087.帰りを待ちわびて
「その意気やよし!」
グリフォン島の東部、グリフォンの翼と呼んでいる区域。
今のところ、森林資源と動物性たんぱく質の供給地となっている森林地帯。
その森に広く分布する凶暴なニワトリが、マッスルースターだ。
「クケー! クケケケケー!」
威嚇するように翼を大きく広げ、目を血走らせて獲物へと迫る筋肉質なニワトリ。むしろ、筋肉そのものと表現すべきかもしれない。
「相変わらず、負けん気が強いというかなんというか」
その殺気を真っ正面から向けられているミュリーシアに、焦りの色はない。ただ、黒い羽毛扇をゆらゆらと揺らしている。
感心しているのか。あきれているのか。
その口調からは区別ができなかったが、やることは変わらなかった。
「コケケケケ! コケー!」
果敢に。あるいは、無謀にも向かってくるマッスルースター。
それに気圧されるはずもなく、ミュリーシアが羽毛扇で目隠しをして突撃をひらりとかわす。
「これ、おとなしくせい」
そして、入れ違い様にその首をつかんだ。
「コケー! コケー! コケー!」
当然、マッスルースターは全身をよじって暴れる。だが、ドラクルの姫は動じない。
「あまり暴れると、首が潰れかねぬぞ?」
「コケェ……」
とんとんと、閉じた羽毛扇で頭を叩かれマッスルースターがうな垂れる。
言葉が通じたわけではない。ただ、その迫力に押されただけだ。もしかすると、敗戦の将は生殺与奪の権を預けるべきと考えたのかもしれない。
「さて、もう何匹か欲しいところだの」
マッスルースターの思考など斟酌せず、ミュリーシアは赤い瞳で周囲を睥睨した。
目的は、肉ではなく卵。正確には、毎朝産ませる。そのマッスルースター家畜化計画のためには、一羽ではとても足りない。
「クケー! コケケケケー!」
「よう、出てくるのう。森の王者というわけでもなかろうに」
間髪を入れず出てくる、次のマッスルースター。
都合はいいが、思わずあきれてしまう。
だからといって、先ほどと同じくやることは変わらなかった。
一回毎に難易度は上がっていくはずだが、ミュリーシアには関係ない。
数分後には、生け捕りにしたマッスルースターが二羽になっていた。
「とりあえず、今日はこれくらいで良かろう。あまりに数が多すぎても、ノインが管理に困るだろうからの」
「…………」
海側へ行くという狩人のゴーストと別れ、ミュリーシアはリリィと一緒に“王宮”への帰路についていた。
空を飛ぶ二人の背景から、グリフォンの翼が急激に遠ざかっていく。
「リリィよ、いかがした? なにやら、難しい顔をしておるではないか」
「おかしいのです」
「確かに、マッスルースターは雌鳥しかおらぬというのは奇妙に感じるのう」
グリフォン島の空を飛ぶミュリーシアが、両手を軽く回す。
その手には、二羽ずつマッスルースターが握られていた。
当然、すべて生きている。
それなのに、マッスルースターたちは大人しくしていた。いつもの狂犬のような暴れっぷりを見ると違和感しかない。
敗軍の将として、大人しくしているだけではない。
ミュリーシアを強者と認め、服従しているのかもしれなかった。
「こういうとき、共犯者がおればなにやら理屈をつけてくれるのだがの」
「そう、トウマなのです!」
ミュリーシアの横を飛んでいたリリィが正面に回り、深刻な表情を近づける。
「共犯者が、どうしたと言うのじゃ?」
「トウマが、デルヴェ名物をぜんっぜんっ食べないのです」
「ふむ……」
背中から黒い翼を生やしたミュリーシアが、動きを止めた。
上空の強い風を受けても、その場から微動だにしない。
明眸皓歯。傾国の美貌を羽毛扇ではなくマッスルースターで隠し、赤い瞳を海の方へ向ける。
「つまり、共犯者たちはワールウィンド号から外に出ておらぬ。そういうことになるわけだの」
トウマたちが出港してから、すでに5日。
とっくに、交易都市とも水の都とも呼ばれるデルヴェへ到着していなければおかしい頃だ。
「トウマが約束を破るはずがないのです! なにかあったに違いないのです!」
「じゃが、一日三食食べてはおるのであろう?」
「それは確かにそうなのです……」
唇を突き出し不満そうだったが、リリィは認めた。
ということは、トウマは。そして恐らくレイナやヘンリーも無事ということになる。
「でも、代わり映えのしない食べ物ばっかりなのです。たまに、お魚も出るくらいなのです」
「そうか。妾の釣り竿を使っておるようじゃな」
