041.アムルタートの名を
「おお、ベッドがある風景……」
「文明の香りがしますね」
ミュリーシアよって、“王宮”の私室へ運び込まれた籐のベッド。
見慣れた素材ではないし、そもそも部屋にまともな家具はこれしかない。
けれど、これは大きな一歩である。
トウマは、感慨深そうに何度もうなずいていた。
「文化的で最低限の生活環境確立委員会の初成果。センパイ、どうですか?」
「玲那とシアのお陰だ。感謝しかない」
「そうでしょう、そうでしょう。まあ、あたし自身のためでもありますけどねー」
「ああ。分かってるさ」
今のところ、“王宮”に私室はふたつ。
そのうち、ベッドはひとつ。
誰が使うかは、火を見るよりも明らか。
「俺の分のベッドは、魔力に余裕があるときに用意してくれたらそれでいいから」
「違う。違うぞ、共犯者」
「え? なにが違うんだ?」
羽毛扇をぱたぱたと振るミュリーシアが、赤い瞳をレイナへと向ける。
「レイナはの、共犯者と同衾する肚積りじゃ」
「それは普通に駄目だろう」
「ふふふ、センパイ。この世界には倫理も法律もありませんよ?」
「お天道様が見ている」
「昭和レトロですかっ」
真顔なトウマに噛みついたものの、レイナはすぐに余裕を取り戻した。
「ミュリーシアに包まれて眠るか、あたしと寝るか。どっちが昭和レトロな倫理感に合致するかよーく考えてみてください?」
「ミュリーシアに包まれているわけではないが。……ないよな?」
「それは些細なことだがの、共犯者」
「まったく些細ではないんだが」
「なにはともあれ、そこに寝心地も加味すると良い塩梅になるぞ」
籐を編んで作られたベッド。
床や地面に寝るのに比べたら、天国のようなもの。だが、マットレスがない以上、影術には劣る。
「甘いですね、ミュリーシア。あたしが、そこを考えていないとでも?」
「いや、どっちも選ばないという選択肢もあるだろう」
けれど、レイナはサイドテールに手をやり不敵に微笑んだ。
「干し草のベッド。こう言えば、センパイも理解できるのでは?」
「……くっ。だけど、干し草なんて……この島にないだろ」
「良さそうな素材があれば、センパイのスキルで作れますよね」
「できる……な」
「手加減すれば、リリィたちでもできるのですよ!」
「そうなんですか。ほら、障害はなくなりましたよ?」
深謀遠慮。トウマと一緒のベッドで寝るために。あるいは、ミュリーシアのドレスと同じモノで寝かせないために。最初から、ここまで考えていたのか。
「その努力とか知恵を、もう少し人の役に立つ方向に……」
「さあ、リリィちゃん! この周辺を案内してください。お礼はちゃんとしますから」
「お礼は別にいらないですが、なんだか面白そうなので行くですよー」
「あとで、チョコレートとお砂糖も《ファブリケーション》してホットチョコレートも作りましょうか」
「ホットチョコレート! なんとも心惹かれる響きなのです!」
トウマの嘆きに背を向けて、レイナとリリィは“王宮”から出て行った。
まるで似ていない二人だが、仲の良い姉妹のようだった。
「なんというか、あの二人がコンビになると勝てる気がしないな……」
「まあ、共犯者よ。いつまでも突っ立っておらずに、座るが良い」
「そうだな……」
先に、スリットの深いドレスで籐のベッドに座ったミュリーシア。
白く艶めかしい足を意識しないようにしつつ、トウマはその隣に腰を下ろした。
すでに気安い関係。そのはずなのに、そこはかとない緊張感がある。
植物で最強というだけあって、ベッドは二人分の体重を難なく支えている。毛羽だってもおらず、このまま昼寝できたら最高かもしれない。
「あれこれ思い悩んでも、手札が変わるものでもあるまいて。頭を使うなら、もっと有意義にせねばな」
「それなら、今のうちに国の名前でも考えるか」
「唐突ではあるが、妾に否やはないぞ」
逃避である。
しかし、必要なこともである。そして、逃避先のほうが良いアイディアが浮かぶと言うことも多い。
