049.火口の門
「共犯者、共犯者よ」
「センパイ、起きてください」
「つんつん、つんつん……なのです」
「あ、ああ……」
どの刺激が決定打なのかは分からないが、とにかく外部からの刺激でトウマの意識が急速に浮上した。
時間を確認しようと携帯電話を探し……パシャパシャという水音がして眉をひそめる。
それは日本にいた頃のルーティン。携帯電話は持っていない。光輝教会が保管か処分か。どちらかを、しているはずだ。
それ以前に、地面の上にいない。
温かなお湯の上に浮いていた。
「……俺、なんで溺れてないんだ?」
「それは、妾が支えておったからよ」
上から聞こえてきたのは、銀の鈴を転がしたようなミュリーシアの声。
ふと見れば、腰の辺りに黒い帯が巻かれていた。いきなり、有段者になったわけではない。ミュリーシアが影術で編んだ帯で沈まないようにしてくれていたのだ。
「ちなみに、あたしもミュリーシアも着替えているので見ても大丈夫ですよ」
「ありがとう。それが、今一番欲しかった情報だ」
声がした位置からして、レイナは岸のほうにいるのだろう。
思い切って顔を上げると、ミュリーシアが逆光に包まれていた。
淡く柔らかな光に包まれた、翼を生やしたドラクルの姫はあまりにも幻想的。銀色の髪は本物の宝石のようで、黒いドレスに映えていた。
現実が夢に侵蝕されたかのようで、ぼうっと眺めることしかできずにいた。
リリィに頬を突かれていても、まったく気にならない。
「共犯者よ、いかがした? まだ寝足りないのかえ?」
「いや、見とれてた」
「なっ!? ぐぬ、否! 妾は知っておるぞ、それが裏表のない言葉だとな」
「まあ、そうだな。嘘をついているつもりはない」
「違う! 深い意味のない言葉だと言いたかったのじゃ」
完全に、額面通り。他意はない。ただまっすぐに事実を突きつけただけ。
ブレーキをかけずに車が向かってきたら、どうなるかというだけ。
ただでは済まない。
「ミュリーシア。自爆してないで、早くセンパイをつれてきてください」
「くっ。今日はこの辺にしておいてやるわ!」
なぜか三下のような捨て台詞を吐いて、ミュリーシアがトウマを牽引した。
水面から持ち上げられ、横になったままレイナが待つ岸へと搬送される。
「海難救助者みたいだな……」
「リリィが知らせたのですよ!」
「ありがとう、助かったよ」
併走しながら、リリィはなおもトウマの頬をつんつんと突いていた。もちろん、いつもの水色のワンピースに戻っている。
「それ、楽しいのか?」
「楽しいのです!」
「まあ、それならいいんだが……」
しかし、楽しい時間は終わってしまうもの。
岸まで運ばれたトウマは、久々に両足で地面を踏みしめた。
髪は重たく、服はそれ以上に重たい。指の皮はふやけて、ふにゃふにゃになっていた。
けれど、気分は悪くない。大きく伸びをして、濡れた服はそのまま乾かすに任せる。
「それにしても、センパイが眠っちゃうとは思いませんでした。リリィちゃんから聞いて、びっくりしましたよ」
「やはり、よく眠れなかったのではないかの?」
「そんなことはないけどな。少なくとも、自覚はない」
「となると、疲れが溜まっておったということかの」
さもありなんと、さっぱりとしたミュリーシアが羽毛扇をぱっと開く。
「やはり、働きづめなのは良くないの」
「完全週休二日制の導入が不可欠ですね」
「まあ、リフレッシュできたから大丈夫だろう」
ベッドのことを言っても解決は難しいので、トウマは前向きに未来へ進むことにした。振り返らない。前を見れば、そこに希望はあるはずだ。
「とりあえず、“王宮”へ戻るかの?」
「そうですね。これ以上の無理は、良くないでしょうから」
「“王宮”へ帰って、ご飯なのです!」
「ちょうど、昼過ぎぐらいか……。温泉の後だし、またシャーベットでも作ろうか」
「いいですね。まだまだ改良の余地がありそうですしね」
ということになり、トウマの服がもう少し乾くのを待ってから空の人になった。
温泉で温まった体に吹き付ける風が、快い。湯冷めには注意が必要だが、今はこの気持ち良さに浸るのも悪くないだろう。
「当初の予定とは異なるが、良い体験であった」
「俺たちの世界じゃ、皇帝も愛したらしいからな温泉」
「じゃあ、ミュリーシアの湯とでも名付けます?」
「なぜ人名をつけたがるのか。フジの湯で、いいのではないかの?」
「グリフォンが消えてますけど?」
どこかの銭湯のようなので、それはこの異世界情緒溢れる場には合わないのではないかとトウマは思う。
けれど、グリフォンの湯というのも微妙だ。
