055.デストラップ
レッドボーダーとミュリーシアの力で、元の部屋に戻り。
同じようにしてもうひとつの道へと移動したトウマたち。
継ぎ目のない白い壁と、ごつごつした天然の岸壁が入り交じる道をミュリーシアを先頭に進む。
曲がりくねっているので、少なくともローリングストーンが降ってくることはないだろう。
だが、念のため影で編んだ杭で地面や壁を叩きながら進んでいる。
時間はかかるが、安全には変えられない。
しばらく歩き続けているが、なかなか次の部屋にはたどり着かない。
途中、マグマのカーテンや池に遭遇したが危なげなく進んでいった。
「マグマのカーテンにも池にも慣れちゃったの、ちょっと複雑ですよね……」
「その盾のお陰で消耗は最低限に抑えられたと、前向きになるしかなかろう」
「そろそろ、終わりにしたいところだが……」
トウマの願望をダンジョンが叶えたのか、どうか。
真相は不明だが、何度目かのマグマのカーテンの向こうに拓けた空間が出現した。
5メートル四方程度の、今までに比べれば小さな部屋。
自然の洞窟のような地面や天井。それとは対照的に、正面には祭壇のような場所があり大型の収納箱が安置されている。
さらに、その背後には3メートルほどの飾り板がはめ込まれている。
そこには、顔の部分が塗りつぶされた細身の男性が描かれていた。
「あれは、異界の神じゃな」
「ですね。光輝教会では異界の神の姿を描くのは禁止されているので、参考に見せてもらっただけですが」
「そうだったのか」
「ジルヴィオ・ウェルザーリ……。ほんとに、やる気なかったんですね……」
「その代わりに、娼館の情報を教わっていたわけじゃな」
「ジルヴィオ・ウェルザーリ……っっ」
レイナが、ぎりっと奥歯を噛む。
美少女がしてはいけない顔を続けさせてはいけない。トウマは、飾り板からもうひとつのオブジェクトに意識を向けることにした。
「気になるのは、このチェストか……。まさか、宝箱じゃないよな?」
「まさかが起こるのが、ダンジョンじゃがの」
「魔力異常で発生するのは、モンスターだけじゃありません」
トウマと違い、光輝教会からきちんと教わっていたようだ。
その一点でも、レイナは長く使うつもりだったことが分かる。
「そのレッドボーダーのようなマジックアイテムも出現しますし、最初からなんらかの物品の形を取ることもあります」
「じゃが、大抵は意地の悪いトラップとセットじゃな」
「ダンジョンという空間が生まれたのは分かる。魔力異常で、モンスターやマジックアイテムが出現するのも。だが、底意地の悪い罠が存在するのはどうしてなんだ?」
トウマの素朴な疑問に、ミュリーシアとレイナが顔を見合わせる。
「ダンジョンが一般化したのは、神蝕紀の後。つまり、旧き神の肉体が砕けて魔力が拡散してから。その構造に、旧き神の思想や趣向が混入しているのではないかって習いましたね」
「旧き神を殺害した際、同時に異界の神の悪意も拡散されたというのが“魔族”の共通認識じゃな」
「神のみぞ知るということか」
なにが起こっても、「ダンジョンだから」で処理したほうがいい。
レッドボーダーを構え直し、トウマは割り切ることに決めた。
「難易度はともかく、どうしようもなく攻略不能なダンジョンというのも存在しないようですしね」
「うむ。レイナの言う通りじゃ」
旧き神にしろ、異界の神にせよ。神には違いないのだから、世界に決定的な不都合は起こさないということだろうか。
「じゃあ……先に、あの飾り板を調べるか」
チェストは、あまりにも怪しすぎた。
しかし、壁の浮き彫りを確認するが、なにも起こらない。なにも見つからない。先ほど拾った鍵をさせる様な場所もなかった。
かといって、飾り板も見かけだけというわけではなさそうだった。
