032.闇を行く船
「しかし、船とな」
「なにか気になることがあるのか?」
羽毛扇を開いて口元を隠したミュリーシアが、赤い瞳で遠くを見つめる。
「船が偶然たどり着けるような島なら、とっくにどちらかの勢力に支配されているのではと思うてな」
「それは、理屈としては確かにそうだが」
しかし、このグリフォン島は無人島のようなものだった。
その現実は、動かしようがない。
「島に近付いても、結界のようなものは感じませんでした。海流の関係で、たどり着けなかっただけでは?」
「となると、今近付いてきておる船はなんじゃろうな? それに、空であれば海流は関係あるまい?」
数は少ないとはいえ、“魔族”側に空を飛べる者はいる。ジルヴィオがワイバーンをテイムしていたように、光輝教会側も同じだ。
「モンスター……魔力異常で発生したのではない生物がいる以上、絶対にたどり着けないわけじゃないよな」
「海流に加えて気流までというのは、不自然ですよね。その不自然さで、目立つことになりますし」
「ただの考えすぎで、偶然が重なっただけかもしれぬがの」
「あるいは……。この島自体に意思があって、選別してる……とか?」
ふと顔を上げると、赤と緑の瞳に見つめられていた。
あまりにも、ロマンチック過ぎただろうか。トウマは恥ずかしくなって、言い訳を始める。
「いや、根拠なんかないぞ。なんとなく思っただけだから」
「案外、共犯者の言う通りかもしれぬぞ」
「ファンタジーな世界ですからね。なし寄りのありでは?」
「どっちなんだ、それは……」
「リリィは、その考え素敵だと思うのですよ! きっとアムルタート様のお導きなのです」
精霊の名前まで出して、肯定されてしまった。
なんとも恥ずかしい。背筋がむずむずする。
「普段はクールなセンパイが照れるのも、いいものですね」
「くくく。あまり言うと、共犯者がへそを曲げてしまうぞ」
トウマは、ぱんっと手を叩いて話を本筋に戻す。
「確かめようもない話はともかく、船を確認しにいこう」
「不審船ですもんね。」
「うう、海だとリリィはついていけないのです」
戻ってきたばかりなのに、またトウマたちと離ればなれ。三つ編みが、元気なく垂れ下がる。
リリィも、ゴーストたちもしょんぼりとしたオーラを発していた。
「うっ、結構罪悪感がありますね」
「共犯者なら、なんとかしてくれるであろう」
「ですね」
信頼が重たい。
しかし、裏切るわけにもいかない。
トウマは、リリィとゴーストたちをじっと見つめる。
「リリィたちにしか、できない任務がある」
「そーゆーおためごかしみたいなのは、いらないのです」
「“王宮”を守って欲しい」
「はっ。任せるのです」
ごまかしだが、まったくの嘘というわけではない。
なにより、実績は充分だ。
「なるほどの。いわば、近衛じゃな」
「コノエ? よく分からないけど、格好良いのです。リリィたちは、コノエなのですよ!」
リリィが周囲を飛び回って気炎を上げ、ゴーストたちからもやる気が溢れ出る。
「ああ、頼む。“王宮”は最重要施設だからな」
「はいなのです!」
一言でリリィたちを元気づかせると、トウマはミュリーシアに目配せした。
その意を汲んで、ぱしりと羽毛扇を閉じる。
「では、行くか」
「あ、もちろんあたしも行きますからね」
「ふむ……。あれこれ言う時間が惜しいの」
「なんで、あたしがわがままみたいな扱いされてるんですか!? というか、センパイの制服脱いでくださいよ」
「ああ、そういえば貸したままか」
もういいだろうと、トウマが制服を受け取るために手を伸ばす。
しかし、差し出されたのは服ではなく影術で編んだハーネス。
「シア? いや、制服自体は別にいいんだけど」
「良くないですよ!?」
「では、行くか」
絶世独立。並ぶ者なき微笑をたたえたドラクルの姫が、背中から翼を生やす。
