058.《ターン・アンデッド》
火と負の生命力が入り交じり、スズメバチたちが黒い炎を身にまとっている。
墨絵のような残像を残して、蘇った炎をまとったスズメバチ――ゾンビバチが一斉に飛び立った。
生前と同じくキチキチキチキチとあごを鳴らし、耳を塞ぎたくなるような不快な羽音を立てて赤銅の巨人へと襲いかかる。
それこそ、蟻と巨象。
単体で見れば到底敵うはずもない。
しかし、巨体を地面に横倒したままでは抗う術がなかった。
装甲を、関節を、煙突の内部を。
あらゆる部位にゾンビバチがたかり、咬み、破壊しようとする。今は味方とはいえ、背筋に怖気が走る光景だ。
「うひゃー。なんだか、すごいことになっているのです」
「そうか。リリィは見てなかったんだよな」
宝箱のトラップで、別の部屋に飛ばされていたのだった。しみじみと、ひどい仕掛けだったと思う。
「あのロボには悪いですけど、今のうちに態勢を整えさせてもらいます」
ゾンビバチにたかられる赤銅の巨人。それをちらりと一瞥してから、レイナが詠唱を始める。
「魔力を20単位。加えて精神を20単位。理によって配合し、生命樹の現し身を招請す――かくあれかし」
まずは、モルゴールで使用した。ジルヴィオに騙されピンチに陥ったときに活用していたスキルを発動する。
その他のスキルの代償となり、効果を増幅させる。緑の聖女の基本にして切り札となるスキルだ。
「《ミリキア・レギア》」
レイナ――緑の聖女の背後に仮想樹が出現した。
朧気で、ホログラムのよう。だが、神木を前にしたときのように厳かな気持ちにさせられる。
「魔力を10単位。加えて精神を5単位、緑を30単位。理によって配合し、原始の防壁を打ち立てる――かくあれかし」
さらに、スキルの詠唱は続く。
「《プライマル・フィールド》」
黒騎士の軍勢を弾き続けた、不可視の防御結界。領域が、レイナを中心に展開された。
「好き勝手に暴れてくれましたが、もう安心ですよ」
「レイナ、なんだかすごいのです!」
「これで、妾も自由に動けるというものよ」
「ええ。露払いは任せますから」
ミュリーシアが、トウマたちを《プライマル・フィールド》に残して赤銅の巨人へと飛ぶ。
しかし、すぐに停止を余儀なくされた。
「シア、こっちの背後に」
「間に合わぬっ」
ミュリーシアが、咄嗟に影で編んだ防壁を並べる。
それと同時に、赤銅の巨人が爆発した。
いや、爆発したかのように背中の煙突から火を噴きだした。大気が大きく揺さぶられ、その震動ですり鉢状の空間が崩壊の歩みをまた一歩進める。
ゾンビバチたちの羽とあごの音が止まった。
静寂。
次の瞬間、赤銅の巨人の背中側から一斉に蒸気が噴き出した。糸で引っ張られるみたいにして直立状態に戻る。
その衝撃で、殺虫剤でも噴霧されたかのように。ぼたぼたと、ゾンビバチが地面に落下した。墨絵のようだった黒い炎も消えている。
逆に、蒸し焼きにされたのだ。
赤銅の巨人は、細かい傷だらけになっていた。
けれど、もうひとつの変化に比べたら些細なこと。
赤い。
艶のある赤黒い装甲は、燃えるような深い赤に変わっていた。
全身から煙が吹き出し、赤銅の巨人は今や灼熱の巨人となっている。
「……なんか、入っちゃいけないスイッチが入っちゃった感じじゃないです?」
「怒らせたみたいだな」
ハイパーモード、バーサーク、怒り状態。
様々な呼び方はあるだろうが、ギアが上がっているのは明らかだった。
「魔力異常がなんでもありなのは分かりますけど、なんでロボットが怒るんですか。インテリジェンスアイテムなんですか」
「でも、巨人さんは生きてないですよ? リリィも生きてないですけど」
「生きてない……? もしかして、そういうことか」
リリィは、あの装甲に弾かれた。
当然、逆も同じことではないのか。
それなら、この場になにもなかったことに説明がつく。
「シア、少しの間……三分だけ任せていいか」
「任された」
ミュリーシアが、再び空を征く。背後からは、その表情は分からない。
だが、それは確認ができないというだけ。
得物を前にした肉食獣のように凄絶で。
それでいて、乙女のようにはにかんでいるドラクルの姫の美しさを。
「間違って、あの木偶を壊してしまわぬよう気をつけるとするかの」
「それは本当に頼む」
トウマは、本気で言っていた。
ミュリーシアは、愉快で仕方がない。血が、自らの血とトウマから与えられた血が沸き立つ。
これが。これこそが、ドラクルの本懐だ。
「魔力を50単位。加えて精神を5単位、緑を25単位。理によって配合し、第二の風を巻き起こし階梯を引き上げる――かくあれかし」