いつものようにリリィが通り抜けようとしたところ、ぽんっと軽く弾き返されてしまったのだ。
「あれ? なにが起こったのです?」
「なにかありそうだな」
「なにかありますね」
「不死種を退ける……か。魔法銀でも混じっているのかもしれぬな」
「それは、溶かしたら高く売れそうですね」
光輝教会にはいろいろあるが、神や信仰を否定するまでではない。罰当たりと、トウマが軽くレイナの耳を引っ張る。
「もう、なにするんですか」
レイナが、うれしそうに背中を叩いて反撃した。
それを放置し、ミュリーシアは振り返って背後のチェストを赤い瞳で見つめる。
思案投首。首を傾げて考え込む様は、旧き神の似姿にも劣らない。けれど、いらだたしげに羽毛扇を開くだけ。
結論はひとつだが、実行するには躊躇しかない。
「そうなると、これを開けるしかないかの」
「露骨に怪しいのが、あれですよねぇ」
「妾が箱を破壊する手もあるが」
「壊してから後悔しても遅いからな」
「ここはリリィにお任せなのですよ!」
旧き神の飾り板にパンチやキックや体当たりを仕掛けていたリリィが、チェストの上へと移動した。
「トウマ、ちょっくら箱の中身を覗いてくるのですよ!」
「頼む。でも、なにかあっても触れないようにな」
「任せるのですよ!」
リリィが頭を下にして箱の中へ頭を突っ込む。
今度は跳ね返されるようなことはなかったが……。
「空っぽだったのです!」
「なにも入ってない?」
「これは、開けるしかないか……」
「ですね……」
間違って腐った血を口にしてしまったような顔つきだったが、ミュリーシアも反対しなかった。
「こちらも、鍵穴はないようじゃな。このまま開くぞ」
羽毛扇をぱっと開き、ドレスから影が伸びる。それを器用に操って、両脇から持ち上げるようにして箱を開く。
トウマは、レイナを背後にかばってレッドボーダーを構える。
ふたが開いた。
「……なにもないな」
「リリィの気のせいであって欲しかったのです」
しかし、中身は空。人一人入れそうな内部には、空気しか詰まっていなかった。
「でも、なにか仕掛けが……」
「ふたの裏側に、突起があるようじゃが」
「あ、本当ですね。押してみます?」
「妾がやろう」
ふたを開くときと同じフォーメーションで、上蓋のボタンを押す。
しかし、なにも起こらなかった。
「肩すかしもいいところじゃな」
「だけど、意味もなくこんなものを用意するか?」
「もうちょっと調べましょう」
箱の四隅まで。文字通り隅を突くように目をこらし、実際に箱の中に入って調査を続ける。
中ではなく外に仕掛けがあるのではないかと当たりを付け、空振りし。
さらに試行錯誤を繰り返したところ、ひとつの結論に達した。
「このボタン、ふたを閉めたら動作しそうですね」
「またしても、リリィの出番なのですよ!」
三日連続カレーだったとばかりに、げんなりするレイナ。
対照的に、リリィは絶好調。すみれ色の瞳が爛々と輝いていた。
「リリィ、俺も一緒に……」
「普通に足手まといなのです」
「そうなんだよな」
トウマは険のある瞳をチェストへ向けて、軽く息を吐いた。
「リリィ、頼んだ」
「お任せなのです。トウマたちは、念のために離れておいて欲しいのですよ」
返事を待たずに、リリィはチェストの中に消えてしまった。
離れるといっても、部屋はそれほど広くない。それに、出入り口には溶岩の滝がある。結果として、部屋の隅へ移動するのが精一杯。
「そろそろ行くのですよ~」
ややくぐもった、リリィの声。
元気な声に、なんとなく癒された直後。
チェストが吹き飛んだ。
「はい?」
木製の箱が爆発で内側から破壊され、うねうねとマグマが溢れ出した。まるで、ヘビ花火のよう。不気味で、なによりも危険極まりない。
「リリィ!?」
「共犯者! それよりも、目の前の心配をせよ」
