096.ネイアードという種
「無事のお戻り、祝着至極に存じます」
神殿を出て、ハイアーズ商会が手配してくれた隠れ家へ戻る。
水の都デルヴェらしく水路から直接入ることのできる扉があり、トウマたちは船ではなく空を飛んでそこへと到着した。
待ち受けていたノインが、瀟洒に一礼すると迎え入れてくれる。
「監視や追跡は、ございませんでしたか?」
「あったかもしれないですけど、ついて来れたとは思えないですね」
レイナが、口元を手で押さえて目を伏せる。普段の飛行がままごとに思える猛スピードと旋回の々に、気分が悪くなってしまったようだ。
いつにない様子に、ノインの声が少しだけ震える。
「奥様、気分が優れないようですが……」
「なにか……飲み物を、ください……」
「商会からの差し入れに柑橘類がございましたので、ジュースにいたしましょう」
「ノイン、悪い。俺とシアの分も頼んでいいか?」
「承知いたしました」
きびきびと。同時に、使命感に満ちた様子で台所へと移動するノイン。その後ろ姿を眺めやりながら、トウマたちは居間に入る。
実質的にカティアが用意してくれた隠れ家は、寝室が三つに10畳以上の広さの居間がある。
隠れ家というとあばら屋のイメージがするが、少なくとも内装はまったく異なっていた。
位置や権利関係は秘密のベールの向こう側でも、内装や快適さに手を抜くことはなかったようだ。
「すまなんだ。少々気が立ってしもうた」
「まあ、結果として尾行を振り切れたんだし。そんなに、気に病む必要はないだろう」
「……ですね。貸しにしておきます」
レイナがミュリーシアを指さすと、綺麗にグロスが塗られた爪がトウマの目に入る。
「落ち着いたみたいだな」
しばらく使われていなかったが、ノインの手により清掃は完璧に行われていた。
居間のソファでくつろぎ、多少は気分が良くなったのか。レイナの顔色は、元に戻りつつあった。
「それにほら、センパイとの子供がお腹にいると体が変わって吐き気がしたり酸っぱいものが欲しくなったりするものですから」
「人を巻き込むな」
トウマが、隣に座るレイナの膝を容赦なく叩いた。
戻るのは顔色だけにして欲しい。
「なんですか、もー。相変わらず、冗談が通じないんですから」
「悪質すぎる」
渋面を浮かべて切り捨てると、レイナは身をよじって笑った。サイドテールの髪が、一緒に揺れる。
「シアをフォローしたいのなら、こんな冗談で紛らわせずに普通にやるように」
「そんなんじゃないですけど!?」
レイナがソファからがたりと立ち上がる。だが、ほこりひとつ舞わない。自動人形の掃除は完璧だった。
「あやつらの恥知らずで悪辣なやりように腹が立ったのは、事実ではある。じゃが、それを共犯者やレイナに見せるべきではなかった。許してくれぬか」
本物の銀よりも美しい髪を揺らし、ミュリーシアは頭を下げた。
トウマは、その美しさに。レイナは思い切りの良すぎる行為に目を丸くする。
「いや、俺たちのために怒ってくれたんだろう? 感謝するのは、こっちのほうだ」
「貸しにするって言ったんですから、謝らなくていいんですよ。ノインだって、戻って来るタイミングをうかがって困ってるじゃないですか」
「そういうわけではないのですが……」
否定はしているが、成り行きを見守っていたのは事実のようだ。
トレイにグラスを乗せたノインが、しずしずと居間に入ってくる。
「ありがとう、ノイン。少し冷やそうか」
「センパイ、便利ですね」
「ああ。開発して良かったと思っている」
トウマが《フェイク・コールド》のスキルで簡単にオレンジジュースを冷やし、それをノインが給仕していく。
冷えた飲み物で一服し、気分が落ち着くのを感じる。
グリフォン島のリリィも、甘い飲み物を喜んでいるだろうか。
そんな雑談に興じたくなる気持ちをねじ伏せ、トウマは光輝教会――ヴァレリヤ・イスフェルトとの会談についてノインとも情報共有を行うことにする。
「無事に戻ってきたけど、厄介なことになったみたいだ」
「厄介とは? なにがあったのでしょうか?」
ソファには座らず、いつでも動けるように立ったままにノインがアメジストのような紫の瞳をトウマへ向けた。
けれど、答えたのはミュリーシアだった。
しかも、忌々しそうに。
「ネイアード。その始末を、我らに押しつけようとしてきおった」
「……それは……敵側からすると、妙手でございますね」
「まったく賢しらな」
憤懣やるかたないようで、ミュリーシアの白い肌が紅潮していた。
しかし、レイナにその機微は分からない。
「で、ネイアードってのはどういう“魔族”なんですか? ノインは知ってるみたいですけど、有名ですか?」
「有名といえば、有名でございましょう。ただ、恐らくは悪い方向にでございますが」
