051.探索スタート
マグマのカーテンと、両断されたローリングストーン。
レイナは、前後の脅威を順番に指さした。
「あのローリングストーンから逃げ続けてたら、このマグマに正面衝突……ってことだったわけですか?」
「ああ。まったく、ミュリーシアには足を向けて寝られないな」
「今のところ、その心配はないがの」
「どれだけ寝相が悪いんだって話ですよね」
「物理じゃなくて心情の話なんだが……」
むわっとする熱気に不満を抱いているのか、就寝環境に顔をしかめているのか。トウマの表情からは、判断が出来ない。
ともかく、この悪意しか感じられないトラップから逃れられたのはミュリーシアのお陰。
感謝しすぎるのはよそよそしいが、より一層気を引き締める必要はありそうだった。
「トウマ、トウマ。ちょっと、向こう側を見てくるのですよ」
「なるほど。偵察か……」
「重要じゃな」
トウマは、ちらりとリリィのすみれ色の瞳を見る。
すぐに視線を外し、天井を見て考え込む。
その間、リリィは先走ったりしない。じっと命令を待っていた。
「リリィちゃん、ちょっと犬っぽくありません?」
「どうして満足そうなんじゃ?」
レイナは腕組みしてうなずいた。なぜそんな態度になるのか、ミュリーシアには理解できない。
「少しずつ慣らしていこう。まずは、このマグマの裏側だけ様子を見てきてくれ」
「了解なのです! 部屋に入ったら、すぐ戻って来るのです!」
びゅんっと音がしそうな勢いで、リリィがマグマのカーテンに突っ込んでいく。
もちろん、物理的にはなにも起こらない。飛沫ひとつ発生せず、青いワンピースのリリィは向こう側に消えた。
「本当に、なんともないんですねぇ」
レイナが、二重のくっきりとした目を驚きで見開く。
今の光景だけを見たら、マグマのほうがホログラムに思える。だが、それはあり得ない。離れていても息苦しいほどの熱は、本物だ。
「分かっていても、あれを当たり前みたいにすり抜けていくのは驚くよな」
「とはいえ、あまり過保護でもの。本人のやる気を削ぐだけだからの」
「ああ。実際、慣れなくちゃいけないのは俺のほうだろうな」
「む、むむう……」
二人が、子供の教育方針を話し合う親子のようで。違うと分かっていても、レイナは疎外感を憶えてしまう。
思わず、間に割って入ろうとした……その時。
「戻ってきたのです!」
「は、早かったですね?」
なぜかサイドテールをいじっているレイナに疑問符を浮かべつつ、リリィはトウマの目の前に浮かんで大きく手を挙げた。
「向こう側は、分かれ道になっていたのですよ~」
「分かれ道のう。よう、その先に進まず戻ってきたの」
「約束は守るのです!」
「ありがとう。リリィは偉いな」
「ほめられたのです! ちなみに、分かれ道にもそれぞれマグマが降ってきていたのです!」
「このダンジョン、サイコパスかなにかですか?」
偏執的な構造に、レイナは目の前でバスを逃した時のようなうんざりとした表情を浮かべる。
「いくつかダンジョンに潜ったことありますけど、ここまでじゃなかったですよ?」
「妾も、移動するのにここまで気を遣うダンジョンは知らぬな」
「生きていると、不便なのです。でも、トウマがいなかったらリリィたちはあばばばばーって感じだったのですよ」
生きていても死んでいても苦労はあるようだ。
そんな救いのない結論が出る前に、トウマは話を進める。なんにせよ、このダンジョンを放置するという選択肢はない。
「マグマそのものよりも、熱のほうが俺と玲那には脅威かもしれない」
「あー。確かに、そうですね……」
「なんにせよ、スキルでどうにかするしかないな」
「あたしのスキルだと、どうしても熱とは相性が悪いんですよね」
「むべなるかなよの。緑の聖女だからの」
「じゃあ、そこは俺が受け持とう」
トウマは、ミュリーシアとレイナが効果範囲に入っていることを目視で確認。
「魔力を10単位。加えて精神を5単位、生命を5単位。理を以て配合し、排斥の鎖を編む――かくあれかし」