流れ出す大量のマグマ。
あれに飲み込まれても、リリィなら大丈夫。それに、死霊術師の感覚はリリィが健在だと告げていた。
「魔力を10単位。加えて精神を5単位、生命を5単位。理を以て配合し、排斥の鎖を編む――かくあれかし」
こんな状況でも。いや、だからこそトウマの詠唱は正確だった。
「《エボン・フィールド》」
「助かりました」
「いや、安心するのはまだ早いようじゃぞ」
黒い負の生命力の結界を展開し、一息ついたのも束の間。
マグマの中から、手のひら大のなにかが飛び出してきた。
――無数に。
「ここでモンスターですか!?」
ぶんぶんぶんと不快な羽音を響かす、炎をまとったスズメバチ。
恐らく、100は下らない。いや、それ以上か。
複眼が一斉にトウマたちを捉え、大あごがキチキチと音を立てる。
一匹一匹は、ミュリーシアに遠く及ばない。しかし、
巨象をも打ち倒す蟻の群れだ。
「ちょっと、虫は苦手なんですけど」
「それ以前の問題であろうよ」
巨象に群がる蟻。それは確かに、厄介極まりない。
「魔力を20単位。加えて精神を10単位、生命を10単位。理を以て配合し、黒妖の暴君を解き放つ――かくあれかし」
しかし、象は殺せなくても蟻を殺せる攻撃を広範囲ばらまけるのであれば問題はない。なにも、問題はない。
「《フェイタル・レイン》」
トウマが、喉からこみ上げる血をなんとか嚥下したその時。
――黒い雨が降り注いだ。
しとしと、しとしとと。負の生命力の雫が正の生命力を奪っていく。
長時間浴びなければ、普通の人間でも風邪を引く程度で済むだろう。海賊のスケルトンに使用した《コラプス・フェザー》には比べるべくもない。
しかし、この群れには致命的だった。
ぽとりぽとりと。
まるで殺虫剤を浴びたかのように、炎をまとったスズメバチたちが落下していく。ぴくりぴくりと痙攣し、やがて複眼から光が消える。
最後には魔力へと還元され――消滅した。
「さすがに、血が凍るかと思うたぞ」
「シアが言うと、ちょっと洒落にならないな」
「洒落にならないのは、あのハチですよ。あんなのに集られたらと思うと……」
ぶるりと、レイナが体を震わせた。
自然に肩を抱き寄せると、トウマは険のある瞳を周囲へと向ける。
やはり、モンスターと連動していたのか。マグマの湧出は、すでに止まっていた。溢れ出た分も、最初の時と同じく冷えて固まっている。
「あとは、リリィを探さねばな」
「ああ、それなら大丈夫だ」
「トウマーー!」
「リリィちゃん!?」
トウマの予言通り。
溶岩の滝を素通りして、リリィが戻ってきた。
「うむ。息災でなによりよの」
「心配かけたのです。気付いたら、コウランがいた部屋にいたのです」
「石炭が出た、最初の部屋にか」
「転移の罠とは悪辣な」
「先に倒してたから良かったですけど、下手をしたらあれと一対一だったわけですか。うわっ、やばいですね」
「シアやリリィなら、心配はないけど……」
それは二人が規格外というだけ。
マグマのトラップで即死するよりはいい……とは、ならない。
「なんだかすごいことになってるけど、道ができたのですね」
「道? どこの話を……」
リリィに言われて、ようやく気付く。
異邦の神ナイアルラトホテップが描かれていた、飾り板。それが溶岩の圧力に負けて押し出され、その背後に空間が現れていた。
「ああ……。神様のレリーフを破壊するのが最適解だったわけですか……」
「いや、普通そんな罰当たりなことしないだろ」
祖父に育てられたトウマの価値観がこちらで一般的かは分からないが、巧妙な仕掛けだったことは間違いない。
「そろそろ、階層核との邂逅といきたいものだの」
ミュリーシアの声が、闇へと吸い込まれていく。
ほの昏い道が、さらなる地下へと続いていた。