「国名か。“魔族”は聖魔連合と名乗っておるが……これは参考にならぬな」
「ミッドランズだと、神都があるのはアンドレア公国って国だったな」
ジルヴィオの授業を思い出しながら、トウマは指折り数えていく。
「あとは、その北にフランツ領邦国。その西、モルゴールとの前線になっていたのがル・ロラ王国か」
「そちらも、あんまり参考にならぬな」
「たぶん、地名か人名が元になっているんだろう」
初代国王の名前ということも考えられる。
となれば、この思いつきは自然な流れ。
「それに従うと、ミュリーシア王国か」
ドラクルの姫の美貌が、しわだらけのドレスのように歪んだ。
「共犯者、温厚な妾にも我慢の限度があるのだぞ」
「そうか? 別に悪くないと思うけどな」
「まったく良くないわ! なんじゃ、ミュリーシア王国とは。身の毛がよだつとは、まさにこのことよ」
「そこまでか? まあ、別の案を考えよう」
「そうせい、そうせい」
しかし、ミュリーシア王国案を捨てたわけではなかった。
「人名が駄目なら、地名か?」
「グリフォン王国かの?」
「それも悪くはないけど、移住者を募るときとかに今ひとつイメージが伝わりにくいかなって」
「ふむ。それに、グリフォンのモチーフは国旗に取っておきたいしの」
国旗があっさりと決まった。
逃避先のほうが先に決まってしまうのも、よくあることだ。
「そうじゃ。共犯者の故国は、なんという名なのだ?」
「日本だな。東の果てにあるので、太陽が昇る場所的な意味があるらしい」
「なるほど。良い名じゃの」
ミュリーシアが、無造作に腕を組む。
ベッドの上で、豊かな双丘が柔らかく歪んだ。
「それに倣うならば……。ここはひとつ秘匿されし楽園の伝承を持ち出すかの?」
「地球でいうと、エデンの園とかそういう感じになるのか?」
「そちらにもあるのか。じゃが、さすがに気恥ずかしいものがあるのう」
「自分で楽園とか名乗るのは、気が引けるよな」
多くの場合、実態が名前とかけ離れているから自称するのだ。まともな神経をしていたら、
この路線もなさそうだ。
「やっぱり、ミュリーシア王国に……」
「待つのだ、共犯者。今決めねば、その醜悪な名が定着する流れであろう」
「マンガとか小説とか、仮タイトルで呼んでたら馴染んで正式名称になることもあるらしいな」
「マンガというのはよく分からぬが、阻止。絶対に阻止せねば。共犯者、知恵を出すのだ」
焦ったミュリーシアが、ベッドの上で迫ってくる。
トウマは、ミュリーシアの肩に手を置きつっかえ棒にしてなんとか距離を保つ。
「ここは、スタート地点に戻ってみよう」
「スタート地点というと、妾が共犯者を抱えて島にたどり着いたところかの?」
「そもそも、なぜこの島を目指したんだ?」
「それは、神蝕紀の大戦から逃れた民たちが……」
「それだ。リリィたちの先祖は、アムルタートって精霊に導かれてグリフォン島にたどり着いたんだよな」
「ほう。そこまで遡って建国神話を作るわけか」
「政治的なことは考えてなかったんだが……」
ただ、後から来て大きな顔をするのも違うなと思っただけ。
しかし、ミュリーシアはそのアイディアに乗り気だった。
「いやいや、妙案じゃぞ。共犯者の発想力には感心するわ。なにせ、これでミッドランズのどの国家よりも、“魔族”の聖魔連邦よりも古い歴史を持つことになるんだからの」
「空白期間が長すぎないか?」
「気にするでないわ」
ぱちんと羽毛扇を閉じ、女王は宣言した。
「アムルタート王国。良い名ではないか。二人が戻ってきたら、採決にかけようではないか」
「本来は、建国祭のときに決めておくべきだったんだろうけどな」
「なあに、建国祭なら何度でもできるわ」
隋珠和璧。この世にふたつとない宝玉のようなミュリーシアが、ぷいっと横を向く。その新雪のように白い頬は、微妙に赤らんでいる。
どうやら、同じことを思っていたらしかった。