口の中に血が滲む。それを吐き出さず、トウマは無理やり飲み込んだ。
「《エボン・フィールド》」
黒騎士の攻撃を遮断した結界が、トウマたちを覆った。
「これで、マグマそのものと熱は遮断できるはずだ」
「あ、ほんとです。だいぶ涼しいですね」
「だったら、ちゃんと首のリボンをするように」
「やですよ。かわいくないですし」
「そうか……」
何度となく注意してきたが、『かわいくない』と反論されたら絶対に聞かない。
トウマは、早々に諦めた。それに、そんな場合ではない。
「共犯者よ。では、行くかの」
「ああ。絶対に守る」
トウマたちに合わせて、黒い結界も移動する。
その外周にマグマが触れ――そのまま表面を滑り落ちた。
「これ、下手しなくても即死ですよね」
「即死できないほうが辛そうだな」
スキルに自信はあるが、世の中に絶対はない。あったら、トウマもレイナもここにはいないだろう。
「なかなか面白い光景じゃが、そうも言っていられぬの」
「残念なのです」
マグマのカーテンを、恐る恐る。それでいて素早く抜けた。
「ふう……」
「そして、またマグマなんですよね」
レイナが緑がかった瞳を室内に向ける。
それほど大きな部屋ではない。リリィが言った通り、左右に同じようなマグマのカーテンがあった。
「どちらへ行く?」
「また、見てくるですか?」
「いや、時間は掛けられない。待ってる間も《エボン・フィールド》が削られてるんだ」
「ええっ!? 一大事なのです」
結界の色が、かなり薄くなっていた。あと一回が限度だろうかと、トウマは当たりを付ける。
「なら、右にするかの」
「賛成」
ヒントもなにもないのだ。迷うだけ無駄。
だから、方針をさっと決めてもらえるだけありがたい。
レイナも反対はせず、先ほどと同じようにマグマのカーテンを抜ける。
「行き止まり……ですかね?」
そこは、今までの白い人工的な壁面に天然の岩が融合したかのような空間。
背後でマグマのカーテンがぞっとするような影を作り出し、目の前にはマグマでできた沼があった。
「あのマグマ溜まりに潜れと言われぬ限りは、そうであろうな」
「そうか。そういう可能性もあるのか……」
「やっぱり、このダンジョンはサイコパスですよ」
「まだ、そうと決まったわけじゃないけどな」
レイナへ返事をしつつも、意識はリリィへと向いていた。
険のある瞳に決意を宿し、トウマは命じる。
「リリィ、頼む」
「任されたのですよ~」
花のような笑顔を浮かべ、リリィが飛んでいった。
目指す先は、マグマが溜まった沼。自殺行為でしかないが、ゴーストであるリリィにはそれこそ無関係。
「やるじゃないですか、センパイ」
「やるではないか、共犯者」
「なんで同じリアクションをされてるんだ」
マグマが発する熱気に比べるべくもない、微温い視線。
それを手で払いのけ、リリィへと意識を集中させる。
マグマに潜ったら、スケルトンシャークに使用したのと同じ視覚の共有をする。
《エボン・フィールド》の維持に気を遣いながらタイミングを計っていると、突如としてリリィが上に進路を変えた。
「リリィ!?」
「この中に、なにかがいるのです!」
マグマの沼から、巨大ななにかが立ち上がった。
温泉からお湯が溢れるように、マグマがこちらへ流れてくる。
あれに触れたら……想像もしたくない。
トウマは、慌てて《エボン・フィールド》を張り直す。同じスキルは二重にはならず、効果が薄れていた結界の代わりに出現する。
「真っ赤な亀さんが出てきたのです!」
「さんづけするには、ちょっと凶悪すぎません?」
出現したのは、甲羅だけでなく全身赤い亀だった。
鋭い眼光と、凶悪な面構え。どちらかというと、スッポンを連想する。
部屋を埋め尽くすような巨大な亀を、それでもなお亀と呼べるならばだが。
ずしんっと、音と振動を立てて巨大な赤亀が踏み出す。
同時に、凶悪な顔で口を大きく開き――赤を通り越して白熱した光球が出現した。




