042.チョコレートの秘密
「アムルタート王国ですか。ふ~ん」
「精霊様のお名前なのです」
「うむ。共犯者と二人で考えたのだ」
ふかふかの布団を抱えて入ってきたレイナが、ミュリーシアとトウマの横を素通りして籐のベッドに置いた。
ぱふんと布団が弾み、寝心地の良さをアピールしているかのようだった。
「まあ、いいんじゃないですか?」
「リリィは、賛成。大賛成なのです!」
二人して賛成。
にもかかわらず、ミュリーシアは赤く艶めかしい唇をアヒルみたいにとがらせる。
端的に言えば、拗ねていた。
「なんだか面白くないのう」
「別に、国の名前とかどうでもいいですから。ミュリーシア王国とか、そういう恥ずかしいのでなければ」
「恥ずかしいか? わりと有力候補だったんだがな」
少しだけ残念そうにしながら、トウマは布団を広げるのを手伝った。
籐で編まれたベッドの上に、艶やかなゴーストシルクの布団。アンバランスにも思えるが、文明レベルがさらに高まったのは間違いない。
「有力候補ではないが?」
「それ、あれですよね。本当は賛成なのに嫌がる振りをして、回りから推薦されて仕方ないなってポーズを取るやつですよね?」
「共犯者、共犯者。ここに逆臣がおるぞ」
「叛乱は起こしてないだろう。ただ、忠誠心が低いだけで」
「まあ、賛同者ばかり揃えても有害ではあろうが……」
「そうですよ。こういう忠誠心は低いけど有能な人材を厚遇することで、家臣が集まってくるというものです」
隗より始めよ。あるいは、死馬の骨を買う。
ミュリーシアは羽毛扇で口を隠し、赤い瞳でレイナを見つめる。レイナから、こんな提言が出てくるとは思わなかった。
「ふふふ。あたしだって、センパイと同等の教育は受けているんですからね?」
「それは、あんまり役に立たない人材を厚遇することで有能な人間がもっといい待遇で扱ってくれるんじゃないかって思わせるという話だったはずだが」
「レイナの話だと反対になってるのです」
ミュリーシアがレイナへ厳しい視線を送る。
レイナはぺろっと舌を出して、はにかむ。
可愛い。
それは間違いないが、ミュリーシアが感銘を受けるはずもなかった。
「先手を打って、粛正したほうが良いのではないかの?」
「暗君ですか」
「ま、冗談じゃが」
羽毛扇をぱたぱたと振って、銀を溶かしたような髪をかき上げる。
「では、アムルタート王国。この名に反対の者はおるか?」
「賛成」
「異議はありません」
「なのです」
「うむ」
全会一致。
国の名が決まった瞬間は、意外とあっさりしたものだった。
「アムルタート王国、ばんざいなのです!」
「そう言われると、なにやらむずがゆいの」
「ミュリーシア、ダメなのですよ。もっと慣れていかないと」
「それなら、なにか喋るときには必ずアムルタート王国万歳とつけることにするか」
「全体主義国家ですか。……全体主義国家でしたね」
「やめい」
却下された。
「まあ、追々馴染んで来るであろう。それより、簡単に布団を作ったものだの」
「自生している麦があったので、リリィちゃんたちに乾燥してもらいました」
「中身を詰めるのもやったのです」
「これ、どうやって口を閉じたんだ? 針も糸もないだろう?」
「それがですね……」
「なんか、リリィが手で押さえたらくっついたのです!」
「……本当なんですよ」
疑ってはいないが、確かめずにはいられない。
布団の端の部分を引っ張ってみるが、圧着されているように剥がれなかった。もちろん、縫製の痕跡もない。むしろ、合ってくれたほうが良かったぐらいだ。
トウマが、知識と意見を求めてミュリーシアを見る
しかし、アムルタート王国の女王は静かに首を振った。
「妾の知るゴーストシルクのドレスは、職人が縫製しておったぞ。当たり前じゃがな」
「だよな」
「リリィが特別なのか、ゴーストならみんなできるのか……」
「ゴーストの針子さんなんて、誰も使ったことないでしょうね」
「そもそも、針を使っておらぬな」
型紙通りにゴーストシルクを裁断したら、あとはリリィが触れ合わせれば完成する。
とんでもない、家内制手工業だ。
その可能性に、三人は押し黙ってしまう。
雰囲気が変わって不安になったのか、リリィがきょろきょろと視線を彷徨わせた。
「あれ? リリィ、またなんかやっちゃったのです?」
「いや、リリィは最高だ」
「なんだ。びっくりしたのです!」
あっさりと不安は吹き飛び、ゴーストシルクの布団に飛び込みそのまま突き抜ける。
