040.念願のベッド
「話には聞いていましたけど、本当に熱帯ですね」
当たり前のように生えている南国の植物を前に、レイナはぱたぱたと胸元に空気を送った。
「はしたない」
それを見とがめたトウマが、ぺしんっと手を叩く。
「おにい……センパイ、なにをするんですか」
「はしたない」
「いいじゃないですか。センパイしかいないんですから」
「妾もおるが?」
「リリィもいるのですよ!」
仏頂面をしたトウマの向こうで、グリフォンの頭まで一緒に来たミュリーシアとリリィも存在を主張する。
「まったく、まるで親子のようだの」
「つまり、センパイから大切にされてるってことですね」
「よく分からないけど、暑さとか分からないリリィの勝ちなのです」
「それは確かに……。リリィちゃんがうらやましいです」
「ふふーん。なのです」
沸騰湾の存在は聞いているし、南国植物を目の当たりにして納得もできた。
それでも、暑いものは暑かった。
「これ、35度ぐらいあるんじゃないですか?」
「日差しは普通だから、そこまでじゃないんじゃないか?」
「そうですかね……」
空を見れば、絵の具で塗ったような青い空に作り物みたいな雲が浮かんでいる。ここが日本だったら、クーラーを求めてさっさと移動しているところだ。
「ともあれ。さくさく行きましょう、さくさく」
「そうだな。目的を見失わないようにしよう」
「なんですか、センパイ。含みがある言い方ですね」
「玲那と買い物に行ったときのことを思いだしただけだ」
「ほう。共犯者の服をレイナが選んでいるという話じゃの」
「ほうほうほうほうなのです」
ベッドの材料となる籐を探しに来た。
その目的に戻れるよう、トウマはさっさと情報を開示することにする。
「玲那と買い物に行っても、全然関係ない店とか物を見てやたら時間がかかったなって思っただけだ」
「当たり前ですよねぇ?」
「今回ばかりは、レイナが正しいのぅ」
ミュリーシアが、羽毛扇をレイナへ向けた。
しかし、リリィはこてんっと小首を傾げている。
「買い物って、よく分からないのです」
信じられないと、レイナが緑がかった瞳でトウマを見た。
「お金が必要のない共同体だったんだろう。完全に自給自足でやってきてたんだと思う」
「そういうことですか……。ヘンリーさんには、頑張ってもらわないといけませんね」
「まずは、船から下りられるようにならぬと話にならぬがの」
「使えないですね」
リリィたちにも、買い物の楽しさを体験してもらわなくては。
「とにかく、目的の……って、あれチョコレートですよ」
意気軒昂。気合いを入れ直して、レイナは熱帯の森へ足を踏み出し……すぐにたち止まった。
「あれは、バナナの木じゃないのか?」
「その陰になってるやつですよ。チョコレートの木は、でっかい木の陰で育つんです」
「チョコ?」
「レート……なのです?」
ミュリーシアとリリィが、揃って首を傾ける。あまりにシンクロしすぎていて、トウマは思わず笑ってしまった。
そのため、説明はレイナが担うことになる。
「甘いお菓子の材料になる実ですよ」
「甘いお菓子なのですか!」
リリィが飛び上がり、ワンピースの裾と三つ編みが舞う。喜びを表現するように、そのままぐるぐると飛び回った。
一方、さっきまで笑顔だったトウマの表情は渋い。
「甘いのは、あまりな……」
「そうじゃったか。しかし、こればかりはのう」
「チョコレートは、昔は滋養強壮の薬扱いだったんですよね」
「共犯者の滋養強壮か」
「ああ、うん。頑張るよ」
リリィとミュリーシア。
二人の食生活に責任を持つトウマは、好き嫌いを言っていられる立場ではなかった。
「とりあえず、いくつか回収していこうか」
「そうですね。この枝とか幹から直接生えている実を収穫してください」
「そういう植物だったのか。謎の異世界植物じゃなかったんだな」
「収穫、楽しいのです!」
リリィが自由に飛び回り、カカオの実を収穫。
トウマは、その下で受け取る係になった。
「これが、カカオの実か。初めて見るけど、ちょっと鬼灯に似た色だな」
「堅さは全然違いますけどね」
四人で協力すると、あっという間にかなりの数になった。
