080.この愛に誓って
「とりあえず、第一関門はクリアしたと思って良さそうだな」
「はい。でも、だからこそ気をつけないとですよあなた」
幽霊船ワールウィンド号にあったローブやチュニックを身にまとい、ハイアーズ商会のデルヴェ支店の敷居をまたぐことはできた。
品の良い調度が並ぶ応接室に通されたトウマは、30年近く老化させた顔をゆっくりと撫でる。
一方、小柄な和装メイドになったヘンリーは落ち着いていられなかった。ソファに座るトウマの後ろに控えて、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべている。
「まったく、お客様にお茶も出さないなんてなにを考えているんですか」
「突然来たんだから、仕方がない」
「要件も、商談ってわけじゃないですからね~」
「そういうところですよ。まったく、相手によって対応を変えるなんて言語道断です。どういう教育をしているんですか」
「こちらとしては、人事を尽くして天命を待つしかないな」
「かんしゃくを起こして、席を立つわけにもいかないですからね」
航海の途中、ヘンリーが用意した手記はすでに手渡している。
今頃、その中身を確認していることだろう。
あからさまな詐欺だと思われなければ、後日訪問して詳しい話を……となるはずだ。待遇に関しては、次回に期待だ。
「でも、商談に進めないと困るんじゃないですか、あなた(・・・)」
「いや、手記を然るべきところに渡せた時点で半分は終わったようなものだな」
交易はしたい。
したいが、できないと死ぬわけでもない。
失敗したら失敗したで、ミュリーシアも仕方がないと笑って迎え入れてくれるはず。
「……なんだか、どたどたと足音がしますね」
「詐欺師だとでも、思われたか?」
トウマが、腰を浮かしかける。
いきなり逃げ出しはしないが、その準備だけはしなければならない。
「はあはあはあはあはぁ……」
顔をしかめてしまうほど大きな音とともに、応接室の扉が開いた。
そこにいたのは、小柄な。それこそ、今のヘンリーと同じぐらいの身長の老婦人だった。
息を切らせながら、乱暴に扉を閉じた彼女の行動にトウマたちは呆然とすることしかできない。
「ごめんなさいね。それどころではないの」
形ばかりの謝罪をした彼女は、白い髪をひっつめにしてまとめ、手や顔には苦労の証であるしわが幾重にも走っている。
ただし、身につけている物は品が良く、雰囲気も凛としていた。
けれど、今は加齢でやや濁った瞳を血走らせている。
「あの……」
いち早く立ち直ったトウマが声をかけるが、無視されてしまった。
その横を素通りして、アメジストのような紫の瞳をしたメイドの両手をぎゅっと握る。
「あなたヘンリーね?」
「あ、うん……って、違います! まず、性別が違いますが!?」
ヘンリーが必死に取りつくろうが、無駄だった。
老婦人は、自動人形に憑依したヘンリーの顔をしわだらけの手で愛おしそうに撫でる。
「随分と待たせた挙げ句、可愛くなってまあ……」
「いや、あの……」
ごまかしきれない。
そう悟ったヘンリーが、しょんぼりと肩を落とす。
「これには、病むに止まれぬ事情があったというか……」
初手、作戦破綻。
「大丈夫よ。ここには他に誰も入ってこないし、わたくしも時間はあるわ。残りの寿命を考えたら、いくらでもとはいかないでしょうけど」
「あー……」
顔や手をがっしりと掴まれたヘンリーが、雨に濡れた子犬のような顔でトウマを見る。
見捨てるわけにはいかなかった。
「やむを得ないな」
こればかりは、誰を責めるわけにもいかない。
予想しろというのが、無理筋だ。
「話をさせてもらう。残念ながら、洗いざらいすべてとはいかないが」
「わたくしの立場を慮ってくれているのね?」
「……ああ。この顔も変えさせてもらっている」
老婦人が、目を見開き驚きを表現する。
しかし、なにも言わなかった。
トウマは鷹揚にうなずき、話を続ける。
「それで良ければ、話を聞いてもらえるだろうか?」
「ええ、もちろんよ。なにしろ、50年も前に別れた夫と再会できたのですから」
「ありがとう。では、夫婦二人で……とはいかないな」
ノインから瀟洒さが失われた小柄なメイドが、すがるような視線を送っている。
それに気付いたトウマが、ソファに深く腰掛けた。
「失礼するわね」
ヘンリーの手を引いたまま、彼女もトウマの対面に座った。
「名前も……とりあえず、名乗らないほうがお互いのためだと思う」
「その意志を尊重します。わたくしの名前は、ご存じでしょうしね」
「ああ、ヘンリーから聞いている。カティア・ハイアーズ。ミッドランズを股に掛けるハイアーズ商会の――」
「一人娘ではなく、元会長よ」
老婦人――カティアが、いたずらっぽくヘンリーに笑いかけた。