「リリィは自由じゃのう」
「そういえば、完全に圧着してると中身の交換ができないんじゃないか?」
「そこは、あたしのスキルで活性化させつつ使う感じですね~」
「布団を干すようなものか」
「今はサイズの確認だけで、あとで実際に干してきますけどね」
とりあえず、身内で使用する分には問題なさそうだった。
そうなると、残り続ける問題はひとつ。
「暖かいですから、掛け布団代わりに残ったゴーストシルクをそのままかぶって寝れば風邪も引かないと思いますよ」
「はいはい! そうしたら、三人で一緒に寝ればいいのです!」
「リリィ、それは……」
「みんな仲良くするのです」
リリィのすみれ色の瞳から、光が消えた。
幽霊船から戻ってきた後。トウマが寝ている間に繰り広げられたミュリーシアとレイナの友情確認行為がトラウマになっているらしい。
その勢いで迫られると、本物の幽霊のようで迫力がある。本物の幽霊なのだが。
「リリィちゃんが言うのであれば」
「まあ、リリィが言うのであれば」
「仕方がないですね」
「仕方がないのう」
泣く子と地頭には勝てない。
どちらかというと地頭サイドのトウマも、白旗を揚げた。
「できるだけ早く、次のベッドを作ろうな?」
ただし、その目は未来を向いていた。
「センパイの希望は分かってますが、効率は良くないんですよね」
「確かに、いちいち魔力を消費するのは問題だろうが」
「《ファブリケーション》で加工すると、フレームに木を使うとか複数素材の組み合わせもできないですし」
つまり、交易品にはできそうにない。
「普通の品なら、買ってきたほうがいいと言いたいんだな?」
「はい。一緒に寝るかどうかは別にして、日用品ぐらい一気に買いそろえたほうが良くないです? 一緒に寝るかどうかは別にして」
「じゃが、先立つ物がない……ゆえに、売り物をどうするかよの」
「選択と集中なんて下策だけど、現実的に手を広げるのは難しいしな」
「売るというのは良く分からないですけど、マンゴーとかヤシの実とか絶対に欲しがる人がいるのです」
「……少し、候補をまとめてみるか」
売り物になりそうなのは、いくつかある。
ミュリーシアの石器。これは、実用品と言うよりはある種の芸術品と言っていいだろう。
ゴーストシルクや籐製品。それに、マンゴーやヤシの実などの果物。
沸騰湾で取れる、塩。
「……俺があんまり役に立ってないような」
「センパイがいなかったらあたしはこの場にいませんよ?」
「リリィたちもなのですよ!」
「まあ、裏方も必要か……」
「そういうことよ。ああ、そういえばチョコレートとやらはどうなったのじゃ?」
「おばちゃんに、湯煎っていうのをお願いしてるのですよ」
「あ、暖め終わりましたか? ありがとうございます」
タイミングを見計らったように、石板のトレイを持ってゴーストが現れた。
石のマグカップが三つ乗せられ、湯気が立っている。
「あまり美味そうには見えぬが、いただくとするかの」
それをひとつ手にし、ミュリーシアが口を付ける。
火傷しそうなほど熱く、砂糖もたっぷりで甘め。
「ふむ。なかなかじゃな」
「なんだか、懐かしい味だな……」
続けてトウマも味わい、ほっと息を吐く。
地球にいた頃に飲んだ記憶は無いが、郷愁をかき立てられた。
「あままあまままま。ガツンッと来る甘さなのですよ! 世界に、こんな甘くて美味しいものがあったのですか」
共犯者の血に比べればというミュリーシアに比べて、リリィは大絶賛だった。
それを微笑ましそうに眺めながら……トウマは違和感を憶えた。
「……あれ?」
「……おや?」
「玲那も感じたか? 間違いないよな?」
「一体、どうしたのじゃ?」
「なんだか、魔力が回復しているような……」
理屈は不明だが、このチョコレートには魔力回復効果があるようだ。
「売れるのではないか?」
「でも、表に出していいものなんですかね」
「確かに、戦略物資扱いされてもおかしくないよな」
「よく分かんないですが、リリィのこーはいに聞いたらいいのです」
「ヘンリーか。チョコに限らず、商品の相談はしておくべきだよな」
他に売り物になりそうなものはある。
「ゴーストシルクだけで、充分ともいえますよね」
「しかし、このグリフォン島は宝の山じゃな」
まったく、その通りだった。
ミュリーシアのあきれるような言葉に、トウマは思わずうなずいていた。




