033.ゴーストシップ
「玲那は大丈夫か?」
「寒さは感じますけど、問題ありません。でも、これ気温が下がってるからじゃないですよね?」
「であろうな。妾も、体の中から冷気を感じておるわ」
沸騰湾の暑さをものともしなかったミュリーシアまで、寒さを感じている。
魔力異常の一種だろうかと、トウマは眉間にしわを寄せる。ゆっくりとはしていられない。
「シア、一気に突っ切ろう」
「うむ。飛ばすぞ」
ほんの数メートル先しか見えない濃霧の中でも、ミュリーシアは方向感覚を失ってはいなかった。
トウマとレイナの二人をハーネスで吊したまま、霧の中心。眼下のガレー船へと高度を下げていく。
「センパイ、憶えてますか? 家族旅行で温泉に行ったときのことです」
「ああ……。有料道路で突然霧が出て、前の車のテールランプだけが頼りだったな」
「後ろからも車が来てるから、止めてと言うこともできなくて。正直、『ああ、これから死ぬんだな』と思いましたよね」
「その時に比べたら、怖くはないな」
「共犯者の恐怖を紛らわすために、思い出話を始めたのかと思うたぞ」
頭上から降ってきたミュリーシアの声は、慈愛に満ちていた。
しかし、レイナとしてはそれをストレートに受け取れない。
「あたしも、結構怖いですから」
「それなら、島に残っても良かったのだぞ」
「センパイと離ればなれになるほうが、もっと怖いので」
「そうだな。俺も、玲那を残していくのは怖い。グリフォンの尾は、全然探索してないからな」
微妙に的を外した回答。
それでいて間違いでもないのが困ったものだが、ミュリーシアが空を進む軌道に乱れはない。
影術で編んだハーネスで吊す二人も、安定している。
それは予想通りの回答だったからで、もしレイナの真意をトウマが汲んでいたら異なる未来が訪れていたことだろう。
「随分と大切にされておるではないか、聖女よ」
「そこを疑ったことは、一度もないんですけどね」
「それはそれは……っと、そろそろ、到着じゃぞ」
ハーネスで吊られたまま、トウマとレイナが身構える気配がする。
濃霧の中、先に黒いドレスをまとったミュリーシアが甲板に降り立った。
それからゆっくりと、二人をガレー船に下ろす。
トウマは、そのまま。レイナは短めのプリーツスカートを抑えながら着地した。
「ありがとう、ミュリーシア」
「なに、適材適所であろう」
「それにしても……」
レイナが艶やかな美貌をしかめて、周囲を見回す。
霧が晴れているわけではないが、甲板上は薄くなっていて視界は充分確保できる。ミュリーシアの赤い瞳も、親の顔よりも見たトウマの横顔もはっきりと見える。
それはつまり、ガレー船そのものも同じということであり……。
「誰かが言わなきゃいけないから、あえて言いますけど……」
サラダに、セロリが混ざっていた。
そんな心の底から嫌そうな顔をして、レイナは言った。
「これ、明らかに幽霊船ですよね?」
「むしろ、幽霊船でなかったら驚きだの」
霧をまとったガレー船。その時点で断定していいぐらいだが、乗り込んでも推論を補強する証拠しか出てこない。
すべてではないが折れているマストもあり、残った帆もボロボロで焦げ跡すら見える。
甲板にはところどころ穴が空き、外側は見えないが同じような状態だろう。もしかしたら、船底に穴が空いているかも知れない。
そして、どこからともなくキィキィとなにかが軋むような。あるいは、泣いているような音がしている。
「王宮も、最初はこんな感じだったのう」
「廃屋というかあばら屋というか……ゴーストタウンだったからなぁ」
「うむ。皆で頑張ったお陰よの」
ミュリーシアが胸の下で腕を組み、感慨深げに赤い瞳を細めた。
豊かな双丘が強調され、レイナの心が闇に沈みそうになる。
「とりあえず、いきなり沈むってことはなさそうか」