いつもの黒い羽毛扇の代わりに、マッスルースターで風を送る。というより、気を使ってマッスルースター自身が羽根を動かしていた。
「奇妙ではあるが、心配するほどではあるまい。きちんと食べておるということは、どこかで補給を受けたということになろう?」
トウマは、そこまで大量の食料を持ち込んでいない。
デルヴェで補充する前提で積み込んでいた。特に節約していないということは、面倒事に巻き込まれていないはずだ。
主に食べ物の味で通じるというのも奇異に感じるが、出発点はそこなのでミュリーシアは気にしていない。むしろ、微笑ましい。
「むー。焦らされてる気分なのですよ」
「空腹ならば、兵糧も馳走になるというものよ」
「リリィたちは、常にぺっこぺこなのです!」
「おお、それはすまなんだ」
許せと言って、ミュリーシアは空を翔る。
銀糸のように美しい髪が、宙に躍った。
「許さないのですの!」
笑って、リリィが追いかけた。
トウマやレイナに気を使う必要がない、本気の飛行。
遠慮のない速度なら、ゴーストタウンは指呼の距離だ。
「おっと、このままでは通り過ぎてしまうぞ」
「目先のことに囚われていたのです」
「うむ。女王として、大局的な視野を持たねばならぬな」
追いかけっこにしてはシリアスな反省をしつつ、ミュリーシアとリリィが地上に降りる。
「おかえりなさいませ」
そこで、自動人形のノインが二人を迎え入れた。
「うむ、ご苦労」
「卵の元を連れて来たのですよ! ミュリーシアが!」
「共犯者が聞いたら、難しい顔をしそうな表現だの」
「レイナなら、笑ってくれるのです」
「違いない」
ノインは無言で。しかし、幼い相貌に懐かしそうな微笑を浮かべる。
「順調で良うございました」
「最初は、この程度の数から始めるのが適当であろう」
「ご配慮、ありがたく存じます」
優雅にすら思える所作で、綺麗なお辞儀をするノイン。
しかし、疑念は拭えない。
「飼育用の柵を用意はいたしましたが……。簡単に壊されてしまうのではないかと懸念いたします」
「心配するでないわ」
ノインとともに、“王宮”から少し離れた場所に用意された放し飼いスペースへと移動した。
そこにマッスルースターを放す。
「クケー! クケー! クケー!」
「ココココココココ」
先ほどまでの服従振りは、どこへ行ってしまったのか。自由を取り戻し、早速野生が蘇る。
威嚇の声を上げるだけなのは、惨敗の記憶があるからだろう。
慎重さは、知恵の証拠。
ただ暴れるだけよりは見所があると、ミュリーシアが口角を上げた。
「汝らは、我らがアムルタート王国の財産となった」
「家畜なのです!」
マッスルースターは、当然ながら答えない。
しかし、野生の眼でじっとミュリーシアを見つめている。
「卵を産み、雛を育て、この地に満ちよ。されば、繁栄を約束しようぞ」
赤い瞳が、マッスルースターたちを射抜く。
麻痺したように、動けなくなる。
「まあ……」
思いもしない真っ直ぐな説得に、ノインは両手で口を覆う。
まさか、これが通じるはず――
「返事は、いかがした」
「コケー!」
――通じた。
緊張から解き放たれたマッスルースターたちが、一斉に鳴き声を上げた。まるで、朝が来たかのように。
いや、この瞬間こそマッスルースターたちにとっての夜明けだったのかもしれない。
「これで良かろうて」
「もはや、じゅーじゅんな家畜なのですよ!」
「私めの知る家畜の飼育とは、まったく異なるのですが……」
「上下関係を叩き込んだだけであろう? ここから先は任せたからの」
ドラクルの姫らしく。そして、アムルタート王国の女王らしく、ミュリーシアは実務をノインに任せた。
小柄な和装のメイドも、それは望むところ。
瀟洒にお辞儀をして、受け入れた。
トウマが喜んでくれると思えば、気合いも力も入ろうというものだ。
「ミュリーシア! ノイン! 大変なのです!」
「いかがした?」
すみれ色の瞳を輝かせ、リリィが突然空を八の字に舞った。
「かりゅーどさんから、報告なのです!」
「ほう。狩人がの」
「海の向こうに船が見える――」
「ゆくぞ、リリィ」
「――のです!?」
最後まで聞くことはない。
ゴーストの少女と自動人形の手を取って、ミュリーシアが再び空の人になる。
「陛下……」
「うむ。ようやくじゃ」
上空から、グリフォンの尾――出港した海の方向を見る。
「船なのです!」
「で、あるな」
まだ小さく、海に浮かぶ点にしか見えない。
それでも分かる。
少なくとも、ミュリーシアには分かる。
あれは、紛れもなく幽霊船ワールウィンド号だった。




