089.宰相の帰還
「島が見えてきましたね」
「懐かしの我が家、だな」
「あたしは、まだそこまでじゃないですけど」
ワールウィンド号の舳先に、トウマとレイナが並んで立っている。
この船旅が快適ではなかった……というわけではない。けれど、トウマの表情は自然と柔らかいものになっていた。
「まあ、神都の光輝教会なんかよりはずっと愛着があります」
海風に揺れるサイドテールを押さえながら、レイナも目を細める。
トウマはなにも言わず。離れもせず、少しずつ大きくなっていくグリフォン島を眺めていた。
「センパイ……。島の上に、なにか飛んでません?」
「飛んでいるのなら、鳥だろう」
「案外、ミュリーシアが気付いたのかもしれませんよ?」
「まさか」
まだ、リリィに念話で到着を伝えてもいない。
その前に、しかもミュリーシアが察知する道理はない。あり得ない話だ。
「そんなの、シアが俺の帰りを待ちわびてるみたいじゃないか」
「いや、まあセンパイがそれでいいならあたしはなにも言いませんけど……」
「トウマさん、そろそろボートへ移動しましょう」
「ああ。今、行く」
ヘンリーに呼ばれて、トウマが踵を返した。
その後ろで、レイナが「あっ」と声をあげる。
「……さっきの、センパイがいればどこでも大丈夫ですって言ったほうがポイント高かったのでは?」
「それを口にしなければ、もっとポイント高かっただろうな」
「ふふっ。もちろん、冗談ですよ?」
しかし、レイナの緑がかった瞳は笑っていなかった。
「わざわざ、出迎えありがとう」
「トウマーーーー!」
グリフォンの尾。今はまだなにもないが、北の沸騰湾とは異なる穏やかな海岸。
上陸用のボードに乗り換えてグリフォン島へ帰還した直後、真っ先にリリィが突進してきた。
「まったくもう、まったくもうなのですよ!」
「悪かった。でも、後ろが支えているから少し落ち着いてくれ」
重さはないが、首にまとわりつかれるとさすがに歩きにくい。
「む~。反省の色が見えないのです」
リリィはほっぺたを膨らませ、それでも一旦離れた。
トウマがボートから飛び降り、砂浜を歩く。
それに、レイナやヘンリーの配偶者であるカティアが続いた。
「あら。なかなか良さそうな島ではない」
「ボクとしては、もっとおどろおどろしい感じでも良かったけどなー」
「住むほうの身になってくれ」
上陸を果たしたカティアとベーシアの暢気な感想に反応をしたところで、トウマがスケルトンシャークを解放した。
「ありがとう」
ねぎらいの声をかけると、ボートを引いていたスケルトンシャークが骨の尾びれで水を叩いて沖へと泳いでいく。
「相変わらず、マイペースな人ですね。人ではないですが」
なんとなくスケルトンシャークを見送っていると、再びリリィが飛び込んできた。
「トウマ! 心配したのですよ!」
「すまない。いろいろあったんだが、まずは新しい仲間を紹介させてくれ」
「仲間なのです?」
「ああ」
まず、好奇心を抑えられずにきょろきょろする老婦人に歩み寄る。
「彼女は、カティア。ヘンリーの配偶者で、ハイアーズ商会の……黒幕か?」
「隠居よ」
「隠然とした権力を持ってるという意味ですね、はい」
ヘンリーが、可憐な顔に疲れたような表情を張り付ける。のろけなので、トウマとレイナは軽くスルーした。
「それから、草原の種族のベーシア。宮廷音楽家としてスカウトした」
「やあ! 建国記とか国歌とかバリバリ作っちゃうよ!」
「こんなにちっちゃくて、大丈夫なのです?」
「ちっちゃくないよ! ちっちゃいとしても、ボクは立派な成人男性だよ!」
「子供ほど、自分は大人だっていきがるのです」
「にゃにおー」
早速、リリィがベーシアと意気投合していた。
「あらあら。まあまあ。ほんと、ヘンリーにそっくりだわ」
「ノインさんが私にそっくりというよりは、私がノインさんにそっくりというべきですけどね」
「トウマ様にお仕えする、自動人形のノインでございます。お見知りおきを、カティア夫人」
「まあまあ、まあまあ」
愉快そうに手で口元を隠し、カティアの顔のしわがさらに増える。
「聞いてはいたけれど、ここはすごい国ね」
「なにこれ、蒸気猫じゃん! さすがのボクも見るのは初めてだよ」
「ニャルヴィオンなのですよ。特別に乗らせてあげるのです!」
老婦人と、そっくりな顔をした小柄なメイド二人。
戦車と猫が一体化した蒸気猫と、それに乗る子供のような草原の種族と子供のゴースト。
さらに、それを取り囲む30体のゴースト。
光輝騎士が見たら、卒倒しかねない光景。
けれど、これがアムルタート王国だった。
そんな中、ミュリーシアは一人所在なげに佇んでいる。
「まったく、世話が焼けますね」
レイナが、トウマの背中を押した。必要以上に力が入っていたのは、レンタル料金のようなものだろう。
「シア、会いたかった」
「共犯者……」
西施捧心。普段のミュリーシアとはかけ離れた、弱々しい声。潤んだ瞳で、トウマを見つめる。
