037.シュレーディンガーのトウマ
「あっ、トウマたちが帰ってきたのです!」
東の空――グリフォンの尾の方向をじっと見つめていたリリィが、“王宮”から飛び上がった。闇夜の中、三つ編にした金髪が流れ星のような軌跡を描く。
「うむ。待たせたの」
「リリィちゃん、待たせちゃってごめんね」
「こっちはなにも問題なかったのです……って、トウマ?」
影で編んだハーネスで吊されているのはレイナも同じだが、トウマは完全に意識がなかった。高いところが苦手な彼からすると、幸運なのか不運なのか。
「寝ちゃってるのです」
リリィがつんつんと頬を突くが、トウマは目を開けない。
リリィがつんつんと頬を突くが、トウマは目を開けない。
リリィがつんつんと頬を突くが、トウマは目を開けない。
「はっ、これなんだか楽しいのです」
「リリィちゃん、気持ちは分かります」
「先に下りるゆえ、あとにせい」
ミュリーシアは、翼を羽ばたかせ高度を下げていく。もちろん、リリィを止める気は欠片もなかった。
「細かい話は明日にでも共犯者からあるであろうが、とりあえず仲間が増えたぞ」
ハーネスからレイナだけを解放し、ミュリーシアはトウマを影を広げて地面に寝かせた。汚れないように配慮したのであり、リリィが頬を突きやすくするための処置ではない……はずだ。
「仲間なのです?」
「幽霊船に乗ってる、商人のゴーストですよ」
「本当なのです! リリィたちの仲間が増えたのです!」
「むしろ、リリィちゃんの後輩ですね」
「後輩! よく分からないけど、魅力的な響きなのです!」
リリィが、ぐにょんと体をくねくねさせながらトウマの頬をつんつんする。
「そう。後輩は魅力的なんです。よく分かってますね、リリィちゃん」
「わーい! なんだかよく分かんないけど、ほめられたのです!」
「いきなり仲が良いのう」
心和む光景に、ミュリーシアも相好を崩す。
「とはいえ、いつまでもこのままではいくまい。共犯者を休ませねば」
「そうですね。これを解いてください。あたしがベッドに運びます」
「ベッド? そのようなものはないぞ」
「なんですって」
レイナが目を見開いた。
美少女が真顔になると迫力がある。
「なんだか、良くない予感がするのです……」
リリィがトウマから離れ、ミュリーシアとレイナの中間ぐらいの位置へ移動する。
他のゴーストたちも、戦々恐々と興味津々で揺れ動いていた。
「ベッドがないって、今までセンパイはどうしていたんです?」
「今、妾の影に共犯者は包まれているわけじゃが」
「そうですね。いえ、まさか……」
「あれを今少し厚めにして、くるんとした状態で寝ておったぞ」
ミュリーシアが手をくるんと回して表現するが、レイナの心に一筋の感銘も与えることができなかった。
「夜な夜な、センパイを繭のように包んでいたと」
「うむ。おやすみから、おはようまでじゃな」
「その通りなのです。リリィも、そこは見ていたのです」
嘘はついていないです。仲良くしてください。
そんな気持ちでフォローをしたリリィだったが、残念ながらレイナには届かなかった。
「そのチャイナっぽい煽情的なドレスと同じモノで、センパイを……」
「ドラクルの美的センスでは、ごく普通の衣服なのじゃが」
「そのエロドレスと同じ物で、センパイを包み込んでいたということですか」
「あっ。だから、トウマもちょっと恥ずかしがってたです?」
好きな人の服にくるまって寝るようなものだったのだと、リリィも理解した。
「やんやんやん。ミュリーシアやるのです」
「いや、やるもなにも安眠のためにだな……」
「ミュリーシア」
「お、なんじゃ。妾の名を呼ぶなど始めてではないか、聖女。否、レイナよ」
リリィを間に挟み、聖女とドラクルの姫。美少女と美女が対峙する。
まるでテニスの世界大会にも似た緊張感。
「あなたって、ヘ・ン・タ・イ・さんだったんですね」
「言うに事欠いてなにをっ。誹謗中傷じゃぞ」
