097.デルヴェの中心へ
水の都デルヴェ。
網の目のように水路が張り巡らされた街の中心に、多数のボートがひしめき合っている一角があった。
しかも、ただのボートではない。武装した人間が多数乗り込み、物々しい雰囲気を醸し出している。
後ろ暗いところがなくとも。いや、だからこそ近付きがたい。
そこに、一艘の船が堂々と乗り込んでいった。
デルヴェでならどこにでもある、ただのボート。
しかし、乗員が普通ではなかった。
舳先近くに黒いドレスをまとったドラクルの姫が位置取り、その後ろに勇者と緑の聖女が控えている。そして、船を巧みに操っているのは神蝕紀の自動人形だ。
そのドラクルの姫――ミュリーシアが、黒い羽毛扇で口元を隠しながら光輝教会の戦力を値踏みする。
「ほう。よう、集めたものよな」
「多頭海蛇を相手にした後なのに、余裕がありますね」
「それだけ、神命が重たいということであろうの」
神殿で行われたミュリーシアの宣言も、それに拍車を掛けたことだろう。
しれっとその点を無視している。
「ご主人様、このまま進んでよろしいでしょうか?」
「ああ。頼む」
片手にだけ手袋をしたノインが船を操り、滑るように水面を進み綺麗な波紋ができる。
事前に言い含められていたのだろう、他のボートが場所を空けた。
ただし、完全に平和的というわけではない。
無言で、武器が抜かれることもない。だが、視線だけはどうしようもない。
魔族への殺意。
それに下ったように見える、勇者と緑の聖女への憎しみ。
敵対的な視線が突き刺さる中、しかし、まったく気にした様子はない。船は順調に進んでいった。
「来やがったな、トウマ……」
「ジルヴィオか」
トウマたちを出迎えたのは、灰色の髪の光輝騎士だった。長身だが細身で、騎士というよりは軽戦士や斥候のような武装をしている。
美形とは言えないが人好きのする笑顔は、降雨寸前のように曇っていた。
「天罰があるからって、本当に来るかよ。めんどくせえ……」
「天罰は、そこまで信じてはいないな」
「あ?」
「なにしろ、ジルヴィオに天罰が落ちていない」
トウマは真顔。
その代わりというわけではないが、一緒にいるレイナが大笑いした。
「確かに、そうですね。あはははは。ちょっとした罰を下したあたしたちより、神様が無能ってことになっちゃいますね」
「まあ、冗談だ。目の前で神託を下されたんだ。この神命に限っては、天罰だってありえるだろうと思っている」
「だが、怖がっちゃいないってわけか」
「“魔族”――ネイアードに会いたくて来たようなものだからな」
ジルヴィオが、嫌そうに。本当に嫌そうにため息をついた。船がわずかに沈む。
「あー。酒飲んで寝てぇ。ついてきな」
愚痴とは別に身振りで指示を出し、船が先へ進む。
ノインの巧みな操船で追随すると、すぐに目的地へ到着した。
日本にあったトンネルよりも大きな、地下水道の入り口。
その目の前に、一際目立つ船があった。
いや、船が目立つのではない。
トウマたちと同様、乗員に起因する。
ヴァレリヤ・イスフェルト。船の主が、否応なく人目を引くのだ。
「来ましたか」
殺気とまではいかないが、ヴァレリアは重く静かな威圧感で招き入れた。
間に立つジルヴィオが顔色を変えるが、トウマはそれを平然と受け止める。
「ああ。来ない理由はないからな」
「雨だったら、来なかったと思いますけどね」
トウマの背後から、レイナがちらっと顔を出す。
上品とは言えない揶揄に、ミュリーシアが黒い羽毛扇で口元の緩みを隠した。
「しかし、随分と集めたものよの」
周囲を睥睨し、赤い瞳を光輝騎士団の副団長へと合わせる。
「モンスターに手ひどくやられ、モルゴールでも兵を失ったのであろう? 見栄を張るために、集める必要はあるまい?」
「見栄も張れなくなったら、お終いでしょう。たとえば、形振り構わずにアンデッドを送り込んで防衛するとか」
「うむ。まったくその通りじゃな」
ヴァレリヤの青い瞳が、ミュリーシアを射抜く。
まるで、モンスターでも見ているかのように。
「なんじゃ? 肯定されて意外か? 自分から皮肉っておいて?」
「魔族とは相容れない。それを改めて確信しただけです」
「狭量なことよの」
当然と言うべきか、ミュリーシアはまったく意に介さない。完全に本音だったからだ。
「まあ、良い。この先に、ネイアードがおるのじゃな?」
