050.ダンジョン&ドラクル
「じゃあ、シア。血を吸ってくれ」
「……そうなりますよねぇ」
「おー。ミュリーシアがトウマの血を吸うですか~」
レイナはやれやれと肩をすくめ、なぜかリリィは拍手をして盛り上がる。
一方、ミュリーシアは真剣な表情で見つめられ後退っていた。
「にゃ、にゃにを言うのだ共犯者!?」
「万全の状態で立ち向かうべきだろう?」
「それはそうじゃが……なぁ?」
赤い瞳を逸らし、ミュリーシアはレイナに視線を送る。
しかし、怒るでもなく平然としたもの。
「あたしからは、なにもありませんよ」
「逆に不気味なのじゃが」
レイナは答えない。
トウマが吸血行為に特別意味を見いださない限りは問題ない。
と、スルーすることに決めたようだ。
そのため、挙動不審なのは血を吸う側だけ。
「嫌だというのであれば、無理にとは言わないが……」
「嫌なわけがなかろう」
気付けば、哀しそうに目を伏せるトウマの肩をぐっと掴んでいた。衝動的な行動。やってから、はっとするがもう遅い。
「そうか。それは良かった」
さっきまでの真剣な表情ではない。安心したような微笑み。
こうしてみると、やはり幼く見える。
普段とのギャップに、ミュリーシアの牙が疼いた。
「レイナ、リリィはこういうのを見せられてきたですよ?」
「同情します」
「外野は黙っておれっ。やりにくいわっ」
命令のように見えるが、実質的に懇願だった。
「あー、なんじゃ。共犯者よ」
「ああ。なんだ? 温泉に入ったばかりだから、衛生的には問題ないと思うが」
「そうではないわっ」
見当違いの心配に、思わず赤い瞳を見開いた。
直後、冷静さを取り戻す。
これが、トウマなのだから。
だから、血が欲しいと思ったのだ。
銀色の髪をかき上げ、咳払いをひとつ。
「これは、必要だから吸血するとか、ダンジョン攻略を有利に進めるためとか。そういうことではなしにじゃな……」
「え? ああ……」
最初から最後までそういう話のはずだったが、とりあえずトウマはうなずいた。
ミュリーシアの宝石のような瞳は、徹頭徹尾本気だったから。
「これは、妾が共犯者……の血を欲しての行為である。それを、努努忘れるでないぞ?」
「う、うん。そうか」
人間も、栄養補給のためと割り切るよりは楽しんで食事を楽しんだほうが精神的にも良い。
そういうあれこれが、ドラクル的にもあるのだろう。
よく分からないが、制服のボタンを外して受け入れ態勢を整える。
「伝わっておらぬな……」
トウマはよく分かっていないようだったが、ミュリーシアが言葉を重ねることはなかった。
あの甘露を思い出してしまい、もう我慢の限界だったから。
「ゆくぞ、共犯者」
「あ、ああ……」
ぷつりと、白い牙がうなじに沈んでいった。
レイナはそっぽを向く。だが、横目で見える程度の角度だった。
リリィも、手で目を覆う。ただし、指と指の間は離れていた。
「ふっ、ふあ……」
我慢をしても、鼻から息が漏れる。それがミュリーシアの美しい髪を踊らせた。
ある意味、当然の流れ。なのに、妙に恥ずかしい。トウマは、呼吸を止める。そのせいで、意外と幼い相貌が赤く染まった。
そんなトウマを抱きしめて、ミュリーシアは一心不乱に血を嚥下していた。
何度吸っても、格別。
どこからどこまでも、特別。
夏の高原を抜ける薫風のようにさわやかで。
新婚初夜のように甘く熱く刺激的。
相変わらず、我を忘れてしまいそうになる。
このまま、溺れてしまいたくなる。
それでも、ミュリーシアはドラクルの姫でありアムルタート王国の初代女王である。
鋼の克己心を総動員し、吸い過ぎになる寸前で、なんとか牙を引き抜くことに成功した。
「共犯者、馳走になった」
白魚のような指で、唇をなぞる。
その妖艶な仕草は、陽光の下でも色あせることはない。
「もう、いいのか?」
「うむ。力がみなぎっておるわ」
「そうか……」
しかし、トウマは制服のボタンを戻しながら首を傾げる。
「いやいやいやいや。なんでそこで残念そうにしてるんですか、センパイ」
「今までに比べて短かったなと思ってな」
「なにを異なことを。妾は充分満足しておるぞ」
「それならいいんだが、俺に飽きられたら困るなと」
「共犯者……」
「センパイ……」
「なんで、そんな目で見られているんだ?」
実際、ミュリーシアがトウマの血の味に飽きてしまったら他にはレイナしかいない。
そのレイナに飽きてしまったら、今のところ他には誰もいないのだ。
「妾は、そんなに贅沢ではないわっ」
「センパイ、そんなことを言ってるといつか肉食獣にぱくりといかれちゃいますからね?」
「ああ、うん……。俺が悪かったみたいだな」
理由を教えてくれないようなので、トウマはひとまず頭を下げる。
「それって、今までミュリーシアが吸い過ぎだったってことなのです?」
その直後、リリィが素朴な疑問の形をした爆弾を投げ込んだ。
純真であるほど、威力は絶大。
「なっ、にゅのわーーー」
「リリィちゃん、世の中には口にしなくてもいい疑問というのがあるんですよ?」
「なんだかよく分からないけど、分かったのです!」
それは、レイナがフォローに回るほどの破壊力だった。
ダンジョンの門を開くと同時に、トウマたちは内部に転移した。
瞬きするほどの間に移動したのは、縦横10メートルほどの広くて白い空間。なだらかな坂のようになっており、下へと続いている。