「はわわ」
気付けば審判のような位置にいたリリィが、ガタガタと体を震わせる。
「一体なんなんです? なにが始まるのです?」
「センパイを自分の影で包んでも、なんら思うところはなかった。センパイに誓って、言えますか?」
「無論じゃ」
余裕綽々。なんだそんなことかと、腕を組み双丘を押しつぶしながらミュリーシアが断言した。
闇夜に爛々と輝く赤い瞳からは、虚偽を感じられない。
「では、質問を変えましょう」
「なにを言うても、妾の考えは共犯者の安眠のみよ」
「思うところはない。ウソでしょう。なんとなく、満足感があった。そうではありませんか?」
「ぐぬっ」
ミュリーシアが、羽毛扇を開いて顔を隠した。
それが答え。
制服を着崩したままのレイナが、さらに踏み込もうとする。
だが、ミュリーシアは羽毛扇を閉じるとその先を突きつけた。
「そう断言するということは、レイナよ。似たような経験があるのではないかの?」
「しまっ」
攻守が変わった。
「一体なんなんです? リリィはなにを見せられているのです?」
リリィだけでなく、背後にいる他のゴーストたちも戦慄していた。それでいて、死んだままでは味わえない刺激に離れられない。
「そうじゃな……。共犯者と褥をともにし、幸福感を抱いた。そんなところではないかの?」
「褥……布団のことですね。まあ、幼なじみですから当然ですけど?」
「童の頃だけではない。長じて、共犯者のベッドに潜り込んだことは?」
「ぐぬっ」
鋭い一撃が放たれた。
しかし、レイナはそれを正面から受け止めて弾き返す。
「ええ、そうです。センパイのベッドに横になったことはあります。意識していない、なんでもないことのような振りをして」
「リリィ、そういうことするのはダメだと思うのです……」
しかし、ゴースト少女の正論は届かなかった。
「ほう、あっさり認めるとはの」
「ですけど、ミュリーシアもセンパイの血を吸っているのでは?」
「なっ」
死なば諸共。否、肉を切らせて骨を断つ。
そんな反撃が来るとは思いもよらず、今度こそ本当にミュリーシアは動揺した。
「ひ、必要なことであるし? それに、共犯者も勧めてくれたしの」
「ところで、家族でもない未婚の異性から血を吸う行為ってドラクル的にどうなんです?」
「そ、それは……」
「そのことを、センパイは知っているのですか?」
リリィの目には、レイナが実際よりも大きく見えていた。逆に、ミュリーシアは縮んでしまっている。
「ああ……。妾は弱い。勧められたのを免罪符に、なにも知らぬ共犯者の血を……」
「そこはまあ、命に関わる部分ですし仕方がありません」
「レイナ……」
詳細は分からないが、男女の仲に関する内容に違いない。
それをトウマに告白されてしまったら、責任を取ると言い出しかねない。
なので、追求は手控えるべきだ。
「とりあえず、今日までは許します。けど、明日からは本格的に住環境を整えますからね」
「う、うむ……。なにやらいきなり、当たりが弱くなったような……?」
「気のせいです」
ということにした。
「そうじゃ、レイナ。なんなら、共犯者と一緒に寝ても構わぬが?」
「えっ……?」
なにをしても、ばれない。
なにをしても、構わない……?
「や……めて……おき……ます」
血の涙を流さんばかりに、レイナは欲望を振りきった。
「よく分からないけど、なんだか丸く収まって良かったのです」
二人の間で右往左往していたリリィが、他のゴーストたち一緒にほっと胸を撫で下ろした。
「ところで、トウマは本当に寝てるのです?」
リリィが、闇の中じっと見つめるが微動だにしない。
やがて、ミュリーシアとレイナに“王宮”へと運び込まれ消えていく。
ぐっすりと眠っていたのか。
それとも、起きるに起きれなかっただけなのか。
いわば、シュレーディンガーのトウマ。
真実は、本人だけが知っていた。
拷問をされても、本当のことを話はしないだろうが。




