061.ニャルヴィオン
「にゃああんっ」
キャタピラを弾ませてこちらへ向かってくる巨大な猫。
見た目だけならなんの変哲もない三毛猫だが、サイズがサイズだ。ややでっぷりとして愛嬌があっても、突進されると迫力がある。
「ご主人様、お下がりを」
ノインがその進路上に立ちふさがる……が。
「きゃっ」
急停止した巨大な猫にべろんっと舐められて、ノインが可愛らしい悲鳴を上げた。
「危険はない……のか?」
「そのようでございますね」
一瞬で態度を改め、ノインは冷静に答えた。
なお、その間もべろんっと舐められ続けている。
「……本当に大丈夫なのか?」
「もちろんでございます。私めは、護国の盾となる覚悟でおりますれば」
「頼もしいことよの」
ミュリーシアも、無理に止めようとはしなかった。
なんとなくだが、どちらもうれしそうに見えたから。
「それにしても、随分とかわいい悲鳴が聞こえた気がするんですが」
「奥様、それはなにかの間違いでございましょう」
「ノインさん、それはちょっと厳しすぎません?」
「幻聴でございます。生の脳をお持ちの方々は、時折そのような誤解をされるものと聞き及んでおります」
ノインは冷静に答えた。
なお、その間もべろんっと舐められ続けている。
「リリィも遊ぶのですよ~」
「遊んでいるわけではございませんが……」
ノインの抗議など、リリィは聞いていない。
金髪の三つ編みを翻して、巨大猫の目の前を飛び回る。
「にゃッ」
「はははは~。遅い、遅いのです」
「ニャ~」
キャタピラを備えていても、猫の本能には抗えないのか。
八の字を描いて飛ぶリリィに、折りたたんでいた前肢を伸ばす。
しかし、リリィには届かない。
楽しそうに笑いながら、巨大猫と戯れる。
「当たっても、どうと言うことはないのですよ~」
「あの猫からすると、詐欺のようなものじゃな」
「でも、永遠に遊んでいられるんじゃないか?」
「ふむ。裏返しに見た絵も、また真実ということじゃな」
物事には二面性があるという意味の格言を口にし、ミュリーシアは愉快そうに笑った。
その間に、ノインが再起動を果たす。
「皆様、ご無事でなによりです」
いかなる機能が搭載されているのか。顔からも和装めいたメイド服からも、猫の唾液はぬぐい去られていた。
「これは、蒸気猫でございますね」
「蒸気猫?」
「はい。地霊種ドワーフの手による猫の自動人形とでも思っていただければ」
トウマは、目の前の精巧な自動人形と巨大猫――蒸気猫を見比べる。
一度では足りず、二度三度と見比べる。
理屈は分かるが、同じカテゴリに収めるのは難しかった。
「戦車の上半分を切り取って、猫を乗せたような状態だが大丈夫なのか?」
「スチームバロンも、脚部を無限軌道とする計画がございましたので」
「ああ、確かに設計図みたいなので見たな」
「つまり、実証実験みたいなものってことですか」
レイナが、少しだけ唇を尖らせる。
「本来の蒸気猫はペットロボットみたいなもの……でいいんですかね?」
「それなら、ここまで大きくはしないんじゃないか?」
「でも、おっきいほうが遊んで楽しいのですよ~」
金髪の三つ編みに青いワンピース。
名作劇場から抜け出てきたようなリリィと、サイズの大きな猫の交流は実にメルヘンだ。
「名前! トウマ、名前なのですよ!」
「ああ、そうだな」
トウマはノインを一瞥する。
しかし、自動人形は静かに首を振った。前下がりボブの黒髪が、さらりと揺れる。
「いえ、自動人形同士とはいえ私めに委ねられることはございません」
「そうか……。じゃあ、リリィ頼めるか?」
「任せるのですよ」
腕を組んだまま考え込むことしばし。
「閃いたのです!」
蒸気猫が「ふうぅ~ん?」と首を傾げたタイミングで、リリィはすみれ色の瞳を見開いた。
「お前は、ニャルヴィオンなのですよ!」
「そうきたか」
「リリィちゃん、意外性の固まりですよね」
ホネスケ、コウランからのニャルヴィオン。誰も予想できなかったに違いない。自由だ。
「そこが、リリィのいいところだからな」
トウマは本気でそう言った。
それに、本人の意思も重要だった。
「ニャルヴィオン? どうなのですか、ニャルヴィオン?」
「ニャ~~!」
「ニャルヴィオンも喜んでいるようです。リリィ様、良いお名前をつけられましたね」
「それほどでも……あるのですよ!」
「まあ、それで良いのであれば妾は構わぬがな」
たわわな双丘を持ち上げるように腕を組み、ミュリーシアが赤い瞳で蒸気猫を見つめる。
「なぜ、この猫が――」
「ニャルヴィオンなのですよ、ミュリーシア」
「なぜ、このニャルヴィオンが現れたんじゃろうな?」
巨大な赤亀から、レッドボーダー。
トウマとレイナの指輪ワスプアイズ。