「はい。あなた方を鏖殺するための罠ではありません」
「律儀に言うことはなかろうよ」
くくっと、人が悪そうにミュリーシアが笑う。
それを、ヴァレリヤは完全に無視した。
「この神命が終わるまでは、一切手出しをしません。我らの神に誓って、絶対に」
「終わった後はどうなるのだ?」
「神の御心にそぐわぬ場合は、今まで通りです」
風が吹き、ヴァレリヤの金髪が美しく舞った。
しかし、表情は変わらない。
トウマは殺し、レイナは奪還する。
その考えに変わりはないと言うかのように。
「あたしにも拒否権はあると思うんですけど。この世界に呼ばれたときとは違って」
「最悪でも、現状維持ということだろう」
「ならば、見事異界の神の歓心を得た場合はどうなるのかの?」
「……そちらの行いを認めることになるでしょう。非公式に、ですが」
始めの頃、ミュリーシアと語り合った国の要件。
そのひとつにして、最後の課題が他国からの承認。
謀らずして、それが得られるかもしれない。
「そいつは、美味しいボーナスだな」
「そう甘いものでもないと思うがの」
「ですよ。そもそも、あたしたちは一度騙されているんですからね」
「ああ。だから、二度目には気をつけるさ」
「……確認事項は以上ですね? 出発しましょう」
ヴァレリヤが前を向き、船を出させる。
その号令に従い、船が地下水道へと乗り込んでいく。
トウマたちの船は、集団の中腹。周囲を、光輝教会に囲まれる形で進むことになった。
少し進むと、当然ながら太陽の光が届かなくなる。
船の舳先に取り付けられた篝火が周囲を照らし、予想よりもずっと広い水路を進んでいく。
意外と、悪臭はしない。もちろん無臭ではないが、耐えきれないというわけでもなかった。
「ノイン、漕ぎ手を任せることになってすまない。よろしく頼む」
「いえ。私めが適任でございますので」
「悪いですけど、センパイかミュリーシアが漕いでたらノインも落ち着かないでしょうから」
「……光輝騎士、なんの用じゃ?」
鋭い誰何の声。
トウマは、ぴたりと後ろについている船の存在に気がついた。
「オレだって、好きで近付いているわけじゃねえ。護衛兼お目付役だよ」
「ジルヴィオか……」
「ならば、後ろではなく前に行くが良い」
「へいへい。精々、肉の壁になってやるよ」
言われたとおり、ジルヴィオが船の位置を入れ替える。
護衛や監視役という言葉に嘘はないのだろう。声が届く距離を維持している。
「この地下水路は、デルヴェができる前からあったそうだぜ」
「そうなのか?」
「ああ。で、都合よく使ってるってわけだ」
「いきなり世間話とか……」
レイナがきっとにらみつけるが、暗いためジルヴィオには届かない。
「使う? 確かに水路は便利だが、埋め立てたほうが利便性は高くなるんじゃないか?」
「いいや、ゴミやら汚水を流してるんだよ。大雨が降っても、満ち潮になっても溢れたりしねえ」
「……つまり、この水路は下に流れ落ちているのか」
そして、その先にネイアードという種族の住処がある。
ミュリーシアが言った通り、劣悪だろう環境。そこに好んで住んでいるというわけだ。
「ああ。もっとも、底にたどり着いたやつは一人もいねえがな」
「その記憶を持つ者は、であろう?」
薄暗い中、ジルヴィオが肩をすくめる気配がした。
「変なモンスターが沸いたり、害獣が住み着くもんで定期的に処理をしてるんだが……」
「意図せずネイアードと遭遇して、なんとか記憶を保って戻ってきたわけか」
「うちの戦力も、捨てたもんじゃねえだろ? それで、めんどくせえことになったわけだがな」
ジルヴィオらしい言い種に、トウマは思わず笑っていた。
命を狙われ。実際に、危害も加えられた。危ないところを、ミュリーシアに助けられた。
なのに、変わらないジルヴィオに心を許しそうになる。
忘れていたわけではない。
ただ、考えないようにしていただけなのだろう。
「人の心は複雑だな……」
「あたしのことだけ見てれば、変なことを考えずに済みますけど?」
「レイナでなくても良かろう」
その時、前方から騒ぎ――怒号が響いてきた。地下水道全体に、不気味に反響する。
「お、なんか出たみてえだな」
「モンスターか」
目をこらすように、険のある瞳を前方に向ける。
無意識に、船底に横たえていたレッドボーダーに手を伸ばしていた。




