057.赤銅の巨人
歯車が猛烈に回る音がした。
再び、煙突から猛烈な勢いで煙が立ち上る。すり鉢状の空間が、霧に覆われたように白くなった。
「玲那、俺の後ろに!」
「は、はいっ」
レッドボーダーが振動する。
それに促されるように、トウマは盾を地面に押し立てた。両手でぐっと握り、衝撃に備える。
赤銅の巨人が、トウマたちに向けて十指をかざした。
関節という関節から蒸気が噴き出し、それが合図だったかのように指先から赤い魔力光が放出される。
世界が、赤い光で分断された。
「わわわっ。なんだかすごそうなのです!」
「出力の桁が違い過ぎるわっ」
警告するようにリリィが飛び回り、ミュリーシアが影術で壁を編み扉の向こうに並べた。
さらに、レイナがスキルの詠唱を始める。
「魔力を30単位。加えて精神を15単位。理によって配合し、なにものにも染まらぬ防壁と為す――かくあれかし」
トウマたちが開いた扉だけでない。
すり鉢状の空間全体に赤い魔力光が乱舞し、壁を天井を貫き爆発を起こした。瓦礫が、底へと溜まっていく。
「《ロータス・ヘキサ》」
一と二と三の蓮の花が重なり、三重の防御壁が虚空に出現した。
それは緑と桃色が入り交じった優しい光を放ち、魔力のレーザーを柔らかく受け止める。
しかし、受け止めきれない。ミュリーシアが言っていたように桁が違った。
「火属性じゃないのにこれですか!? 一応、最強格の防御スキルですよ!?」
あっさりと《ロータス・ヘキサ》を突破し、影術で編んだ壁を打ち壊す。
その余波を、レッドボーダーで受け止めるのが精一杯。
それ以前に――床が耐えきれなかった。
「きゃああああっっ」
「シア!」
「着地は任せよ」
床が崩落し、空へ投げ出されるトウマとレイナ。
ミュリーシアはドレスの裾から影を伸ばし、二人の腰に巻いてつり下げた。いつものハーネスのような安全対策などなにもない。
「うっ、ぐうぅ……っっ」
ミュリーシアが羽を生やして飛ぶと、その分の衝撃が内臓に襲いかかった。レッドボーダーを取り落としそうになったが、トウマはなんとか耐える。
「うっ、スキルはあっても体は普通なんですから……」
「だが、あのままだったら死んでいた。ありがとう、助かった」
「あたしも感謝していないわけじゃないですけど……」
なんとか、地上。すり鉢状の空間に降り立った。
壁から離れた、瓦礫などが落ちてこない安全な場所だ。
「それはまだ早いかもしれぬぞ」
しかし、そこは赤銅の巨人の足下でもあった。
改めて見上げると、圧倒される。大きいとか巨大とかいう言葉が陳腐に思えた。
20メートルか、30メートルか。ビルが意思を持って動いているようなものだ。威圧感は、それ以上に感じられた。
黄色い、直方体を横に倒した瞳が光る。赤銅の巨人は、明らかにトウマたちを認識していた。
「問答無用のようじゃの」
「どうします?」
逃げてもいい。だが、それではオーバーフロウの問題は解決しない。
「全力をぶつけよう。それで駄目なら、なんとか撤退する」
「必勝の信念とか、あたしたちには似合わないですからね」
「うむ。倒せぬまでも、相手の手札は確認せねばな」
「トウマがやるなら、リリィもやるのですよ!」
中途半端な対応は、全滅につながる。
トウマたちは素早く方針を決めるが、赤銅の巨人も沈黙はしていない。
背中の煙突群から、一斉に煙が排出された。
ぎゅいん、がこん。
歯車や関節が動く度に、耳をつんざく音がする。
瞳から、涙のように水が排出された。
頭上を見上げれば、赤銅の巨人が右の拳を握り左手を添えていた。
拳が向けられた先は地上――トウマたち。
関節から蒸気が噴き出し、肘から先の部分が射出された。
「腕を飛ばすとは、なんという発想じゃ」
先ほど魔力光を放出した腕そのものを発射し、トウマたちを押しつぶそうとする。
けれど、影を巻き付けたままだったのが幸いした。
ミュリーシアが翼をはためかせ、トウマとレイナはそれに引っ張られる。なんとか、空中へ回避。赤銅の巨人の拳が地面に大穴を開けた。
その衝撃波で、不安定な状態の二人が葉っぱのように揺れる。
「片腕を失っただけじゃったな」
「いや、ちゃんと考えているみたいだ……な」
すり鉢状の空間。その底を抉った拳が、蒸気を噴出して浮いた。そのまま、なにかに誘導されるかのように本体へと戻っていく。
「使い捨てじゃなかったのです」
「ならば、使い捨てにしてやるまでよ」
トウマとレイナをつり下げながら、ミュリーシアがぱっと羽毛扇を開いた。
影の杭が中空に現れ、逆回しのように飛ぶ巨人の腕へと襲いかかる。
狙いを過たず、その中心に命中した。
しかし、次の瞬間。ミュリーシアは赤い瞳を見開いた。
「無茶苦茶じゃないですか!」
レイナがサイドテールを揺らして、赤銅の巨人をにらみつける。
それも、当然だろう。
本気の一撃ではなかったとはいえ、ミュリーシアが編んだ影の杭はあっさりと装甲に弾かれてしまったのだ。
「やはり、神蝕紀の兵器のようじゃの。一筋縄ではいかぬわ」
「神蝕紀の……。その時代、こんなのが戦ってたってことですか?」
