068.レイナとの関係
「それでは、開始だ。どちらのチームも怪我なく頑張ってきてくれ」
「無論よ。狩りとあれば、ドラクルのお家芸のようなものだからの」
「ご託は要りません。とにかくミュリーシアに勝ちますよ!」
「にゃあ~~」
アムルタート王国の全国民が“王宮”前に集まり、ふたつの集団に別れていた。
ひとつは、ミュリーシア率いる最も人数の多いA班と狩猟採集を任務とするB班。
「それでこそレイナよ。妾は、驕りも油断もせぬ。いつものように狩り、当然のように勝つ。面白味がなかろうとも、王道を歩ませてもらうぞ?」
「もちろんですよ。全力のミュリーシアに勝ってこそ、価値があるというものです」
「ふんふんふん。二人とも、いい具合に盛り上がっているのですよ~」
レイナがリーダーとなっているC~E班にニャルヴィオンを加えたのが、もうひとつ。
ひねりももなにもないが、ミュリーシアチームとレイナチームということになるだろう。
この二チームに分かれて、狩りの結果を競う。
賞品は特にない。得られるとしたら、名誉だけだ。
騎士爵の授与というのも考えたのだが、授与すべきミュリーシアも参加するのであえなくボツになった。
「というわけで、センパイ。あたしたちの勝利に期待して待っていてくださいね」
「ふっ。ニャルヴィオンの歓迎会とはいえ、妾は手を抜かぬからの」
「トウマ! 二人の監督はリリィに任せるですよ!」
レイナは、ニャルヴィオンたちとともに地上を。
ミュリーシアはゴーストたちと空を移動して、狩場となるグリフォンの翼へと向かって行った。
両チームとリリィへ手を振って見送った後、トウマは隣を見る。
「歓迎会なのに、ノインは留守番で良かったのか?」
「狩り終わった後に始末をする準備は必要となりますし、その間ご主人様も独占できますので」
「俺を独占して、どうするつもりなんだ?」
「果たせなかったお風呂のお世話を」
「え?」
「冗談でございます」
ノインがたおやかに微笑んだ。清楚で、匂い立つような佇まい。
本当に冗談だったのか。真偽を確かめるより早く、“王宮”へと入っていく。トウマも、その後ろについていく。
「飲み物の準備をいたしますので、円卓の間でお待ちください」
そして、有無を言わせずトウマは石の円卓に座らせられた。
「どうも、世話をされるのには慣れないな……っと、ヘンリーか」
手持ちぶさたに待っていると、ワールウィンド号にいる商人の幽霊――ヘンリーから念話が届いた。
「……そうか。分かった」
念話では、簡単な意思疎通しかできない。
しかし、今回はそれで充分だった。
「明日にでも、ヘンリーに会いに行くか」
「ご主人様、なにかございましたか」
独り言を口にしたタイミングで、ノインが戻ってきた。
「ああ。いや、みんなが戻ってから説明する」
「左様ですか。ご主人様、よろしければどうぞ」
「ああ、ありがとう」
ノインがいれてくれたのは、グリフォンの頭で取れるチョコレートを原料にしたココアだった。
牛乳ではなくココナッツミルクを使用しているが、その風味が面白い。
ノインは、石のカップに注がれたココアを口にするトウマを黙って見守っている。
それ自体は特別なことではないが、雰囲気がいつもと微妙に違っている……ような気がした。
「なにか、俺と二人で話があるのか?」
「はい。奥様と、実際のところどのような関係だったかお伺いをしてもよろしいでしょうか」
「玲那とか……」
ミュリーシアやリリィは、この島に来てからの関係。説明した、それがすべて。
しかし、レイナは違う。
使用人として、年下の幼なじみとの関係を把握しておきたいというノインの気持ちも分からないではなかった。
しかし、トウマとしてもすぐにはうなずけない。
「幼なじみだっていう答えで、納得して欲しいところなんだが……」
「いいえ。それで片付けるには、いささか距離が近すぎるように思えます。それこそ、兄妹のように」
レイナを奥様と呼んでおきながら、兄妹のようだと表現する。
それは矛盾ではなく、小柄な自動人形がきちんと観察している証拠だった。
「年が近ければ、誰しも兄妹のように見えるんじゃないか?」
「それだけとは思えません」
ノインは引かない。
トウマは、険のある瞳で見つめる。
プライベートなことだからと、はね除けることは簡単だろう。
「それに、一人だけでも事情を把握した者がいるのは悪くないことかと存じます」
「そうだろうか?」
「はい」
トウマは、ミュリーシアが修復をした天井を見上げた。
まぶたを閉じ、しばし考え込み……チョコレートが注がれたカップを手にするだけでまた円卓へと戻した。
「別に秘密にしてるわけではないし、玲那からも禁止はされていないが……」
そして、チョコレートを飲むのではなく喋ることに口を使用する。
「しばらくの間、一緒に住んでいたことがある」
「それはそれは」
ずいっと、ノインが距離を詰めてきた。
トウマは、同じだけ離れる。
「複雑な家庭の事情というものなのでしょうか?」
「よく知ってるな。そうだな、複雑。複雑だし、今でも理解できていないところがある」
実際、レイナという赤の他人との同居はスムーズに進んだ。子供のトウマやレイナには分からない背景があったに違いない。
「玲那の実家、秦野家には表沙汰にできない家業がある……らしい」
「予想外のお言葉に、驚いております」
「もちろん、犯罪行為に手を染めてるってわけじゃない。もしそうだったら、うちのジイさんが黙ってるはずないからな」
ホットチョコレートを、一口嚥下する。
なんとなく、心と体の疲労が取れるような気がした。