二人の世界に割り込むように、レイナがスキルの詠唱を始めた。
「《ウィンド・アウェイク》」
緑の聖女が扱える中でも、最強に近い強化系のスキル。筋力・敏捷力・耐久力。すべての身体能力が飛躍的に上昇した。
それを惜しみなく使用すると、灼熱の巨人へと飛ぶミュリーシアの背中を緑がかった瞳で見つめる。
「さあ、きりきり働いてくださいよ女王様」
「言われるまでもないわ。妾は、世界で一番優しく勤勉な王を目指しておるのだ」
「ただのいい人じゃないですか……」
紅口白牙。ミュリーシアは、にやりと笑って巨人のつるはしをくるりと回した。それに伴って。巨人のつるはしが闇をまとう。
「鉄も魔法銀も、煎じ詰めればただの石ころよ」
ミュリーシアが右腕を伸ばし、巨人のつるはしを横にする。
そのまま、腕と腰をひねって投げつけた。
無茶苦茶。だが、その所作は美しい。
バリアは張らない。それとも、今の状態では使用できないのか。
眉間目がけて放たれた巨人のつるはしを、灼熱の巨人は両腕をクロスして防御した。
ハンマーで金床を打ち付けたような。重たく、低く、鈍い音が響く。
灼熱の巨人がよろめき、壁に並べられていた棺がまたいくつも落下していった。
本体から切り離して飛び、魔力光を放った巨人の腕。
そこに深々と巨人のつるはしが突き刺さり、ひびが徐々に。しかし、確実に四方八方に広がっていった。
ゾンビバチが一〇〇も集まってできなかったこと。それを、ミュリーシアはたったの一振りで成し遂げた。
「簡単に壊れてくれるでないぞ。共犯者との約束が果たせなくなるじゃろうが」
巨人のつるはしを回収しに、ミュリーシアが背中の翼をはためかせて飛んだ。
灼熱の巨人から、歯車や関節が回り軋む音が響く。それは、まるで苛立ちの声。
しかし、神蝕紀の兵器が起こすかんしゃくは常識を遙かに超えていた。
大きく開いた指先から魔力光が飛び乱舞し、胸の装甲が開いて中から無数の銛が発射された。
逃げ場のない、面を制圧する攻撃。
「大城は掃除が行き届かぬものよな」
発作的な攻撃を嘲笑うように、ミュリーシアが魔力光と銛の間をすり抜け飛び回る。
発狂したような面攻撃に対し、ドラクルの姫も正気の沙汰とは思えない軌道で移動し、攻撃と攻撃の間をすり抜け、縦横無尽に糸を引くようにかわしていく。
その余波で地面がえぐれ、またしても壁が崩れた。もはや、無事な棺はひとつもないのではないかと思えるほど。
もちろん、それはトウマたちも例外ではない。
強固な《プライマル・フィールド》が揺さぶられ、崩れ落ちる。レイナが即座に張り直さなければ、地面の染みになっていただろう。
だが、これこそトウマが待っていたタイミング。
「玲那、こっちもサポート頼んだ」
「運が良かったですね。センパイのことは放っておいて身を守ってるようにって言ったら、ぶっ飛ばしてるところでしたよ」
「運じゃない。それくらい、分かってるさ」
「あっ、うっ……。これから、センパイはセンパイなんですよ!」
「トウマ、レイナのことはリリィに任せるのですよ」
「頼む」
トウマはきゅっと唇を結ぶと、レッドボーダーを手放した。
独りでに浮かんで、移動していた。
つまり、空を飛べるということ。
所有者の意思を汲んで、レッドボーダーが助走するように飛行する。
トウマは慌てて駆け出し、盾の上に飛び乗った。この距離では無理だから、もっと近くへ。単純だが、思い切ったことをするものだと我ながら感心する。
その行く手。《プライマル・フィールド》の一部に穴が空いた。
「センパイ、無茶はしても無理はしないでくださいよ!」
「その言い方。レイナ、なんだかトウマと通じ合ってるのです」
「それほどでも……ありますね」
灼熱の巨人の攻撃が、一時的に止んだ。
そのタイミングで、レッドボーダーは外へと飛び出した。まるで、空飛ぶサーフボードだ。
速度はそれほどでもないが、地面すれすれの移動。そのため、体感はヘルメット無しでバイクに乗っているようなもの。
その視線の先では、懐に入り込んだミュリーシアが巨人のつるはしを手に灼熱の巨人と打ち合っていた。
巨人が腕を振り、銛を発射し、魔力光を放つ。
それを綺麗に避け、闇で編んだ杭で迎撃し、擦れ違い様に巨人のつるはしを打ち込む。
驚くべきことに、ミュリーシアが優勢だった。
灼熱の巨人には傷が徐々に増えているにもかかわらず、ミュリーシアは無傷。汗をかいているのが精々だ。
眼下を飛ぶトウマに声をかける余裕もある。
「共犯者、飛んでおるのか。妾以外の手段で……」
「見逃してくれると助かるんだが」
「冗談じゃ。しかし、あとで話がある」
「……ああ。あとで、な」
そう、あとでだ。ここで終わりではない。