壁自体がうっすらと発光しており、視界は支障ない。
幽霊海賊船のときのように、霧に包まれているということもなかった。
「ふあわわっ。門がないのですよ!? 消えちゃったのです!」
「心配はいらぬぞ。一定時間が経過すれば、再度出現するようになっておるのだ」
「そういう仕組みか」
逆に言うと、しばらくは撤退できないということになる。
油断していたつもりはないが、トウマは改めて気を引き締めた。
「とりあえず、真っ直ぐ進むしかなさそうだな」
「うむ。妾が先頭を行こう」
「リリィも前に出るのですよ~」
「確かに、それが一番効率的……か」
トウマは、否定しなかった。
ただし、顔をしかめてはいる。
「じゃあ、先にいくつか死霊術をかけておこう」
「はいなのです!」
攻撃力を上昇させる《ネクロ・エッジ》、負の生命力を展開して攻撃から身を守る《ネガティブエナジー・オーラ》、合図ひとつで契約者の下へ瞬間移動させる《リコール・アライ》などの死霊術を使用していく。
「なんだか強くなった気がするのです!」
「リリィちゃんが、気持ち禍々しく……」
墨のように黒いオーラに包まれているリリィを見てレイナが若干引き気味になるが、必要なことは分かっている。それ以上は、なにも言わなかった。
「今のリリィなら、どんな相手も倒しちゃうのです。でも、空腹には勝てないのですよ~」
「ここから出たら、たくさんご飯食べような」
「期待してるのです!」
先頭は、やや浮かれ気味なリリィと落ち着き払ったミュリーシア。
その後ろを1~2メートルほど離れてトウマとレイナが並んで移動を開始した。
「しかし、入り口からこの大きさだとかなり大規模なダンジョンなんじゃないですか?」
「可能性はあるのぅ」
周囲を警戒しつつ、白い通路を下っていく。
まるで、オデュッセウスや伊弉諾尊のようだ。
ただし、周囲は神話のような光景とは言いがたい。
「コンクリート打ちっぱなしって、感じですね」
「でも、継ぎ目はないな」
「言われてみると確かに。これだけ立派だと、ミュリーシアでも壊せないんじゃないですか?」
「行き詰まったら試してみるとするかの」
話を聞いていたらしいミュリーシアが、羽毛扇をぱっと開いた。
それに呼応して、影から巨人つるはしが這い出てきた。
「山のほうを見にいくということで、持ってきて正解じゃったな」
「どういう理屈で仕舞ってたんだ?」
「単に、影で掴んで同化していただけよ」
「三次元を二次元に変化させていた……のか?」
理屈はよく分からないが、今までは普通に手で運んでいたのだ。あまり効率は良くないのだろう。
トウマは、気にするのをやめた。
「それにしても、なんだか蒸し暑いですね」
それよりも、隣のレイナが制服の胸元をぱたぱたしているほうが気になった。ただでさえも、着崩しているというのに。
「だから、それははしたないと言っているだろう」
「センパイ、熱いのは仕方ないじゃないですか」
「まあ、そうなんだが……。火口の近くにあったダンジョンだから……なのか?」
「例外も多々あるし、なんとも言えぬの。耐えられぬようならば、なにがしか対策を考えねばならぬな」
ミュリーシアが気遣わしげに答えたその時。
ガコンッ。
背後でなにかが作動する音を、全員が聞いた。
「トウマ、岩が転がってくるのですよ!?」
「岩?」
岩。
それは確かに岩だった。
天井の一角が開いて、この広い通路を埋め尽くすような巨岩が転がり出す。
「押しつぶされる!?」
「させぬよ」
トウマがレイナの手を取って駆け出そうとしたところ、ミュリーシアがふわりと立ちふさがった。
「やはり、持ってきて正解であったな」
猛烈な勢いで回転する巨岩。
ローリングストーンを前にしても、ミュリーシアは動じない。
泰然自若。慌てず、騒がず。そうするのが当然かのように――巨人のつるはしを投擲した。
「ほう。じゃが、これで終わりよ」
ローリングストーンは、つるはしの一撃を受けても壊れなかった。
だが、それを押し込むように放たれた影の杭には耐えられなかった。
ゆで卵を割るかのように綺麗に両断され、上半分が滑り落ちる。
それに被さるように下半分が衝突し、しばらく進んで止まった。
まるで、断頭台からこぼれ落ちた生首のよう。
「ありがとう、ミュリーシア。助かった」
「なに、この程度どうということはないわ。血の代価にしては安すぎるというものよ」
「そうですよ。センパイの生き血なんですからね」
「勝手に値をつり上げるのは止めて欲しいんだが」
危機を脱したことで、思わず軽口が出た。
「人間は大変なのです。ゴーストは便利なのですよ~」
真っ二つになった元ローリングストーンを透過して遊ぶリリィの姿には、思わず苦笑いが出る。
「よし。また気をつけて進もう」
「悪質なダンジョンだと、こういうタイミングで次の罠が来たりするんですよね」
経験者であるレイナ言葉にうなずき、トウマたちは再び入り口から続く通路を進む。
慎重に歩き続けること数分。
下り坂は終わりを告げた。
結局、次の罠はなかった。
しかし、それは次なる難関の始まり。
「これは、ちょっとなんだ……」
「ヤバくないですか、これ?」
行く手を塞ぐのは、滝のように降り注ぐ溶岩。
いわば、マグマのカーテンだった。




