036.幽霊の商人(後)
「その前に、改めてありがとうございます」
頭を下げたまま、ヘンリーは改めて言った。
それは、本心からの言葉に違いない。
「海賊のゴーストに抑え付けられて今までなにもできずに、いいように使われていたところを解放していただいて。本当に感謝しかありません」
「うん。助けられたのは、俺もうれしい」
それを、素直に受け入れた。
以前のトウマなら、謙遜していたはずだ。
その前向きな対応に、レイナは腕を組み満足そうにうなずいている。
「それでですね。私が商人だというのは、お伝えしたとおりなのですが……」
「つまり、交易の途中で海賊に襲われたってことですよね……あれ? そうなると?」
なぜ、海賊たちまで一緒にアンデッドになっていたのか。
計算が合わない。まだ登場していない演者がいるはずだ。
「はい。海賊の襲撃を受けて絶体絶命というところで、モンスター……シーサーペントにも襲われまして」
「転んだ先に水たまりと、いったところだの」
泣きっ面に蜂どころではない不幸の連鎖に、トウマは言葉も出ない。
「それは、なんと言ったらいいのか……」
「まあ、私たちを襲った海賊たちも一緒に殺されたのでざまぁみろとも言えますけども」
「そもそも、その海危険すぎません? 昔はまともな貿易できてなかったんですか?」
「いえ、東大陸との交易路を開拓しようとしていたところでして」
「東大陸とな」
壁にもたれかかっていたミュリーシアが、思わずといった調子で距離を詰めた。
「なんと無謀な。そもそも、東大陸にたどり着いてもまともな交易にはならぬぞ」
「そこって、光輝教会からは地獄って教わっていたような」
「ええ、そう言っています。ですが、ちゃんと人が住み営みがある土地なのです」
トウマとレイナは顔を見合わせた。「アメリカを目指した、コロンブスみたいな感じですかね?」「だいたい、そんなものだろう」
アイコンタクト完了。
「彼の地は、巨人族が地竜を駆り部族単位に分かれて相争う修羅の土地ぞ」
「巨人も、人は人……か?」
「コロンブスもびっくりですね」
「そんな……本当ですか?」
「妾も、実際に見たことがあるわけではないがの」
そう言って、ミュリーシアはまた壁際に戻った。
その後を引き継ぎ、トウマは話を戻す。
「それで、海賊も一緒にアンデッドになったわけだよな? 海じゃ墓地なんかと違って、浄化もままならないだろうし」
「はい。恐らく50年ぐらいは経っているのではないかと」
「50年ですか。言葉にしたら、一言ですけど……」
トウマとレイナの年齢を足しても、まだ足りない。
それだけの期間を彷徨っていたなど、想像はできても共感はできないだろう。
「だけど、海賊側の未練……欲望のほうが大きくて支配されてしまったわけか」
「情けないことです」
「仕方がない。単純な欲望ほど強力だからな」
そして、歪みやすい。
海賊たちはなるべくしてアンデッド化し、トウマたちに滅ぼされた。
正しい因果が巡った結果だ。
「それで、この島に近付いてきたのはどういう理由なんです?」
「そこは私にも、はっきりとは分かりません。偶然……というか、この海域に迷い込んだような状態かと」
その証言に、三人揃って黙り込んでしまった。
特にミュリーシアは羽毛扇で口元を隠し、片腕で胸を押しつぶすようにして考え込む。双丘がさらに強調され、レイナの瞳から光が消える。
「まあ、今そこを気にしても仕方ないか」
「そうですね。気にするなら、なんでそんな危険な貿易に出たかですね」
「商人として、利があるならば行動に出るのは当然ですよ?」
「商人というよりは、冒険家。否、賭博師のごとくじゃが?」
「そんなことは、あり……ま……せんが……」
視線を逸らすヘンリーに、三対の視線が突き刺さる。
とても、抵抗できるものではなかった。
「実は、商会のお嬢さんと恋仲になってしまってですね……」
「認めてもらう為に、文字通り冒険に出たわけか」
「はい。子供もできたので、絶対にやり遂げなくてはなかったんです。失敗しましたけどね。ははははは……。なので、子供には一度も会ったことはありませんし……」
その証言に、三人揃って黙り込んでしまった。
慣れなくてはならないのだが、未練を残す死に様はなんともいえない重たさがある。
「それで、ヘンリーさん」
「あ、ヘンリーで結構です」
「では、ヘンリー。あなたの未練を聞かせて欲しい」
「そうですね。妻や子供に会いたいという気持ちは、もちろんあります。一目会うだけでは足りないでしょう。向こうの迷惑も顧みず、話しかけずにはいられません。ですが、私は死人です。突然出て行っても、邪魔なだけです」
「そんなことは……」
ない。そう言いかけて、レイナは思いとどまった。
部外者が立ち入るべき領域ではない。
そんなレイナに微笑を向けて、トウマはヘンリーに先を促す。
「ただ、商売がしたい。その気持ちはずっと残っています。海賊を退治してくれたお陰で、この船を私だけで動かせるようになったんですよ? 固定費の大幅な削減! 商売人の夢ですよ、これは!」
「商売? その姿でですかぁ?」
「うっ、そうなんですよね」
ヘンリーのテンションが、季節の変わり目の気圧ぐらい下がった。
だが、ミュリーシアはいつも通り。それは、信じるものがあるから。
「共犯者よ、方法があるのであろう?」
「実現は難しいけど、方法がなくもない」
「ほう。具体的にはどうするのだ?」
やはり、トウマは期待を裏切ることはなかった。
一笑千金。羽毛扇に隠れて、ミュリーシアは喜びを露わにする。
「なにか入れ物……極端な話人間そっくりな人形を用意して憑依すればいい」
「なるほどの。ゴーレムのようなものじゃな」
「ただ、そんな都合のいい物が存在するのかどうか……」
「地球なら、マネキンとかありますけどね」
レイナが、綺麗にグロスを塗ったネイルで唇に触れる。
「それなら、鎧とかでもいいんじゃないですか?」
「商売のことを考えなければ、だな」
「呪われそうですね」
さすがに、さまようよろいと商売したがる相手はいないだろう。
「実は、俺たちはあの島で新しい国を作ろうとしている」
「国……ですか?」
「ああ。今のところ、元勇者と元聖女とドラクルの姫とゴーストしかいない国なんだが」
「それは……」
「どんな出自だろうが、自由に過ごせる国を目指している」
「ちなみに、妾が国王である」
「は、はあ。これはこれは」
よく分かっていないが、ヘンリーは商人の本能でひざまずいた。
「そういうのは、いらぬのじゃが」
「要するに、ヘンリーさんが直接前に出なくても俺たちが協力することもできるってことなんだが」
「それは素晴らしい」
ひざまずいたまま、ヘンリーが顔を上げる。
ゴースト特有の半実体。それでも分かるぐらい、決意がみなぎっていた。
「そういうことなら、トウマさんと契約させてもらえないでしょうか」
「分かった。終了条件は――」
「――世界一の商人になるまで」
「分かった」
こうして、トウマは商人のゴースト、ヘンリーとも契約を果たした。
「どうも、私は今のところ船から離れられないようですが、相談に来てくれれば商売のアドバイスぐらいはできます。ただし、最新の知識ではないので鵜呑みは禁物ですが」
「ああ。いくつか、交易品の候補はある。頼りにさせてもらう」
トウマはヘンリーと握手を交わし、ワールウィンド号をあとにした。
「これで、やっと眠れる……」
「無防備な共犯者は、なにやらかきたてられるものがあるのう」
「分かります」
さすがに疲労困憊で、抗議することもできなかった。