「まず、ヘンリーは航海の途中で海賊やモンスターに襲われ死んだ。その後、交易船と一緒にアンデッド……ゴーストになってしまった」
「……そうなのね」
話はできるが、愛する夫はとっくに死んでいた。
その事実を、カティアは噛みしめるように受け止めた。
しかし、それは半ば予期していたこと。
今は、それよりも続きが気になった。
「それで、その体は?」
「ゴーストのままでは、幽霊船から離れられなかった。そこで、自動人形を手に入れ依代にしてもらっている」
「別に、私の趣味というわけではないですからね。これしかなかったからですね。というか、この体も重たい過去があったりしますからね。勘違いしないでくださいよ!?」
「安心したわ」
「そこは、最初から心配していないわというところでは!?」
呼吸はしていないはずだが、生前の癖で肩を上下させるヘンリー。
カティアは、懐かしいものを見るかのように目を細めた。
本当にヘンリーなら、このあと真面目な話を切り出すはず。
しかして、それは現実のものとなった。
「ご本人はあっさりと省略されましたが、正気を失った私を解放してくれた恩人ですよ」
「こっちにも思惑があってのことだ。契約はしているけど、従属関係というわけでもない」
「なるほど。わたくしの夫は、最後の最後で良い絆を結べたようね……」
しんみりと、カティアが微笑んだ。
顔に走るしわが、《フォールス・マスク》で産みだしたのではない。本物の時の重なりを伝えてくる。
「次は、わたくしの番かしら? 本店は息子に任せて、隠居してデルヴェにいるのよ。もう、10年になるかしらね……」
「息子というのは、ヘンリーとの?」
「ええ。立派な跡継ぎになってくれたわ」
「そう……ですか……」
ヘンリーが、天を仰ぐように首を曲げた。
しばらく、誰もなにも言わないが……その空気を破ったのはトウマだった。
「それで、失礼ながら再婚は?」
「デリカシーっ」
レイナが二の腕を叩くが、トウマは動じない。
「いえ、あの……。私には聞きにくいことでしたから……。逆にありがとうございます」
「ふふ……。まあ、もったいぶるようなことではないわね。しなかったわよ」
「カティア……」
「ヘンリー以上の男なんて、いるわけがないでしょう?」
ヘンリーが、思いっきり顔を背けた。
してやったりと、カティアは笑った。
「なんですかこの、でこぼこ夫婦……」
「うれしいわね。そんなこと言われたことなかったら」
「ところで……。なぜ、ヘンリーだと分かったのだろうか?」
「一度添い遂げると決めた相手が分からないなんてこと、あるかしら?」
「なるほど、愛ですか。愛ですね」
「納得しがたいが、納得するしかなさそうだな……」
「もうちょっと疑ってくださいよ」
「そうね。商人というには、正直すぎるわ」
実際は、他にも手がかりがあったのだとカティアが言う。
「届けてくれた、あの手記ね。確かに、古い。ぼろぼろになっているわね」
「だったら……」
「でもそれなのに、肝心なところは読める。言いたいことはしっかり伝わるなんてそんなことあるかしら?」
「……これは、俺の失敗だな」
ウェザリング……。古く見せかけたのは、トウマのスキルだ。
けれど、せめて手記の形で想いを伝えてほしいという配慮が裏目に出た。
いや、驚くべきは冷静にそれを見破ったカティアの眼力か。
「それで、ヘンリーとそのお仲間の方々。そこまでして、わたくしに……ハイアーズ商会に渡りをつけようとした理由を聞かせてもらえるかしら?」
「カティア……。実は……」
「いや、いい。別の手を考えよう、ヘンリー」
トウマは、片手を上げてヘンリーを制した。
レイナも、反対はしない。
驚いたのは、カティアのほうだ。
「わたくしのことを頼ってきたのではないのかしら? 信用できない?」
「まさか。だからこそ、これ以上巻き込むわけにはいかない」
なにも知らせずに交易をしたのなら、言い訳もできる。
しかし、こうなっては光輝教会に目を付けられたらそれで終わりだ。そんなリスクを犯させるわけにはいかなかった。
「甘く見ないでちょうだいな――」
「――聞いてから協力できないでは困る。無理やりでも、協力してもらうことになるがそれでも?」
真剣で深刻な問いに、カティアは息を止める。
だが、それは一瞬。
「ええ、神に誓って」
「それは困る」
「ああ……。そういうことなのね……」
光輝教会絡みだと気付き、カティアはトウマの瞳をじっと見つめる。
引くなら今だ。
そう告げる彼の正直さに、若い頃のヘンリーを思い出す。
気付けば、言葉を紡いでいた。
「この愛に誓って」
絶対に裏切ることのない想い。
それは、彼女にとってなによりも重たい約束だった。
教会よりも、神よりも。




