043.商品以外の課題
「気をつけて行ってくるのですよ~」
リリィが大きく手を振って、空に飛び立つミュリーシアたちを見送った。
ぐんぐんと小さくなり、やがて視界から消える。
今となっては、慣れ親しんだ光景。
しかし、トウマにとってはいつまで経っても慣れない経験だ。
「なんというか……。荷物になった気分ですが、便利は便利なんですよねぇ」
「妾も、移動時間の短縮という目的がなければつり下げたりはせぬわ」
「この前、ベッドで運ばれたときに思ったんですけど」
影術で編んだハーネスで宙づりになりながら、トウマはまぶたを閉じ聞くとはなしに話を聞いていた。
その、意外と幼い顔に浮かんでいるのは無。
あるいは、虚無。
見えなければ、そこに存在しないという悟りを得つつあった。
「こうやって宙づりにするんじゃなくて、空飛ぶ絨毯みたいなのを作れないんですか?」
「できなくはないのう」
背中から翼を生やして空を翔るミュリーシアが、赤い瞳で眼下のトウマを一瞥する。
「しかし、安定性には欠けると思うぞ」
「やめよう」
「即決ですか。確かに、絨毯そのものが飛ぶんじゃなくて結局はミュリーシアがつり下げるわけですからねぇ」
理屈倒れでしたかと、レイナが舌をちろりと出す。
あざとらしいほどに可愛いが、残念ながらトウマは見ていない。
「残念ながら、あたしに長時間空を飛ぶようなスキルはないんですよねぇ」
「空を飛ぶのが目的じゃなくて、移動時間の短縮が目的だからな?」
「然り然り。じゃが、こうした時間で些細なコミュニケーションを取るのも重要ではないかの?」
「……それは、そうだな」
一瞬、納得しかける。
だが、すぐに気付いた。
「国民が増えたら、いちいちこんなことしていられないだろ?」
「島の中の移動手段を整えるのは、確かに重要ですね。インフラ整備ですよ、インフラ整備」
「まあ、共犯者の移動手段は変わらぬがな。それが、妾が飛ぶより速い方法でない限りは」
「ミュリーシアより速いとか、それは逆に危険なんじゃないか?」
トウマは、初めて祖父と打った将棋のことを思い出していた。
どこに逃げても、王が狙われ続ける。逃げても逃げても、逃げ場がない。
あのとき、将棋は自分で負けを認める競技だと知ったのだ。なんと厳しいルールだろうか。
「つまり、高いところに慣れなくちゃいけないのか……」
「あたしは、結構楽しいですけどね」
「そういうつもりではないが、娯楽になったのであればなによりじゃな……。っと、船が見えたぞ」
前回とは異なり陽光が降り注ぐ中、幽霊船ワールウィンド号が海上を滑るように移動していた。
トウマからヘンリーへは連絡済み。それを受けて、沿岸に移動しつつあるところだ。
「あれ? サメもいません?」
「いるな。別に、俺からなにか言ったわけじゃないんだが」
もしかしたら、新米をフォローでもしようとしているのか。スケルトンシャークが先導をしていた。
「微笑ましい光景じゃの」
「助け合いの精神は感じますね」
「意外と世話焼きだったのか」
口々に感想を言い合いながら、甲板に下りる。
そこには、幽霊船ワールウィンド号の主であるヘンリーが待ち受けていた。
「やあ、早速のお越しですね。歓迎しますよ」
「いくつか、見て欲しい物がある」
「それは楽しみですね」
幽体の一部である眼鏡の位置をくいっと直すと、商人としての本能がうずくのか。やや急かしながら、船長室へと案内する。
相変わらず天井が低く、最低限の家具しかない。
それでも、“王宮”に比べたらきちんと部屋にはなっている。
勧められる前に椅子に座ったレイナが、グロスが塗られたままの指先でテーブルをなぞった。
「よくよく考えたら、この船の備品をもらっても良かったんじゃないです?」
「ヘンリーの財産を徴発するのは、国としてどうかの。共犯者も、そう考えたから言い出さなかったのであろ?」
「そうだな。財産権の侵害は許可できないな」
「それは商人として実にありがたい話ですが、そもそもこの船から持ち出しはできませんよ。そう、私のようにね」
幽体のヘンリーが、ははははははとやけくそ気味に笑う。
「なるほど、船の備品扱いだったんですか……ってツッコミにくいですよ!」
「いやいやいや。レイナさん、遠慮なく笑ってください。実際、笑うしかない」
「意外と、強かじゃの」
「そうでなくては、商売などできません」
「俺には、とても無理だな」
意外と幼い顔で、トウマは肩をすくめた。
融通の利かなさは自覚している。とても、そんな世界で生きていけるとは思えなかった。
「そんなことはありませんよ。トウマさんの誠実さと、レイナさんの物怖じのしなさ。二人で商売をすれば、きっと大成します」
「夫唱婦随的なあれですね」
「逆だろう、それは」
「ちなみに、妾はどうなのじゃ?」
「浮世離れしすぎて、ちょっと……」
光風霽月。吹き渡る風や澄み切った空に浮かぶ月のように、さわやかな表情でミュリーシアは首肯した。
