・ような気がするが、彼にとって寒さとはあまり意味をなさない。ただ、草履や風呂敷の上に霜が張ってるのを見ると寒いのだろう、とは感じる。

 彼女が歩みを止める。

 鋭い目をさらに細める。

「着いたぞ」

 そこは巨大な氷壁だった。

 全長だけで裕に山の頂上まで届きそうな巨大な氷壁は湧き出た清水のように透明でランプの明かりに照らされ、七色の光沢を放っている。

 その氷壁の奥に大きな影が見える。

 雪よりも白く、触れたら突き刺さりそうな鋭い毛、黒曜石を思わせる瞳、氷山のような巨大な牙、雄々しく立つ耳・・・。

 それは巨大な犬だった。

 巨大な氷壁すらも狭く感じるほどに巨大な犬がそこに鎮座していたのだ。

 犬は、じっと黒曜の目をこちらに向けている。

 しかし、それは彼も、そして彼女も映していない。

「今年も目覚めなかったようですね」

 彼は、首を上げて凍りついた犬を見る。

「目覚めたら困るわ」

 彼女も同じように見上げる。

「もし目覚めたらこの世は終わる」

「そんな怖そうには見えないですけどね」

 彼は、彼女の前に進み出ると一升瓶を置き、風呂敷包みをその横に並べる。しゃがんで風呂敷包みを解くと出てきたのは藤の花が描かれた漆塗りの三段重だった。

 一段目には昆布の煮しめ、川魚の佃煮、黒豆、綺麗に巻かれた卵焼き、おにぎり、栗きんとんに練り菓子。

 二段目には唐揚げ、ローストビーフ、マッシュポテト、コブサラダ、鮭のムニエル、ポーチドエッグピラフ、ガトーショコラとチーズタルト

 そして三段目には餃子、春巻き、焼売、ピータン、青椒肉絲、チャーハン、焼きそば、そして桃の形のあん団子。

 それらが規則正しい法則を持って並べられたブロックのような美しさを持って輝いていた。

 彼女は、お重に納められたご馳走を珍しげに眺める。

「また、見たこともない食べ物が並んでるな」

「せっかくだから和洋中味わってもらおうって婦人会の人達が張り切ってましたから」

「どうせ食べれもしないのに律儀なことだ」

「山神様へのお供物ですからね。それに・・・」

 彼は、彼女を見て笑う。

「一緒に食べてあげて下さいね。その方が喜びます」

 彼がそういうと彼女は驚いたように鋭い目を丸く広げる。そして恥ずかしそうに笑った。

「揶揄うのはいいから早く始めてくれ」

 そう言って首をぷいっと横に向ける。

 彼は、楽しげに笑って「了解です」というとゆっくり立ち上がり、両手の手袋を外す。

 そして愛おしい人の頬を撫でるように優しく氷壁に触る。

 彼の手と氷壁の間から冷気が白い煙となって溢れる。

 両の手を中心に霜が渦を巻くように広がり、氷壁を覆っていく。

「毎年聞いてますけど本当にいいんですか?」

「・・・ああっ構わない。さっきも言ったようにこの氷が割れたらこの世は終わってしまうからな。

 怒りが鎮まるまで眠ってもらうしかないのだ」

「何千年も冷めることのない怒りってなんなんですか?」

「・・・それは聞かない方がいい。聞けば二度と人間として生きたくなくなってしまう」

 そう言って鋭い目を閉じる。

 彼は、山神の顔を見る。

 鋭い怒りに唇を吊り上げ、牙を見せつけ、黒い双眸で睨みつける。

 何をすればこれ程の怒りを激らすことができると言うのだろうか?

 しかし、彼が思ったのはそんなこととは別のことだった。

「戻ってほしくないんですか?」

 彼女の肩が震える。

 顔が下を向く。

「大切な人なんでしょ?戻ってほしくないんですか?話たくないんですか?」

「・・・大丈夫だ」

 彼女は、顔を上げる。

 そして切なく微笑む。

「いつか必ず戻ってくるから」

 そう言って彼女は、再び顔を俯かせた。

 足元に凍らない雫が落ちる。

 彼は、目を閉じ、氷壁に当てる両手に力を込めた。


 花火が上がる。

 色鮮やかな大輪が黒い空を埋め尽くす。

 花弁が膨らんだ後に晴れた音が空気を震わすもそれ以上の歓声がさらに響き渡る。

 約2年ぶりの花火は街の人々は歓喜の声を上げ、涙していた。

 彼と少女は、神社の境内に腰掛けて花火を見上げていた。

 少女は、この季節にぴったりの藍色に朝顔が描かれた浴衣を着ていた。

 お世辞でもなくとても良く似合っている。

 そしてその手には約束通り、彼女の唇よりも真っ赤なりんご飴が滑らかな光っていた。

 ちなみに彼も宮司の出立ちを脱ぎ捨て、浅葱色の浴衣に袖を通し、その手には特性スープ焼きそばを持っていた。コンロから離れたというのに今だ溶岩のように沸騰しているスープ焼きそばを一口口に運ぶと途端に冷めて香ばしい焼きそばに変わる。

 彼に少しでも祭りを楽しんでもらえればと父と母を始め町内会のみんなが考えてくれた一品だ。


 人はどこまでも優しい。


 きっと山神もそのことを理解していつかは怒りを鎮めてくれるはずだ。

 そんなことを考えて小さく唇を上げる。

「何考えてるの?」

 少女が怪訝な顔をして尋ねてくる。

 可愛らしい顔。

 彼は、思わず笑ってしまう。

「人はどこまでも優しいなって思ったの」

「そうなんだ」

 彼女は、呟いてりんご飴を齧ろうとして、止める。

「どうしたの?」

 あんなに楽しみにしてたのに?と彼は眉を顰める。

 すると、彼女はりんご飴を彼の前に差し出す。

「食べて」

「えっ?」

「食べて!」

 少女は、がグイッと押し付けてくる。

 思わず頬にりんご飴が触れそうになる。

「ダメだよ。凍っちゃうよ」

「そんなのいいから食べて!」

 彼は、うーっと唸るもあまりに真剣な少女の訴えに負ける。

「食べれなくなっても知らないよ」

 彼は、小さく口を開き、りんご飴を齧った。

 その瞬間、少女も反対側に唇を押し付ける。

 彼の目が大きく見開く。

 少女は、そっと目を瞑る。

 花火が上がる。

 夜空を焼く閃光が2人の影を大きく伸ばす。

 影同士の顔が溶け込むようにりんご飴の影を飲み込み、お互いの口が重なるように映る。

 りんご飴の表面が凍っていく。

 彼は、思わず口を離す。

 りんご飴が境内の上に落ち、ガラス細工のように砕ける。

 少女の頬と唇が砕けたリンゴ飴よりも赤い。

 見えないが恐らく自分の顔もそうなのだろうと彼は感じた。

 人生で初めて身体が熱いと感じたから。

 少女は、恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに微笑む。

「冷たい」

 彼もそれに釣られるように微笑む。

「冷たい男だからね」

 幾つもの花火が舞い上がり、夜空を彩った。


                     了

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