「でも、グリフォンの湯だとグリフォンが温泉に入りに来てるみたいじゃないか?」
「確かに……。雪とか降ってそうですね」
「それはニホンザルのイメージだな」
「お猿さんが温泉に入るですか?」
見てみたいのですと、リリィがミュリーシアの回りをアクロバット飛行する。
三つ編みやワンピースの裾がダイナミックに舞うのも、もう見慣れた日常の光景。
「うむ。猿を移住させるわけにはいかぬであろうが、いずれ憩いの地としたいものよ」
「あれ? 変なのです」
「リリィ、どうかしたのか?」
「山の上で、なにかが光ったのです」
さっと、緊張が走る。先ほどまでのリラックスムードは、一瞬で消え失せた。
「なにかって……確かめに行くほうが早いか」
「そうじゃな」
誰も、見間違いなどとは言わない。
なにもなければ、それでいいのだ。確かめる前に疑う必要はない。
それに、火口へと向かうとリリィの言葉が正しいことがはっきりとした。
「門……か? なぜか、宙に浮いてるが」
「ミュリーシア、これ……」
「レイナも気付いたか。間違いあるまいよ」
レイナが知っていて、自分は知らない。
そして、ミュリーシアは知っている。
その事実と、目の前の現実。それを考え合わせると、ひとつの答えがトウマの脳裏に浮かぶ。
「もしかして、ダンジョンの入り口ってやつか?」
否定の言葉はなかった。
つまり、それが答え。
青銅製の重厚な門。
角張っていて、どっしりとした長方形の構造物が地上1メートルほどのところに浮かんでいる。
観音開きの左右の扉は縦に四つに区切られ、それぞれのパネルには異なるモチーフの彫刻がなされていた。
反対側に回っても、同じ扉が見えるだけ。
まだ、蜃気楼や幻の類と言われたほうが納得できる。
しかし、きちんとした実体を持つ存在だった。
「うむ。間違いなくダンジョンの門じゃな……」
「なんでだってここに……」
「噴火せぬ代わりに、ダンジョンがそのエネルギーを吸っていたのかもしれぬな」
「相変わらず、なんでもありですね」
「なんか、変なのが出てきたのです!」
リリィが指さした先。不吉な彫刻の前に、シャボン玉のような光が出現した。
それが膨らみ、四方八方に暴れ回り、弾けた。
「モンスター……か?」
「うむ。サラマンドラと呼ばれておるモンスターじゃな」
ダンジョンの門から出現したのは、サラマンドラ。
魔力異常と、火山のような火属性の地形が結び付き生まれたモンスター。
その外見は、炎をまとったオオサンショウウオのよう。
燃えるような瞳でギョロリとトウマたちを睨め付けると、ちろちろと炎が舞う舌を伸ばす。
そこに全身の炎が集まり――
「させぬよ」
――火炎弾が発射される前に、影の杭がサラマンドラの全身を貫いた。
天から降り注いだ何本もの杭が頭から尻尾まで順番に、軽快な音を立てて突き刺さっていく。
到底、耐えられるものではない。
「グエエエェェェッェッッッ」
サラマンドラが魔力へと還元され、綺麗に消え去った。
トウマとレイナは、ほっと息を吐き強ばった顔を緩める。
「こっちもこっちで相変わらずですね……。助かりました」
「ああ。ちょっとフリーズして対処が遅れた」
「なに。仕方あるまいて。気にするでないわ」
「次は、リリィがやっつけるのですよ!」
「それは……。まあ、状況次第だな」
黒騎士を相手にしたときには頼っておいて、今回否定するのも違う。
トウマは、地獄の門にも似たダンジョンの入り口を険のある視線で見つめる。
「ミュリーシア、玲那。俺は詳しくないんだが、こんな風に外に出てくるものなのか?」
「普通は出てきませんよ」
「うむ。オーバーフロウが起ころうとしているのかもしれぬの」
その第一段階は、ダンジョン内の魔力圧の上昇に伴いモンスターが弾き出される。
それでもなお、魔力圧が上昇し続ける。ダンジョン内のモンスターやトラップが破壊されない場合。
ダンジョン内に留まっていたモンスターが周辺へ溢れ出て、別空間に存在していたダンジョンが現実世界に越境。
魔境と呼ばれる魔力で汚染された土地が発生することになる。
「放置してはおけないよな」
「一刻を争う状況とまでは言えぬが、どのくらい猶予があるかも分からぬな」
「行くしかないですよ」
「なのです!」
方針は決まった。
「ただ、無理はしない。手に負えないようなら、一旦撤退も視野に入れる。これでいいよな?」
「うむ。その判断は、共犯者に任せよう」
トウマは、再びダンジョンの門を見つめる。いや、にらみつける。
温泉でたゆたっていたときとは、違う。
まるで、魔都モルゴールを見下ろしていたときのような視線だった。




