077.海上の日々
すべての生命が生まれた、ミッドランズ。
異界から召喚されし平和の名を持つ神ナイアルラトホテップと、その信仰者たる人間たちが支配する土地。
その南に位置するのが、暗黒領域。
ミッドランズから追われた“魔族”たちの安住の地にして、広大な未開の大地が広がる大陸。
そのふたつの大陸の間に存在するのが、亀裂海。地球で言えば、地中海に当たるだろうか。
かつては、別の名で呼ばれていたであろう海。
神蝕紀の大戦により、今は文字通り亀裂が走っていた。
海の中央にできた巨大なひび。どんな大瀑布も比較にならない海の裂け目。
その激流に囚われたら、脱出は不可能。
亀裂海に落ちた水の行方は、誰も知らない。いわんや、亀裂に落ちた生き物がどうなるかなど。
その亀裂が、横一列にずっと刻まれている……というわけではなかった。
人類も、“魔族”も。すべてを把握などできないが、実際にはところどころつながっている部分が存在する。
しかし、それは通行できるということを意味しない。
亀裂に伴う海流の急激な変化や岩礁。そして、海のモンスターによって、事実上南北の行き来は不可能。
まるで、人間と“魔族”の関係のように。
グリフォン島は、その例外。
グリフォン島の周辺には亀裂がなく、海流も安定している。それはミュリーシアが空から確認済だった。
いわば、亀裂の真ん中に浮いた点。
今まで見つかっていない、南北をつなぐ細い糸の中心。
それが、グリフォン島なのだ。
「いろいろある島ではあるが、これは便利だなで終わらせていいのかどうなのか」
幽霊船ワールウィンド号に乗り込み、一夜明けて翌日。
トウマは、自分用の船室に地図や海図を持ち込みグリフォン島の位置を当てはめようとしていた。
しかし、上手くいかない。もちろん、トウマは素人だ。それに、今まで未発見だったのだから当然とも言えた。
「いいんじゃないですか? 困ることじゃないですし。それに、疑問や秘密がひとつやふたつ増えても今さらですよね」
「それを言われると弱い」
振り向くことなく、トウマは備え付けの机に広げた海図を整理する。
トウマとレイナにとっては、こちらの世界そのものが非常識。
それに比べたら、すべてが些細なことになってしまう。
「便利は便利ですけど、逆に言うと両方から攻められる可能性があるわけですよね」
トウマのベッドにうつ伏せで寝っ転がっていたレイナが、少しだけ真剣な表情をして起き上がる。しかし、ベッドからは離れない。
「そこは、攻められた時点で俺たちの負けだな」
「確かにそうなんですよね。水際で叩ければいいんですけど」
「違う。そういう意味ではない」
トウマはため息をついて、ようやく振り返った。
いつも通り制服を着崩したレイナが、罠に獲物がかかっているのを見つけた猟師のように笑う。
「やっと、あたしを見ましたね」
朝から行われた、ヘンリーの授業。
それが終わり、休憩時間になってレイナは間髪入れずにトウマの船室を訪れた。
しかし、トウマは一瞥もしない。
そこでレイナはトウマのベッドを占領し、足をばたばたさせて気怠い時間を過ごしていたのだ。
「幽霊船って、全然揺れないんだな」
まともに反応したら負けのような気がして、明後日の方向に会話のボールを投げた。
実際、ワールウィンド号はほとんど揺れていない。船酔もしなければ、割り当てられた仕事もない。
完全にお客さん状態だ。
「ええ、揺れないですね。それがどうかしましたか?」
「寝るときだけ、こっちを貸してもらえば良かったな……と思ってな」
「嫌ですよ。湯冷めするじゃないですか」
「確かにそうだが……。いや、同じベッドのほうが問題じゃないか?」
「あなたから手を出さなければ、問題は起こらないですけど?」
「それは……。絶対にないが……」
トウマは、船室に視線を彷徨わす。
ベッド、テーブル、チェスト。窓もない。10秒もかからず、視線は一周してしまった。
「駄目ですよ、あなた。あたしたちは、夫婦なんですからね」
「そういう設定だな」
「はい。設定です」
あっさりと首肯し、意味ありげに左手を持ち上げる。
その薬指には、トウマとお揃いの指輪。火口のダンジョンで発見したマジックアイテム、ワスプアイズが輝いていた。
「つまり、当事者以外にとっては事実ということになりますよね?」
トウマの目の前で足を組み直し、サイドテールに触れる。
「そう……なる……な」
ヘンリーが、事前にこの話をしなかった理由がよく分かった。
ミュリーシアが知ったら、こじれていただろう。
「お兄ちゃんなら、呼ばれ慣れてるんだが」
「夫婦でお兄ちゃん呼びは、ちょっと。アブノーマルなのが好みなんですか?」
「違うが?」
トウマは全力で否定した。
「なら、慣れるために会話を続けましょう」
「……一理ある」
トウマは正論に弱い。