そのまま、勇者と聖女を連れて東へと飛んだ。
「船が来たのは、グリフォンの尾のほうで間違いないのだな?」
「ああ。今も、島に向けて近付いてるそうだ」
「例の話が本当なら、北からは来ませんよね」
闇夜の中、空の人となったトウマがうなずいた。好きこのんで、沸騰湾に近付く船は存在しないだろう。
「そう考えると、漂流というわけではないのかもしれぬの」
「決めつけるのは、早計じゃないですか?」
「リリィたちは、あまり海に近づけないほうがいい気がする」
不意に変わった話題に、影に釣られて飛行するレイナが首を傾げた。
「どういうことですか?」
「黒騎士が現れた理由……だな」
「ああ、それはなんとなくですが分かってます。正直、共通の黒幕がいたっていうほうが分かりやすいですけど」
「あの黒騎士は、なにかを守れずに死した怨念が魔力異常と結びついてモンスター化したモノだとしよう」
であれば、この島で守りたかったものとはなんなのか。
答えは、ひとつ。
「リリィたちしかおるまいな」
「ああ。そして、リリィは一度島から出ようとしている。海に入ろうとして、見えない壁に弾かれてしまったけどな」
「そんなことがあった後に、妾たちが島から出ようとしたわけじゃな」
「センパイはこう言いたいんですか? 守るものが、いなくなってしまうかもしれない。それに焦って出てきたと?」
だから、あのタイミングだった。
トウマの言わんとするところを理解し、夜の空に沈黙が流れる。
それを破ったのは、第三者的な視点を持つレイナだった。
「モンスターに、そんな感情があります?」
「さての。じゃが、妾たちはなにも知らぬがゆえに、魔物という分類を作り。そこに押し込め、分かっている気になっているだけかもしれぬな」
「そうなると、なにも言えないですね」
降参ですと、影のハーネスに吊られながらレイナは両手を挙げた。
「確かめる方法がない以上、用心するしかないな」
「まあ、そういう結論に……そういうことですか」
無駄とは言わないが、生産性が高いとも言えない会話。
トウマがそれを始めた理由に気付き、夜闇の中レイナはそっと微笑んだ。
「センパイ、高いところ苦手ですもんね」
「……黙秘する」
「センパイの場合、沈黙は肯定と同意なんですよねぇ」
「そうじゃったのか? いや、しかし。妾が共犯者を落とすわけがなかろうに」
「どうして、あたしを省いたんですか!?」
「おお、共犯者の言う通りじゃの。沖に船が見えるわ」
ミュリーシアの露骨すぎる話題転換。
しかし、それに抗議の声は上がらなかった。
「俺たちじゃ見えないけど、どんな感じだ?」
「ガレー船のようじゃな。櫂が動いておるのが見える」
「本当に見えているんですか? 明かりもないのに」
「その通り。明かりも灯さずにこちらへむかっておるわ」
「漂流してるって感じではないんだよな?」
「そこまで、損傷しておるようには見えぬのう」
夜間に船を動かすこと自体が稀なのに、明かりのひとつもない。
怪しすぎた。
「あからさまに不審船じゃの」
「とにかく、話を聞くところからだな」
「そうですね。この島への航路があるのなら確認が必要でしょうし」
「この一隻だけとも限らぬしな」
ミュリーシアがさらに速度を上げ、闇夜を切り裂くように飛んでいく。
十分ほどして。ガレー船が、トウマやレイナからも視認できるようになったその時。
――突如として、霧が立ちこめた。
「……む。これは面妖な」
「影を操る人が言うと面白すぎるんですけど?」
「確かにそうじゃな」
「認めるんですか!?」
「霧って、こういう風に出るものじゃないよな」
これで、ただの船という可能性はなくなった。
上着を返してもらっていないからではなく、霧に包まれたトウマは肩を震わした。




