060.奉仕の契約
「うむ。湿っぽいのは、これで仕舞いじゃ。良いな?」
「なのです! せっかくこーはいができたのに、しんみりはダメなのですよ~」
ミュリーシアがぽんっと羽毛扇を閉じ、リリィが両手を広げてぐるりと飛び回った。
そのリリィの言葉にノインが小首を傾げると、前下がりボブの黒髪がふわりと弾んだ。
「後輩でございますか?」
「ああ、自己紹介がまだだったか」
トウマがちらりと振り返ると、レイナはすでに離れていた。
それは感触で分かっている。確認したかったのは、赤銅の巨人。
まだ還元するのに時間がかかるようで、そのまま残っている。
「階層核を解放した場合、地上への門も一緒に開くからの」
「それで、時間もかかるんです」
「なるほど。だから、二人とも焦ってなかったのか」
トウマは軽くうなずき、リリィに視線を送った。
それに気付いたリリィが、思いっきり手を挙げる。
「ノイン! リリィは、リリィなのですよ。トウマの一の子分なのです」
「そういう言葉、どこで憶えてくるんだ?」
「センパイと契約してるせいで語彙が流れ込んでくるとか、そういうじゃないですよね?」
「どうだろう? ないと思うんだが……」
「それから、ミュリーシアが王様をやってるアムルタート王国の国民第一号でもあるのですよ」
「アムルタート王国ですか。申し訳ございません、寡聞にして存じ上げません」
ノインがエプロンの裾をつまみ、深々と頭を下げた。
「基本、ここにいるメンツしか知りませんよね」
「他は、ヘンリーぐらいだな」
ジルヴィオも、国の名前までは知らない。別れたときには、まだ決まっていなかったから当然だが。
「そういうわけで、リリィは俺が最初に契約したゴーストだ。一応、同僚ということになるから仲良くして欲しい」
「はい。リリィ様、よろしくお願いいたします」
「リリィ様なんて、リリィ照れてしまうのですよ~」
頬を押さえて、ぐるんぐるんとリリィが飛ぶ。金髪の三つ編みや青いワンピースの裾が待ってもお構いなし。それくらい、浮かれていた。
微笑ましいと、レイナが腕を組んでうなずいている。スマートフォンがあれば、連写しているに違いない。
リリィが写真に撮れるかは、分からないが。
「それで、彼女がシア――ミュリーシア・ケイティファ・ドラクルだ。ドラクルの姫君にして、さっき言ったアムルタート王国の女王をやってもらっている」
「国と言うても、今は無人島を開拓しておるような状態じゃ。これからの働きに期待しておるぞ」
「かしこまりました、女王陛下」
胸に手を当て、華麗に一礼。これまでもそうだが、ノインの所作はどこまでも様になっている。付け焼き刃という印象はまったくない。完全に、染みついた動作だった。
「ところで、僭越ながらご主人様はどのような役職を?」
「うむ。共犯者は、宰相といったところじゃな」
「承知いたしました。では、以後、そのように」
「そこはもうちょっと気楽にやって欲しい」
「かしこまりました。ご希望に添えるよう精進いたします」
そうは言っても、性分なのだろう。ノインの態度は、見ようによっては格式張ったものに見えた。
しかし、それも悪いことではない。
アムルタート王国に足りないものを補って余りあるのだから。
「シアは、どう思う?」
「やや古色蒼然としておる面はあるが、礼儀作法としては完璧じゃな。むしろ、これくらい格式張っておったほうが舐められずに済むのではないかの?」
外交など、まだ早い。
しかし、先送りにしすぎてはいざというときに困る。
「せっかく教師役が見つかったのだ。活用せねば、罰が当たるというものよ」
「宮廷作法担当とかがいいか?」
「むしろ、王宮の差配を任せて良いのではないか?」
「ええ? 面倒くさいのは嫌なんですけど?」
そこに、レイナが割って入った。
新入りに大きな顔をされたくない――というわけではない。単純に、堅苦しいのを嫌がっていた。
その反応は、着崩した制服からも自明のものだった。
「ご不快でしたら、申し訳ございません。なにぶん、これが私めの性分でして」
「まあ、人の性格にまでとやかく言いませんけど」
レイナは、そのままノインと息がかかるぐらいの距離へと近付いた。
ノインの視線が、着崩した制服の胸元に注がれる。けれど、なにも言わなかった。