レッドボーダーの縁をぎゅっと握り、トウマは灼熱の巨人を険のある瞳で見つめる。
やるべきこと、やりたいこと。心の中で整理し、一致していることを確認。
その時、突然、急制動がかかった。
先ほどまで指先からしか放っていなかった魔力光。
魔力のレーザーが、今度は灼熱の巨人の前身から放たれようとしていた。
「玲那!」
「《ロータス・ヘキサ》」
すでに準備済みだった。
トウマの目の前に一つと二つと三つの蓮の花が現れ魔力光を遮り――爆発した。
それに巻き上げられ、トウマとレッドボーダーが宙を舞う。
「くっっ」
上昇気流に乗ってしまったが、ちょうどそれが目くらましになった。
「共犯者に手出しするなど、身をわきまえよっ!」
ミュリーシアが影をまとった巨人のつるはしを手に肉薄し、まるでそこが鉱脈であるかのように振り下ろす。
無敵と思われた巨人の装甲が、盛大に割れた。
灼熱の巨人の色が、徐々に薄くなっていく。いや、戻っていた。
先ほどの攻撃で、一気に魔力を使い果たしたのだろう。しかし、ここはダンジョンだ。黙っていても、勝手に回復する。
「であれば、消耗させ続けるしかないの」
赤い瞳に嗜虐的な光を灯し、ミュリーシアが影で編んだ杭を何百本も投げつけた。
「うおぉっとっ」
それを煙幕にして、トウマは赤銅の巨人の肩へ無事落下した。途中で軽く意識を失ったのか、少しだけ記憶が飛んでいる。
頭を振り指を動かしてみるが、痛みはどこにもない。
レッドボーダーが、落下の衝撃を緩和してくれたようだ。逆にいうとタワーシールドで殴りつけたようなものだが、些細な違いだろう。
とにかく、赤銅の巨人に取りつくことができた。煙や蒸気でかなりの高温のはずだが、指輪のお陰か不快さは感じない。もしかしたら、珍しく高揚しているのかもしれない。
息を整え、トウマは呼びかけた。
「我は、死者の声を聞く者。その未練と歩む者。死霊術師、稲葉冬馬が希う。汝の願いを、我が心に届け給え」
応えはない。
トウマは、焦らない。
「我は、死者の声を聞く者。その未練と歩む者。死霊術師、稲葉冬馬が希う。汝の願いを、我が心に届け給え」
もう一度。諦めることなく呼びかけた。
「――シテ、――シイ、――シテ、――シテ、シン――、――シテ、シン――、――シテ」
聞こえた。
確かに、聞こえた。
か細く。離れていたら、聞こえなかっただろう。
今にも消えてしまいそうな声だったが、間違いない。
「その願い、受け取った」
切実で、哀しい願い。
喜んでとは、いかない。それでも、無下にすることはできない。
稲葉冬馬は、死霊術師なのだ。
「魔力を50単位、加えて精神を25単位、生命を15単位。理によって配合し、不死種を理より解き放つ――かくあれかし」
攻撃をミュリーシアに。防御をレイナに。
すべて任せ、温存していた魔力。
それを、根こそぎ叩き込んだ。
「《ターン・アンデッド》」
赤銅の巨人が動きを止めた。
歯車と関節から音が聞こえなくなり、背中の煙突からも煙が出なくなった。
四肢が力を失い、膝が崩れ落ちる。
それは、トウマも同じだ。
目が一時的に視力を失い、ぞっとするほど手足が冷たくなる。それでいて、心臓は早鐘のように鼓動していた。
「終わりじゃな?」
「……たぶん」
投げ出されそうになったところをミュリーシアに抱きかかえられ。いわゆるお姫さまだっこの状態で、トウマが曖昧に答えた。
「あれが、魂の輝きかの」
「ああ……。そうだな」
「共犯者、目が……」
トウマの瞳は、光を映していない。
しかし、分かっていた。
赤銅の巨人だったものから、白く儚い光がいくつもいくつも立ち上っていっていることを。
それはきっと、地上に現れた天の川。
「あれは、リリィたちと同じなのです……」
「……最終的には、あたしたちも一緒ですよ」
あまり考えたくはないが、あの棺の中に収められた人間から魂を吸い取り動力にしていた。
恐らくは、そういうことなのだろう。
「共犯者よ……」
「ああ、言いたいことは分かっている」
「ならば、胸を張るが良い。それだけのことをしたのだ」
「……みんなでな」
「ああ。皆でな」
モンスターを倒し、ダンジョンの一階層を解放した。
それだけのことなのに、妙に感傷的になっていた。
「帰りたいな」
「そうじゃな。帰るとするかの」
戻るのではなく。帰る。
そう表現したことがくすぐったくて。でも、うれしくて。
その感情を大切に仕舞って、レイナたちと合流しようと翼をはためかせたその時。
「あれ? なんだ?」
トウマがポケットをまさぐり、鍵を取り出す。
リリィが硫酸の池に潜って回収し、出番のなかった鍵。
今になって、それが発光し震えていた。