その操縦法を、レイナが知らないはずがない。
「リリィたちがグリフォン島に来たのは、海に亀裂ができる前と後のどっちなんだろうな?」
「そう来ましたか」
とはいえ、会話の方向まで操作できるわけではなかった。
「興味がないか?」
「いえ。問題になるのは、前だった場合。つまり、あなたはグリフォン島が亀裂ができるほどの天変地異に巻き込まれなかったのは誰かが守ったからと言いたいのですね?」
素早く思考と感情を整理し、レイナは緑がかった瞳に知性の輝きを灯す。
「今まであの島が見つからなかった理由も、そこと関係してると思うんだけど……。まあ、根拠はないな」
「それに、今度はなぜあなたとミュリーシアがたどり着けたのかという疑問がクローズアップされますね」
「……やっぱり、その呼ばれかたはむずがゆいな」
「駄目ですよ、あなた。自然にしてください、あなた」
ここぞとばかりに、レイナが言い募る。
トウマは、肩をすくめることしかできなかった。
「まあ、ただの些細な疑問だ。このまま話を進めると、精霊アムルタートに導かれたっていうリリィたちの劇が真実だってことになるしな」
「あたしは、それわりと確率高いと思ってるんですよね」
「もしそうなら……。勝手に国の名前にして、怒られそうだな」
「商標権の侵害になるんでしょうか?」
精霊の商標権。
そのミスマッチっぷりに、トウマとレイナは顔を見合わせて笑う。
「じゃあ、別の話題にしよう」
「積極的でうれしいですね、あなた」
トウマの頬が、ぴくりと引きつる。
その箇所をもみほぐしながら、トウマは疑問を口にする。
「ミミックルートの根、あれはなんに使うつもりなんだ?」
「お、そっちに来ましたか。なにか気になることでも?」
「いや。あのあとすぐに、デルヴェ行きの話になって詳しく聞けなかったからな」
「そうですね。あたしも確認できてなかったですし、あなたの前でやってみましょうか」
レイナがベッドから立ち上り、走って船室から出て行く。
しばらくして、また足音を響かせて戻ってきた。その勢いのまま、ベッドに腰掛ける。
「玲那、狭いところで走るんじゃあない」
「もう、いちいちうるさいですね。あたしのなんなんですか」
「今は夫だそうだが?」
「DVで訴えますよ」
「DVで発言を封じるほうが、DVじゃないか……?」
正論はトウマに通じるが、トウマの正論はレイナに通じなかった。
都合の悪い話はスルーして、プラスチックと石の容器をふたつ掲げる。
「これは残り少なくなった貴重なグロスと、ミミックルートの根の粉末を入れた容器です」
「シアは、こんな小さな容器まで作れるようになったのか」
「そうなんですよ。あのつるはしで、グロスの容器と同じぐらいの大きさのを作るって頭おかしいですよね?」
「別に頭はおかしくないが……。米に文字を書く人みたいだな」
なにが面白かったのか、突然レイナが身を仰け反らせて笑った。
「笑わせないでくださいよもう、あなた」
「そんなつもりはなかったが」
「まあ、いいですけどね。じゃあ、実験するので見ていてください」
ネイルの容器にミミックルートの粉末を注ぎ、ふたをしてベッドの上に置く。
「魔力を10単位。加えて精神を5単位。理によって配合し、模倣を創造の端緒とす――かくあれかし」
レイナが目を閉じてスキルを詠唱。
「《シンセシス》」
スキルが完成すると同時に、ネイルの容器が淡く光り――収縮した。
「ふふん? どうです?」
「中身が増えた……。いや、ミミックルートを使ってるんだから……そうか。模倣、コピーか」
「正解です」
レイナが、人差し指で大きく丸を描く。さらに、周囲に飾りも付けた。花丸だ。
「食べた動物をコピーできるのなら、その根を素材にすれば物質もコピーできる。そういうことか」
「そういうことです。たぶん、質とかコピーできる物質とか。なにがしかの制限はあると思いますけど」
万能ではないと言いつつも、レイナはうれしそうだ。
「俺たちにとっては、こっちで手に入らない物をコピーしたほうが価値があるもんな」
「そういうことです。地球からシャンプーとかボディーソープが流れ着いたら、それをコピーしたりもできるんですけどね」
「神様か、それとも光輝教会か。どっちにしろ、勇者や聖女の代わりにシャンプーを召喚するとは思えないけどな」
「ちょっと手が滑ってとかあるかもしれないじゃないですか」
「それに、それは犯罪だ」
「いや、それはそうですけど……。おにい……センパイだから、本気で言ってるんですよねぇ」
レイナがベッドに倒れ込む。
複雑な感情を持て余し、とりあえずトウマの枕に自分の匂いを付けておくことにした。
こんな具合に、航海は概ね平和で順調に進む。
グリフォン島を出て三日後。
幽霊船ワールウィンド号は、交易都市デルヴェの近郊に到着した。