「あたしは、秦野玲那。緑の聖女ということらしいです」
「聖女……でございますか」
彼女が生きた神蝕紀にはない概念だったのか。ノインが、細い眉をひそめる。
数百年分の情報のすり合わせをしなくてはならない。
トウマはやるべきことのリストに付け加える、
だが、あとでだ。
今は、レイナに任せるべき。今までの付き合いの長さで、そう判断していた。
「それよりも、センパイのことです」
「センパイ様ですか?」
「お兄ちゃ……」
「兄君がいらっしゃるのですか?」
「玲那……」
けれど、この程度で揺らぐ信頼ではない。
幼なじみの絆は強い。
「ノイン、玲那が言っているのは俺のことだ」
「左様でしたか。承知いたしました」
「で、センパイのことですが。今回は、仕方がないと思います。命がかかっていたんですから」
緑がかった瞳には、強い意志の光が宿っている。
ごまかしは許さないという強い意志が。
「でも、二度目は許しません。センパイが許しても、このあたしが」
ネイルを塗った指先をノインに突きつけ、レイナがさらに距離を詰める。
「センパイは優しいですから、自分が傷ついても救おうとするでしょう。でも、あたしはセンパイが傷つくことを許しませんから」
言いたいことを言って、レイナが踵を返した。
そのまま離れようとして――
「確かに、不躾であったと反省しております……奥様」
――くるりと振り返った、サイドテールが舞うが、気にしている場合ではない。
「奥様? あたしがですか?」
「はい。違いましたでしょうか。それは――」
「――違いません」
言い切った。
誤解しようもないほど、明確に断言した。
しかも、レイナは真剣そのもの。真顔だった。先ほどから、表情はまったく変わっていない。
「良いのか、共犯者?」
「違うと言ったら、どうなると思う?」
「面倒なことになるであろうの。薪を燃やせば煙が出るぐらい確実に」
ミュリーシアは納得した。
納得したが、思うところが無いわけではない。
「ノインよ、ちなみにじゃが」
「はい、陛下」
「共犯者の相手よの、その……あれじゃ。妾ではないかと、悩まなかったのかの?」
「女王陛下と宰相閣下の婚姻は、さすがにないのではないかと愚考いたしました」
「う、うむ。そうじゃな。確かに、妾も聞いたことがないのう」
それは、単純に王と宰相が男女のペアになることが珍しいだけではないだろうか。
トウマは、しかし指摘したりはしなかった。
ここは黙っておけと、死んだ祖父が言っているような気がしたから。
「それでは、掉尾を飾るような形で申し訳ございませんが改めまして自己紹介を」
「そうだな。もう、試作型対神迎撃防衛兵器スチームバロンもなければ、中枢統合ユニットでもないからな」
トウマに促され、ノインはたおやかに微笑んだ。
「自動人形のノインと申します。私めが私めらしく生きる――自動人形の本分に立ち返り、末永くご奉仕させていただきます。当分の間、未練が晴れる予定はございません。ご主人様の子々孫々まで見守らせていただく所存でございます。皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます」
「そ、そうだったのか……」
「センパイ、ちょっと契約ゆるすぎじゃありません?」
「こーはい、やるのです!」
ノインは、なにも言わず。たおやかに微笑んだ。
「ほう。どうやら、還元が始まったようじゃな」
見れば、赤銅の巨人――スチームバロンから光の粒子が立ち上っていた。
「やっとですか。長かったですね」
「これ、どれくらいで終わるんだ?」
「安心せい。一度始まれば、そこからは早いものよ」
ミュリーシアの言う通りだった。
しばらくすると、スチームバロンが光に溶ける。
あっさりとした結末。
代わりに現れたのは、三つ。
そのうちふたつは、火口にあったのと同じ扉。ただし、色が違っている。
「白いほうが地上への。黒いほうは、次の階層への扉ですね」
「それはいいんだが……」
もうひとつ……と言うべきか。もう一匹と言うべきか。
それは、猫だった。
「ふええ……でっかい猫なのですよ」
10メートルはあるだろうか。
キャタピラを備え付けて香箱座りをする巨大な猫が、にゃああんっと甘えた声で鳴いた。