「あたしは闇堕ちしかけましたけどね?」
「は?」
「それはいいですけど、空から人が降ってきても反応がない時点で当たりですよね」
「なにが出てくるか分からぬ。その心づもりで、先へ進む必要があるの」
国王らしくミュリーシアが取りまとめ、場を引き締める。
「そうです、センパイ。スケルトンのサメも近くにいるんですよね?」
「ああ。海中で待機してもらってるが」
「この船に、突っ込んでもらえません?」
しなやかな腕を伸ばして、レイナが甲板から船室の扉へのコースをなぞる。
けれど、彼女が期待した答えは返ってこなかった。
「ジャンプして甲板に来ることはできるだろうけど、陸で活動はさせられないだろ」
「え? サメなのにですか?」
「サメだから、だろう」
「おかしい……」
そもそも、スケルトンシャークの元になったのは大海を泳ぎたいという未練だ。
もちろん協力してくれるだろうが、未練にそぐわない依頼は気が引けた。
「それに、問答無用で船を壊すことになるしな」
「それもそうですね。残念ですが、諦めます」
「ところで、二人とも。魔力は問題ないかの?」
「あたしは、大丈夫です」
「俺は心許ない」
隠しても強がっても仕方がない。トウマは、正直に申告した。
「むべなるかな。グリフォン島を離れるときと、離れてからもいろいろあったからのう」
「そう言う女王様こそ、どうなんです? ずっと飛びっぱなしじゃないですか」
「問題などないわ。しっかりと、二人を守って進ぜよう」
ミュリーシアが、赤い瞳で周囲を睥睨する。薄い霧の中でも、銀色の髪は埋没することなく光輝いていた。
「はあ? 王様が家臣を守ってどうするんですか?」
「民一人守れずして、なにが王か」
「センパイは、わたしが守ります。心配無用です。自分の心配だけしていてください」
「決意に水を差すようで悪いが、そこまで危機的状況ではないぞ?」
男は強くあらねばならない。
そんな信仰があるわけではないが、二人の陰に隠れていなければならないほど消耗しているわけでもなかった。
「でも、シアは頼りにしている。必要なら、いくらでもち――」
「さて! どこから探索するかのう!」
「……いくらで、もち?」
レイナは、アイディアロールに失敗した。
その隙を逃さず、ミュリーシアが羽毛扇をぱっと開いて耳目を集めた。
「用を為しているかは分からぬが、オールがあるのは下の階層であろう? そこなら、なにかしらおると思うのじゃが?」
「いきなり行くんじゃなく、手がかりが欲しいな。航海日誌とか、そういうのがあるか探してみたいんだが」
幽霊船であれば、その乗組員もいるはず。死者のと対話に、情報は重要だ。
召喚時に付与されている意思疎通のスキルにより、読み書きも問題はない。
「まずは、この甲板を調べてみたらどうです?」
「それじゃ」
「そうしよう」
安全策を採って手分けはせず、まとまって探索する。
そう決めた時、トウマが二人を制した。
「二人とも、待った」
死霊術師が見つめる先は、船室への扉。
その裂け目に、黄色い光が出現した。
「……どうやら、ようやくお迎えが来たようだ」
そこがギィ……と音を立ててゆっくり開くと、暗闇に無数の光点が浮かんだ。
そこから、いくつもの骸骨があふれ出る。
「スケルトンじゃな」
「やっぱりって、感じですね……。まったく、うれしくないですけど」
骨の体に、どんな意味があるのか。色あせた襤褸をまとったスケルトンの一群が、甲板いっぱいに広がっていった。
眼窩には目ではなく、黄土色の光が灯っている。
声はなく、匂いも潮の香りにかき消されて感じない。
ただ、カタカタと骨が動く音がする。
夜の闇。霧が、星明かりも遮る中で。
スケルトンたちが持つ舶刀――カットラスの刃が、不吉な光を帯びていた。