「家業は、詳しくは玲那も知らないらしいんだが……。その関係で、養子を取ることになったそうだ」
「それはまた、ぎくしゃくしそうなお話で」
トウマは、思わず肩をすくめた。
実際、ノインの言葉通りだからだ。
「別に、新しい姉ができるわけじゃない。ああ、俺たちより年上だそうだ。今に至るまで、会ったこともないけどな。要は、ただの名義貸しみたいなもんだったみたいなんだが……」
それだけなら、レイナに話さず進められただろう。
しかし、そうはならなかった。そうはならなかったのだ。
「玲那に素質がないから養子を取るみたいな話をしているのを、聞いてしまったわけだ」
「こじれますね」
「こじれたな」
一見気が強そうに見えるがあれは甘えの裏返しだ――と、トウマは思っている。
つまり、甘えられる相手が一緒にいるときでないとあんな態度は取らない。
その甘えられる相手――両親から捨てられて(・・・・・)レイナはきっぱりと未練なく家を出た。
小学生がだ。
「好きの反対は無関心というわけじゃないだろうが、児童養護施設……孤児院といったほうが分かりやすいか? まあ、そういう施設に入ろうとしたらしい」
「ということは、入ることはなかったと?」
「その途中で、ばったり出くわしてな。話を無理やり聞き出して、俺の家に連れて行った」
二歳差だが、あまり交流はなかった。近所にいるかわいい小学生。その程度の認識。
その程度の間柄であっても声をかけてしまうほど、レイナが凄絶だったということでもある。
「で、ジイさんにも話をして一晩うちに泊まって……次の日には、一晩だけじゃなくなった」
「ご主人様のおじいさまが引き取った……と?」
「ああ。玲那は、向こうのご両親を完璧に無視したからな」
しかも、トウマの服の裾を握って離さなかった。あれを無理やり引き取るというのは、不可能でないにしろ難しかったろう。
「元警官のジイさんの信用が、ものを言ったという感じだな。それに、玲那の両親もその家業が忙しくなったらしくな」
ある意味で、渡りに船だったのかもしれない。
そう思うと、トウマの胸にも当時の行き場のない感情が蘇ってくる。
「事情を聞きかじった程度の私めが言えたことではございませんが、簡単に手放しすぎではないでしょうか? 元々、不仲だったというわけでもないのでございましょう?」
「まあ、玲那が意固地だったのも悪いんだが……」
「あちらにも、そうすべき事情があったと? 例えば、奥様がご両親と一緒におられると危険に遭遇する可能性があったというような……」
「それはさすがに陰謀論が過ぎるが、異世界に召喚された時点でなんでもありと言えばありだからなぁ」
例えばレイナの両親が政府のエージェントで、養子というのはその組織の関係で行うものだったとか。
秦野の家は忍びの技を受け継ぐ一族で、里同士の抗争に巻き込まないよう素質のないレイナを守るために遠ざけたとか。
そんな妄想のようなものまで、否定できなくなってしまう。
真相は分からない。
だが、親子関係は完璧にこじれた。
そこに、稲葉家という逃げ場所があったのが良かったのか悪かったのか。
しかし、それも長くは続かない。
「とはいえ、ジイさんが死んだらさすがにそうもいかなくなってな」
「奥様は、元の家に戻られたのですね」
「俺が高校に入る前後……二年ぐらい前だったか?」
家から出るときのレイナは、平然としていた。
淡々と、感謝の言葉を述べて引っ越していった。
同居の時からすると180度反対の態度。
それも当然だと、当時も今もトウマは思っていた。
「さすがに14にもなると、いろいろ周囲が見えてくるものだからな。むしろ、成長したみたいでうれしかったな」
「私めは、人間の情緒を理解しているとは申せませんが……」
小柄なメイドは目を伏せ、それでも言うべきことは言わねばならぬと顔を上げた。
「奥様が家を出られたのは、ご主人様と距離が近くなりすぎたからではないでしょうか? それこそ、兄妹同然に」
「俺と兄妹になるのが嫌だった……」
「その通りかと」
単に、思春期だからというだけではなかった。
そうなると、トウマには分からないことがひとつある。
「そんなに嫌われているとは、思っていなかったんだが……」
「え?」
「ん?」
認識の齟齬。
それを埋めるべく、小柄な和装メイドはさらに切り込んでいった。
「ちなみに、奥様がご主人様に好意を寄せていらっしゃるのには当然お気づきで?」
「それはさすがにな。今の話で、ちょっと疑いそうになっているが……」
この世界からは、戻れない。
光輝教会に最初に言われたことだ。もちろん、都合よく勇者と聖女を働かせるための嘘という可能性はある。
しかし、トウマは命を狙われたことでその可能性を否定していた。
単純な話だ。暗殺に失敗するリスクを考えれば、トウマだけでも地球へ帰してしまえば良かったのだから。
「俺としては、責任を取るつもりはある。だけど、今すぐそうすると玲那の可能性を狭めることになる。それは、避けたい……というところだな」
「概ね、理解いたしました」
ノインは、もう見慣れたたおやかな微笑を浮かべていた。
よく分からないが、こんな話で良かったらしい。トウマは、そっと胸を撫で下ろす。
「なんだか、とりとめも無い説明で悪かったな。あと、チョコレート美味しかった」
「いいえ。不躾な質問にお答えいただき、誠にありがとうございました。その上、労いのお言葉までいただき恐縮でございます」
放っておけば、勝手に収まるところに収まる。
その確信を胸に、自動人形は空になった石のマグカップを片付けた。