なぜ、こんなことになっているのか。
ミュリーシア本人にも分からない。
確かなのは、トウマがレイナに背中を押された勢いのまま近付き。
そして、抱きしめたことだ。
「きょ、共犯者!?」
トウマの体温。
トウマの吐息。
トウマの存在。
ダンジョンを潜っていたら巨大ロボットが出てきたような急展開に、ミュリーシアは思わず頬を染めた。
「不本意ながら、あたしも会いたかったですよミュリーシア」
「なんじゃと?」
ミュリーシアは真顔になった。
「さては、またなにか厄介事に巻き込まれたのだな?」
「ああ。その辺は、“王宮”へ戻ってからにしよう」
トウマが、ミュリーシアを抱きしめていた手を離す。
ただし、ミュリーシアの目は見ず。いや、見れずに。
「私めは、先に戻っております。皆様は、ニャルヴィオンで移動を」
瀟洒に頭を下げ、ノインが踵を返す。
優雅とさえ言える所作。
それなのに、小柄な和装のメイドの姿があっという間に遠くなる。
「あれ、どういう仕組みなんですか?」
「俺に聞かれても困る」
「じゃあ、ドワーフの変態技術ってことにしましょうか」
軽く地霊種ドワーフを貶めてから、ニャルヴィオンの背中に乗らせてもらう。
乗客が六人になっても、蒸気猫に支障はない。軽快にキャタピラが音を立てて、グリフォンの尾からグリフォンの心臓へと移動していく。
その途中でトラブルも発生せず、ゴーストタウンに到着。
久々に戻ってきた、アムルタート王国の首都。
寂れた街に、見慣れない設備があった。
施設というのもおこがましい。柵で囲っただけの空間。だが、その中にいる生き物が問題であり疑問の種だった。
「……なんだあれ? マッスルースターがどうして?」
「まさか、飼育してるんですか?」
「うむ。家畜にしようと思うての」
「よく大人しくしてるな」
あの狂犬のような性質は、トウマも理解している。ジュラシックパークが必ず崩壊するように、簡単に飼えるようなマッスルースターではなかったはず。
「言い聞かせたからのう。といっても、連れて来たのはつい今さっきじゃがな」
「トウマたちが帰ってくるのが早くて、アムルタート様の祭壇までは間に合わなかったのです」
「言い聞かせてどうにかなる相手ですか? 確かに、どうにかなっちゃってますけど」
「祭壇は、いいアイディアだな。心のよりどころは、そのうち必要になるだろうし」
「うむ。そういえば、捕まえたマッスルースターが雌ばかりだったのじゃが共犯者はなにかしらぬか?」
突然の疑問に、トウマが指を組んで考え込む。
「動物は、雌だけでも子供を残せるように変化することがあるって聞いたことがあるな。単性生殖だったか」
やはり、祖父と一緒に見たドキュメンタリーだろうか。
哺乳類以外の動物では、自然界でそういったことが起こることがあるらしい。というより、単性生殖できない哺乳類が少数派という扱いだった。
その時は、そういう生物もいるのかという驚きしか感じなかった。しかし、今になって思うと祖父もコミュニケーションを取ろうと考えていたことが分かる。
その手段が一緒にテレビでドキュメンタリーを見るというのも、不器用で微笑ましい。
「あたしは、ほとんど記憶にないですね」
「玲那は、興味なかったんだろう」
そのときは、自分の部屋にいたかスマートフォンでもいじっていたに違いない。祖父の心、孫知らずだ。
「こうして役に立つのだから、共犯者の勤勉さが正解だったわけじゃな」
「異世界に行くこと前提で、普段から行動なんかしませんよ。どれだけ痛い人ですか」
「はい! ボクは異世界行くこと前提で生きてるけど、痛くないよ!」
「それ、痛みを感じてないだけじゃないですか?」
ほどなくして、“王宮”に到着した。
表面上は顔色を変えないカティアと、好奇心で一杯のベーシアを連れて円卓の間へ帰還。
「おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
トウマにだけ見えるよう、花のように微笑んだノインがハーブティーをサーブしていく。
石を削り出したとは思えない、薄いカップだ。
「すごいね。石文明だ」
ベーシアは遠慮無く石の椅子に座る。席が足りないので、なぜかカティアはヘンリーを膝に乗せた。
祖母が孫を可愛がる……というには、やや苦しい光景。
それを目にしたトウマが、おもむろに口を開く。
「まあ、いいか」
「スルーはやめません!?」
「取り締まる法がない」
「くっ、確かに……」
ヘンリーが納得したところで、トウマは皆を見回す。
そして、結論から告げることにした。
「光輝教会から。いや、異界の神から神命というのを受けた」
「神命でございますか……」
「よもや、よもやなのです!」
「これはまた、盛大に予想外の方向から切り込まれたのう……」
反応は、三者三様。
しかし、厄介事なのは間違いないようだ。
それでも、トウマは引くつもりなどなかった。