「それは、リリィの先祖も逃げたくなるな」
影につり下げられたまま、勇者と聖女はそろって首を振った。
そんな兵器がモンスター化して襲ってくるなど、悪夢以外のなにものでもない。
「リリィが、弱点を探してくるのですよ!」
「無茶するなら許可できないぞ」
「分かっているのですよ~」
金髪の三つ編みとワンピースの裾を盛大にはためかせ、腕が戻ったばかりの巨人へリリィが向かう。
双方ともに、避ける意思はない。衝突は必然。
「体の中を、隅々まで見ちゃうのですよ~」
内部から構造を調べ、弱点を見つける。
しかし、その目的は果たせなかった。
「あっ、いたぁっなのです。……あいた?」
異界の神ナイアルラトホテップを描いた飾り板。あのときと同じように、リリィは弾かれてしまった。
「うう……。さっきから、ずるばっかりなのですよ」
すみれ色の瞳を潤ませて、巨人を見上げる。
リリィと、赤銅の巨人の目が合った。
「魔法銀混じりの装甲とは、贅沢なっ!」
「……シア。それって、まさか……」
「……あれに殴られたら、リリィでもただでは済まぬぞ」
「そんなっ」
ゴーストの死。
それは、完全なる存在の消滅。
死霊術師でも、恐らくは神でも覆せない運命。
「リリィちゃん、早く戻ってくださいっ」
「はわわわわっっ」
赤銅の巨人に、意思などない。うるさい羽虫を払うように、元に戻った腕を横に薙いだ。
「リリィちゃん!?」
「《リコール・アライ》」
レイナの悲鳴が
赤銅の巨人の一撃は空を切り、リリィはトウマの隣に忽然と出現した。
あらかじめ使用していた《リコール・アライ》。契約したアンデッドを、即座に呼び出すスキル。
つまり、呼び戻すことも可能。というよりは、トウマは最初から緊急回避のつもりで使用していた。宝箱のトラップの時は、使う暇がなかったが……。
「びっくりしたのです……」
「無事で良かったです、ほんとにもう」
リリィを抱きしめるレイナを横目に、トウマは険しい視線をミュリーシアへと送った。
「シア、俺と玲那を地面に下ろしてくれ」
「……共犯者は、初めて言葉を交わしたときから無茶を言うのう」
「嫌だったか?」
「まさか。だからこそ、気に入ったのだ」
紅口白牙。
艶やかな唇から、白い牙が覗く。
存在自体の非常識さに押され気味だったが、ようやくいつもの余裕を取り戻した。
神蝕紀の兵器だろうがなんだろうが、ミュリーシアにとってはただの的。
「魔物は魔物らしく、魔力へ還らねばな」
二人をつり下げたまま、羽毛扇を閉じて前方を指し示す。
それに応じて、虚空に無数の杭が出現した。
「ほう。防御もできるか」
赤銅の巨人が、両手をかざす。先ほど魔力光を放ったときと同じような動作だが、さすがに連発はできないだろう。
選んだのは、ミュリーシアが言った通り攻撃ではなく防御。
指から放出された赤い魔力が、赤銅の巨人の前面で壁となって固定化した。
「バリアまで使えるんですか。小学生ですか!?」
影の杭たちが赤い障壁目指して飛び、その途中で寄り合わさって、ねじれ、回転し、ひとつになる。
巨大赤亀の再現。
円錐の杭が螺旋を描く。
回る。
回る。
回る。
赤い障壁を圧迫し、押し込んでいく。
赤銅の巨人の煙突から煙が立ち上り、関節から蒸気が噴き出した。
だが、貫けない。
代わりに、螺旋の杭と赤い障壁の双方が粉々に砕け散った。
「やはり、倒しきることはできぬか……。業腹じゃな」
その衝撃で、どうぅっと赤銅の巨人が転倒する。
最初の魔力光で脆くなっていた壁面が、さらに崩落する。その震動は、すり鉢状の空間全体に広がっていった。
壁面に並んでいた棺のいくつかが、地上へと落下する。
「崩落するんじゃないですか、ここ」
「じゃが、共犯者よ。時間は稼いだぞ」
「ありがとう。充分だ」
赤銅の巨人から距離を取り、久々に両足で地面を踏みしめた。棺や壁や天井が崩れた瓦礫で無惨なことになっているが、地面は地面だ。
険のある視線で、よろよろと起き上がろうとする赤銅の巨人を見つめる。
地上に降りる。即ち、行動の自由を確保するために最も必要だったもの。
時間を与えられたトウマは、死者に呼びかけを始める。
「我は、死者の声を聞く者。その未練と歩む者。死霊術師、稲葉冬馬が希う。汝の願いを、我が心に届け給え」
トウマが、意外そうに眉をひそめた。
これだけ棺があるのに、この場にあってしかるべきものがない。
だが、トウマの呼びかけに応えるモノが他にいた。
「魔力を40単位、加えて精神を20単位、生命を10単位。理によって配合し、不死者を創造す――かくあれかし」
暴れたい。
壊したい。
それだけを未練に、現世に残っている霊魂。
「《クリエイト・アンデッド》」
マグマとともに出現し、なにもできずに死んでいった炎をまとったスズメバチたち。
死霊術師の呼び声に応え、その身に負の生命力を宿して出現した。
ゾンビ、動く死体となって。
「……とんだマッチポンプだな」
トウマが、血を地面に吐き出した。声も表情も苦い。
だが、Win-Winであることもまた間違いない。
それこそ、トウマが目指す死霊術師の基本でもあった。




