081.商談にならない商談
「カティア……。もうちょっと、こう……って昔からそうだった……」
背景をあっさりと見抜き。それでも臆せず踏み込んできた妻の決断に、ヘンリーの眼鏡がずり落ちそうになる。
カティアの隣に立ち尽くし、ただ天を仰ぐのみ。
「ヘンリーを助けてくれた恩人が、儲け話を持ってきてくれたのよ? 隠居のわたくしが臆する理由がどこにあって?」
「儲け話とは、まだ言っていないはずだが?」
「でも、商売の話もあるのでしょう?」
カティアは、若い娘のように微笑んでトウマたちが持ち込んだ石の長びつへ視線を送った。
ミュリーシア謹製のそれには、沸騰塩・チョコレート・砂糖・ゴーストシルクなど交易品のサンプルが収納されている。
そして、あまりに重たいので底にレッドボーダーを設置して浮かせてここまで持ってきた。
だが、これはまだ説明していない。
「訳ありなのに、わざわざ来てくれたのだもの。儲け話だと分かるわよ」
「だが、儲かるとは限らないのではないか?」
「ヘンリーがいることが、その証拠よ」
「あの……。すみません、ほんとカティアお嬢様はこういう人でして……」
「ヘンリー?」
「あ、はいっ」
ノインから凜々しさが抜け落ちたヘンリーが、背筋を伸ばして直立不動の姿勢を取る。
「俺にも分かる。今のは、ヘンリーが悪いな」
お嬢様はない、お嬢様は。
そう、トウマはここぞとばかりに何度もうなずいた。
そんなトウマを冷ややかな視線で見つつ、普段よりもやや上品なレイナが感心したように言う。
「これくらいの女傑じゃないと、使用人との結婚なんて押し通せないってことですかね」
「そして、寡婦で商会を守り切ることも……か」
「いやね。守り切ってなんていないわ」
「……知らないこととはいえ、すまなかった」
「より発展させたのよ」
「すいません、トウマさん。うちの妻は、こういう人なんです」
「理解があってうれしいわ、ヘンリー」
困ったようなヘンリーに、カティアが艶然と微笑む。
若い頃は、さぞ引く手あまただっただろう。いや、もしかすると今でもかもしれない。
レイナは、視線で「これ、絶対カティアさんが補食したほうですよ」と言った。トウマは、「事実でも名誉毀損になるのだから、発言は慎重にするように」と返した。
「ともあれ、こちらはご心配なく」
カティアが、品の良い微笑みを浮かべて言った。
「ヘンリーは、ゴーストなのでしょう? だったら、光輝教会ぐらい敵に回す覚悟は必要だわ」
「…………」
「…………」
「…………」
突然の沈黙。対面のソファに座るカティアが眉を跳ね上げる。
それを見て、トウマは顔を変えていることを思いだした。
「すまない。そういうことなら、顔を元に戻してもいいだろうか?」
「顔を? ああ、顔を変えていると言っていたわね」
「スキルで、少しな」
「あ、あたしもです」
「ええ、わたくしは構わないわ」
カティアの了承を取り、トウマはスキルの効果を打ち切った。
といっても、手順は簡単だ。
「解除」
その一言で、トウマとレイナの顔が元に戻る。
「あー。なんだか、すっきりしましたね」
「あらあら。こんなに若かったの」
「話の腰を折ってしまってすまなかった」
「単なる秘密主義は減点だけれど、慎重に行動するのは悪いことではないわ」
まるで孫をほめるようにカティアが小さく拍手する。
しかし、その余裕は次の瞬間あっさり消え去った。
「まず、俺はトウマ・イナバ。光輝教会に召喚された勇者だ」
「あたしは、レイナ・ハタノ。同じく緑の聖女ってことになってます」
「勇者さまに、聖女さま……」
さすがに、そこまでとは思っていなかったのだろう。つぶやく声は固い。
だが、本番はこれからだった。
「そして、俺は死霊術師だ」
「死霊……ッ、だからヘンリーを……」
「はい。先ほどはぼかしましたが、私のご主人様のようなものです」
「だから、そんなかわいい格好なのね……」
「いや、それは違う」
トウマは、言下に否定した。
それだけでなく、険のある瞳で対面のカティアをじっと見つめる。
「分かっているわ。でも、トウマさん。それくらいのいたずらは、許されて然るべきでしょう?」
重圧に晒された老婦人は、上品に両手を挙げた。
「50年振りに再会した最愛の夫が女の子になって他の男をご主人様とか言い出したら、そりゃ嫌味のひとつも言いたくなりますよね。跳満です」
レイナが、順番に指を立ててカウントする。
そこまでの役は無いように思えたが、トウマはあえて反論しなかった。
「ともあれ、俺たちは光輝教会に使い捨てられ……とある場所に逃げ込んだ」