「人を人と思わないような、邪悪な種族だったりするのか?」
「いや、そういう悪名ではないのう」
ミュリーシアが、黒い羽毛扇を軽く振った。
「ネイアード。厳密には、“魔族”とは言えぬ種じゃな」
「それは、聖魔連合に参加していないからか?」
「それだけではないが、それもある」
光輝教会からすると、“魔族”というのは人間以外という意味でしかない呼称。
そして、彼らにとって人間以外は異界の神に従わぬ悪である。
一方、魔王――聖魔王を頂点とする“魔族”側からすると対異境の神の同盟に不参加の種族は同族とは言いがたい。
「どっちつかず。行き場がないわけか……」
「昔話のコウモリみたいな感じですね。鳥と動物の両方にいい顔をして、結局破滅したっていう」
「それとも違うのが、いかにも厄介なところでのう」
羽毛扇で口元を隠して表情は見えないが、ミュリーシアの赤い瞳には苛立ちが浮かんでいた。
「共犯者にレイナよ、同情するなとは言わぬ。じゃが、あやつらネイアードは妾たちとは相容れぬ生き物なのだ」
「人とも“魔族”とも異なると?」
「うむ。かといって、モンスターというわけでもない」
「謎かけですか?」
「いや、そのままの意味じゃな」
ミュリーシアがぱちんっと羽毛扇を閉じ、残ったオレンジジュースを一息で飲み干した。
テーブルにグラスを置き、赤い瞳で周囲を見回す。
「ネイアードの容貌は醜怪。陽光を忌避し、汚穢を好む」
「それは、差別的なあれでそういった環境に追いやられたというなんじゃないですか?」
「否、ネイアードはこういった環境に自ら好んで身を置いているのだ」
「まったく、別の価値観を持っているということか。仮にグリフォン島への移住を勧めても、余計なお世話でしかないと?」
「うむ。妾の先祖も対話を試み、失敗したというからの」
「価値観の違い……か」
自分たちの考える快適と、彼らのそれは違う。
明るいほうが快適だと、モグラを地上に引っ張り上げるのはただのエゴ。棲み分けていた両者が出会っても、不幸になるだけ。
「シアと気が合うという時点で、かなり奇跡的なことだったんだな。もちろん、ノインともだけど」
「そうですよね。宇宙人とどれだけ会話できるかっていうのと、同じことですもんね」
「そうだ……な」
「なにか含みがありそうですね? なにを考えているんですか?」
「なにも」
時折、レイナの考えていることが理解できないことがある。
トウマは、賢明にもその点に関して触れることはなかった。
「しかし、今回はそれが神命となっているわけでございますね?」
「頭が痛いのは、そこよ」
羽毛扇で額を軽く叩き、ミュリーシアが大きく息を吐く。
「連中の言によれば、このデルヴェの地下にネイアードが発見されたそうじゃ」
「隠しきれなくなったということで、ございましょうか?」
「であろうな」
腕を組み、胸が強調され、レイナの瞳からすんっと光が消える。
しかし、それを斟酌している場合ではない。
「住民に知られたら放置もできぬ。かといって、殺すのも簡単ではない」
「そうなのか?」
「ネイアードには、目を合わせただけで記憶を奪われるという伝承がございます」
「地下暮らしでも、目はあるんですね」
レイナが妙なところで感心しているが、問題はそこではない。
記憶がないということは、他にどんな特性があるか憶えていないということになる。
なにをするにも情報が必要なのだが、それがない。
厄介さに拍車がかかるが、トウマは肩を落とさない。むしろ、背筋を伸ばして仲間たちを見回す。
「ともあれ、方針は変わらない。まずは、対話する。それからだ」
「そうは言うがの……」
「果たせないと、天罰ってのが落ちるんだろ? それに、あんな派手な登場をしたんだ。できないのは仕方ないにしても、無理だから帰りますというのは、ちょっとな」
「む、むむむ……」
冗談めかしたトウマの言葉に、張本人であるミュリーシアが言葉に詰まる。
「まあ、あれはあれで爽快でしたから別にいいんですけど」
「そうだな。光輝教会にばれてしまったのなら、もっと広い範囲に知らしめるというのは目から鱗だった」
「僭越ながら、陛下。ご主人様と奥様の身を案じるのは同じでございます。その上で、私め微力ながら全身全霊お手伝いいたします」
「そうじゃな。そのために、同行したのだからの」
黒い羽毛扇をぱっと開いた。
紫電清霜。その表情からは、憂いがさっぱり消えていた。トウマが好きな、自信に満ちあふれたミュリーシアだ。
「どうせ、光輝教会の連中も無理だと高をくくっておろう。そこに、妾たちの力を見せつけてやろうではないか」
立ち上がり、堂々と宣言するミュリーシア。
もちろん、それに反対する声はどこからも出なかった。