「見る目はあるようじゃな。妾が商売をしたら、儲けを全部配り歩くであろうよ」
「それはそれで、実業家として得がたい素質だと思うが」
「どちらかというと、王侯貴族ですよね。実際、王侯貴族ですし」
「そういうことよの」
前回と同じく壁にもたれているミュリーシアが、白い牙を露わにする。
「それよりも、本題に入ったらどうじゃ?」
影を操り、“王宮”から持ち込んだ数々の商品候補を卓上に載せる。
かつては海図を広げて航路を検討していたであろうテーブルに、アムルタート王国の特産品が並んだ。
ヤシの実やマンゴー、カカオといった果実。
壺に入った、塩と砂糖。
ミュリーシアが手ずから削り出した石の食器類。
そして、レイナが加工したゴーストシルク。
さすがに、これほどの点数があるとは思っていなかったのだろう。
ヘンリーは眼鏡のずれを直しながら、つぶさに観察していく……が。
「トウマさん、これ、あれですか?」
「ゴーストシルク……。そっちだと、スターシルクと呼ぶらしいな」
「やっぱりですか!?」
最も目を引いたのは、ゴーストシルクだった。
「これは、紡ぎも布への織りも一級。いえ、特級品ですよ」
「そうなんですか? あたしのスキルでやっただけなんですけど」
「ずるい!? いやいや、独占的に扱えるのであればむしろこれは奇貨とすべきでしょう」
予想以上に絶賛するヘンリー。リリィのように飛び回ったりはしないが、代わりに霊体が興奮に合わせて明滅している。
地球の紡績技術を当たり前とする勇者に聖女。それに、特級品しか目にしたことがないドラクルの姫にはない視点だった。
「ははははは。もし、これを安定供給できたら東への航海になんか出ずに済んだでしょうねぇ。もちろん、これを手に入れるのも相当の困難が伴うでしょうが」
ぺしんと額を叩いて、渋い顔をする。
「物はいいですが、実際に売るとなると難しいですね」
「それはそうだな。ブランド品だろうからなぁ」
「いきなり訪問販売の人が来て、これは最高級の絹なんですよなんて言われて買うわけないですよね」
「御用商人もおるだろうからのう」
「そうなると……」
ヘンリーの眼鏡に映るのは、ヤシの実とマンゴー。
「単純に市場で並べるだけなら、珍しい食材というほうが悪目立ちせず利益も見込めますねぇ」
「そうか。輸入の検疫とかはないのか」
「検疫ですか?」
「概念自体がなかったか」
別に、バイオテロを目論んでいるわけでもないのだ。緩ければ、そのほうが都合がいい。
「こういった嗜好品は、ギルドの統制が緩いですからね」
「ギルドですか。それは、ケンカを売るとマズい相手っぽいですよね」
足を組み直し、レイナが面倒くさそうにため息をつく。
「石の食器も物はいいですが、焼き物師ギルドから目を付けられそうですね。逆に、布製品は、綿や麻など素材毎に別々のギルドが存在しているのが好都合です」
「ふむ。ゴーストシルクのギルドなど閑古鳥しかおらぬであろうの」
「塩や砂糖。この辺になると、ギルドより上での統制です」
「国の専売か……」
特に塩は命に関わるのだし、当然と言えば当然。
「売りに行かなくて良かったな」
「まったくじゃな」
「まあ、官憲の目が届かないところであれば問題ないですけどね。鼻薬を効かせる手もありますし」
歴戦の商人らしく、ヘンリーが口角を上げた。
しかし、それが持続したのはレイナがカカオの実を手にするまでだった。
「このカカオは、チョコレートに加工すると魔力が回復したんですが知ってます?」
「は?」
ゴーストにもかかわらず、眼鏡がずり落ちそうになった。
あわせて、幽体が明滅する。今にも、爆発してしまいそうなほど激しく。
「そんな……そんなの……売りたい。めちゃくちゃ売りたいですが、軽々しくは扱えませんよ!」
「それはそうだ」
商品の魅力は問題ない。それどころか、オーバーキル気味。
しかし、あまりにも非常識だったようだ。
「コネがないと、どうにもなりそうにないな」
「冴えない結論じゃのう」
「これが現実ってことですね」
ミュリーシアとレイナ。
美女と美少女に落胆され、ヘンリーの明滅が戻った。
「私が商会に口利きできれば、なんとかなるんですが」
「となると、問題はヘンリーさんの体か……」
「この際、妾が石像を彫るか?」
「あたしが木で加工する手もありますよ?」
「ありがたいんですけど、もうちょっとどうにかなりません?」
「とりあえず、もう少し島の探索を進めることにしようか」
ミュリーシアとレイナがうなずく。異存はなかった。
「私のためにお手数をおかけしますけど……。これ以上、すごい商品が出てきたりしないでしょうね?」
「出てきても、今あるのを優先すればいいんじゃないか?」
「ああ、それはそれで商人としての本能がっっ」
またしても、ヘンリーが明滅する。
体の代わりになるものを見つけないと、大変なことになりそうだ。
未練が晴れる前に消滅しないように気をつけないと。
トウマは、心にそっと刻んだ。