「そこで、国を作ろうとしているというのが前提ですね」
「国?」
意外な言葉に、カティアの上品な眉が上がる。
「ああ、俺は宰相で全権代理。女王は、ドラクルだ」
「勇者と聖女とドラクルが建てた国……。そうなると、ヘンリーは御用商人ということになるのかしら?」
「そうなるな」
御用商人どころか、他に商人はいないのだが説明する必要はないだろう。
トウマは、年齢をごまかしていたときと同じく鷹揚にうなずいた。
「新しい国だから、なにかと入り用なのは理解してもらえると思う」
「それで、貿易を求めているわけね」
「ああ。俺たちの国――アムルタート王国は、敵対さえしなければどんな相手も受け入れる」
「魔族でも? 人間の国でも?」
「光輝教会でもだ」
これにはさすがに、カティアも目を見開いた。
「とはいえ、光輝教会が俺たちに敵対しないとは思えないけどな。今のところは」
「現実的には、“魔族”側とも交流できたらいいなと考えてるって程度ですね。今のところは」
トウマとレイナのフォローも耳に入らない。カティアは、随分とかわいくなってしまった夫を凝視する。
「ヘンリー……。あなた、とんでもない拾い物をしましたね」
「どちらかというと、私が拾われたんですけど……奇貨でしょう?」
「ええ。奇貨は逃せないわ」
先ほどまでの気圧されたカティアは、もういない。
舌なめずりでもしそうな、獲物を前にした猛獣がそこにいた。
「トウマさん、カティアに見せてもいいですか?」
「ああ。そのために、持ってきたんだ」
解放されたレッドボーダーが、荷物を載せたまま宙に浮く。
そして、拗ねるように先端でトウマをつっつく。
「マジックアイテム? それも売り物かしら?」
「すまないが、命の恩人を売り物にすることはない」
「人ではないですけどね。いやでも、ファンタジーなんだから人化もありえないことじゃない?」
「それは普通にあり得ないと思うが」
しかし、盾のままでも人とカウントすることにトウマは違和感を抱いていなかった。
「それは失礼したわ。じゃあ、売り物というのはこっちね」
「ええ。今回持ってきたのはサンプル程度ですが」
メイドらしく、ヘンリーがてきぱきと商品をテーブルの上に並べていく。
ただし、ゴーストシルクは除いて。
「この壺の中身は、砂糖? 塩?」
「両方だな」
「味を見ても?」
「是非」
石のスプーン(ミュリーシア謹製)を不思議そうに眺めてから、カティアが順番に味見する。
「……なるほど」
ヘンリーとトウマが、その様子をじっと見つめる。
「悪くないわね」
文字通りの意味の他、これなら無理を通す必要がないという内容も含まれていた。
「ある程度の量を定期的に卸してくれるのであれば、取引の面目は立つわ」
「うちの国では、かなり重要な物資なんだけどな」
個人売買であれば充分。
しかし、国と商会の取引となると物足りないということになるようだ。
「それから、この見慣れない果実は?」
「カカオという実だ。このまま食べるのではなく、加工する」
「別にチョコレートで良くないです?」
「カカオ? チョコレート? 加工して、どうなるのかしら?」
「お菓子の原料になるんだが、食べると魔力が回復する」
「魔力が!?」
上品な貴婦人というパーソナリティをかなぐり捨てて、カティアはソファから立ち上がった。
「本当だから落ち着いてください、カティア」
「だって、そんなことがあるの? 聞いたことがないわ」
「この程度で驚いていたら、こっちには心臓が耐えられないかもしれません」
「は?」
眼鏡をかけたメイドが反物を差し出し、カティアは反射的に受け取った。
その手触りで記憶を呼び覚まされ、思わず呼吸が止まる。
「スターシルク……ゴーストシルク……ああ……。そう、そういうこと……」
「ちなみに、ゴーストが手ずから扱うと自在に加工できる。針も糸も使わず縫製したり、自由に模様を描いたりということもできるようだ」
「言い値で買わせていただくということでいいかしら?」
倒れ込むように、ソファへと戻る。
小細工も交渉もない。
全面降伏だった。
「こちらとしては願ってもない話だが、いいのか?」
「ええ、その代わりと言ってはなんですけれど」
と、前置きをしてからカティアは言った。
「わたくしも、その島へ連れて行ってくださらない?」
「あトウマさんこれ断っても絶対駄目なやつですよこれ」
カティアの遠慮のない要求。
句読点のない平坦なヘンリーの言葉。
どちらに驚くべきか、トウマは思わず真顔になっていた。