どちらも、モンスターに関わりがあるマジックアイテムだった。
そう考えると。いや、マジックアイテムとしても異質だ。
「でも、元のモンスターと関係ないケースだってあるだろう?」
「ある。じゃが、今回は思い当たるところがあるのであろう? のう、共犯者よ」
「ミュリーシア、答えを知っているんですか?」
「それは、共犯者の口から語られるべきじゃな」
「……心当たりがなくはないが、正解とは言えない」
静かに首を振るトウマへ、ミュリーシアはぱっと羽毛扇を開いた。
「……なんで猫の形を取ったのかは、本当に分からないぞ」
「じゃが、自動人形の一種である理由は分かるのじゃな?」
「《ターン・アンデッド》を実行する前だが……。解放を望む声に混じって、誰かを心配する思念もあった」
「あ、それでノインさんに向かって行ったわけですか」
「そのようなことが……」
ノインを心配して、妹たちの一部が残った。
それが還元しきれなかった魔力と混じり合ったのではないか。
それはあくまでも、推測に過ぎない。
「だから、言わなかったんだが……」
「それもひとつの判断であろう。じゃがな、結局真実など分からぬものよ。であれば都合の良い事実を選択すれば良いだけの話ではないかの?」
「はい。ご配慮感謝いたします、女王陛下。それからご主人様も、よく話してくださいました」
ノインが背伸びをして、ニャルヴィオンを撫でる。
「まったく、心配性の妹たちを持つと大変でございます」
「にゃーにゃー」
「そういうことでしたら、私め共々しかとお仕えいたします。以後、末永くよろしくお願いいたします」
「ニャ~~」
ノインが頭を下げ、ニャルヴィオンが香箱座りの状態から前の右足を伸ばす。
握手をするかのように、トウマはその手を握った。
「おお、柔らかいな」
「センパイ、ちょっと早く代わってください」
レイナに取って代わられたトウマに、ミュリーシアが声をかける。笑いをこらえている様子など、おくびにも出さずに。
「そろそろ、戻るとするかの。さすがに、今から第二層には行かぬであろう?」
「あるのか、二階層目が……」
「あるであろうな。あの扉の形状からして、八階層はあるの」
「あの扉の飾りって、そういう意味だったのか」
観音開きの左右の扉は縦に四つに区切られ、それぞれのパネルには異なるモチーフの彫刻がなされていた。
そのパネルひとつひとつが、階層を表していたらしい。
「八階層となると、なかなかの規模ですよ」
「今は、オーバーフローを解消できたと満足すべきか」
「じゃあ、帰るのですよ!」
「その前に……。先ほど奥様から注意を受けたばかりではあるのですが、お願いがございます」
「聞こう」
ああもうと、レイナが額に手を当てため息をつく。
「下らない内容だったら承知しませんよ」
「個人的なお願いでございますが、棺の中に入っている妹たちの体で使えそうな者が残っていれば回収いたしたく」
「あ……。ごめんなさい……」
トウマはうつむくレイナを抱き寄せ、優しく頭を撫でた。
流れるようなフォローに、ミュリーシアはなんとも言えない表情を浮かべる。ただ、赤く輝く瞳の印象は鮮烈だった。
「いえ、お気になさらず。ただ、無事な体があればリリィ様の依代としても利用できるかと」
「分かった。壊れてしまった体も埋葬しないとな」
「いえ、魂のないただの抜け殻でございます。そのまま風化するに任せるのがよろしいかと」
「人間の死体も、似たようなものだろう」
傾城傾国。トウマの言葉を聞き、ミュリーシアがこの世のすべてをとろけさせ堕落させるような微笑みを浮かべた。
「それでこそ、妾の共犯者よ、なれば、妾の出番であろう」
「リリィも手伝うのですよ!」
「ありがとうございます」
残念ながら、戦闘の余波で棺のほとんどは破壊されるか落下していた。
リリィが、残った棺の中身を調べて選別。
破壊が著しいものは、ミュリーシアが運んでまとめて埋葬。
「まあ、あたしにはこれくらいしかできないですから」
その場所には、レイナがスキルで花畑を作った。
そうでないものも地上に降ろして、安置することにした。
「少数でも、無事なのがあって良かったとおもうべきであろうな」
「ありがとうございます。しかし、私めとしましては是非活用いただきたかったのですが……」
「それだけど、一人心当たりがある」
「奇偶じゃな。妾も、心当たりがあるぞ」
ヘンリー。幽霊船ワールウィンド号で、交易を目指す商人。
彼の依代にうってつけだ。
ひとつ問題があるとすれば……。
「ただ、見た目がノインそっくりなんだよな……」
「そこは、本人の意思に委るしかあるまいよ」
「ミュリーシアの言う通りですね」
そういうことにして、トウマたちはダンジョンから脱出する。
周囲は、すっかり夜になっていた。