それをバナナの葉で包んで持ちやすくする。
「人海戦術が有効ですね」
「これは、子供が酷使されるはずだな……」
カカオ農園で働く子供の口に、チョコレートが入ることはない。
そんな話を思い出し、トウマは険のある視線を向ける。経済効率優先で、そんな不幸を産んではならない。少なくとも、この国では。
「でも、チョコレート……この場合はカカオって言ったほうがいいのか?」
「分かっていますよ。単体だと甘くないんじゃって言いたいんですよね?」
「ということは……」
「この環境で、サトウキビがないとか嘘ですよ」
まだ見つけてはいないが、存在を確信している。
実際、少し離れた場所でサトウキビの群生地が見つかった。
「はえー。おっきいのです!」
トウマはおろか、ミュリーシアよりも背が高い。
直立した、しっかりとした植物。茎に節があり、そこから細長い葉が生えている。
「へー。これがお砂糖になるですか」
「絞ったり、精製したり結構大変だっていうけど……」
「レイナのスキルであれば、瞬く間というわけじゃの?」
「崇め奉ってもいいですよ?」
「妾の代わりに、女王になるかの?」
「そういうのは結構です」
ミュリーシアが影術で作った鎌で何本か切り倒し、トウマがそのまま運ぶことになった。
「本格的に収穫となったら、妾が一人で来て影術で運ぶのが良さそうじゃな」
「一人に頼りっぱなしってのは良くないんだけどなぁ」
「なに。交易品が増えるのは、良いことじゃ」
そうしてまた熱帯の森を移動する。
その途中、レイナが少しだけ難しい顔をした。
「なんというか……。農業とかしたことがない身で言うのもなんですけど、かなり適当にいろんな植物が生えてますね」
「魔力異常のすさまじさ……か」
「なに、いざとなればモンスターを駆逐すれば良いのであろう。恩恵があるのならば、使わねば損というものよ」
「そういうものですか」
レイナの先導で、森のさらに奥へ。
途中、他の動物に出会うことはなく目的の籐が見つかった。
竹に似ているが、大きなトゲがあり。なにより、かなり大きい。先ほどのサトウキビなど比較にならないほど。
「籐は五年ぐらいで加工できるようになるんですが、それどころじゃないですね」
「そこまで分かるのか」
「籐の繊維は、植物で最強にして最長と言われているんですよ」
「なんだかよく分からないけど、すごそーなのです!」
リリィが興奮して籐の上まで飛び上がる。
「大喜びしてますけど、今から《ファブリケーション》しなくちゃいけないんですよね……」
「仕方がないことだ……」
そう。ベッドのためには仕方がない。仕方がないのだ。
「ひと思いにやるが良い」
「そうですね。魔力を10単位。加えて精神を7単位。理によって配合し、素材を資材とす――かくあれかし」
目の前に広がる、籐の林。
緑がかった瞳で見つめながら、レイナはスキルの詠唱を始めた。
「《ファブリケーション》」
籐が数本消える。
それと引き替えに、繊維で編まれた茶色のベッドが出現した。
「わわわっ。最強なのに、消えちゃったのです」
「最強は、また別の最強に倒されるが運命だからの」
「そういうもんじゃないと思うんだが」
自然の中、ぽつんとベッドがひとつ。
かなりシュールだが、スキルという奇跡がもたらした奇跡的な光景。
「……ひとつだけ?」
なぜか、作ったベッドはひとつだけ。
しかも、あまり大きくない。
「魔力も有限ですから」
「そもそも、あまり大きくしては“王宮”の入り口を通らぬであろう」
「確かに……」
気合いを入れて大型冷蔵庫を買ったはいいが、玄関のドアを通らなかった。そんな悲劇を起こすわけにはいかない。
「かといって、屋根の補修を後回しにはできなかったしなぁ」
「さあ、調査はまた今度にして“王宮”へ戻りましょう」
「うむ。共犯者にレイナよ。荷物と一緒に、ベッドに乗るが良い。まとめて妾の影術で運んでくれようぞ」
「空飛ぶベッドですか。それは、楽しそうですね」
「そうか……。そうなるのか……。ああ、よろしく頼む」
安全だと分かっていても、それとはまた別の話。
トウマが悲壮な決意を固める。
だから、この後に議論が待っているなどと想像もしていなかった。




