030.それは、決して赦しではなく
「トウマッ!」
「ジルヴィオ……」
必死の形相でワイバーンを駆り、ジルヴィオはトウマに追いすがった。
待てば落ちてくるのに、そんな当たり前のことにも思い至らないようだ。
少し、可笑しい。
トウマは、心から笑った。しかし、表情筋は本人の思い通りには動かない。実際には中途半端な表情にしかならなかった。
さすがに、魔力の限界。ミュリーシアに言わせれば、その前の段階で気絶していないのがおかしいということになるのだが。
「ここで、お前だけでも殺せばッッ」
「無理だ」
言葉を発するのも億劫だ。
まるで高熱に浮かされているかのように、意識も曖昧。
だから、トウマは落ちることしかしない。できない。
「余裕ぶりやがってッッ」
激昂したジルヴィオが、毒を塗ったナイフを何本も投擲する。
しかし、届くことはない。
黒騎士の一斉射撃をも防いだ《エボン・フィールド》。それにすべて弾かれ、力を失い落下していく。
「なら、直接やれば――」
「ああ、その通りだな」
三つにわかれた燃え上がる目が描かれた円形の盾は、まだ使えるはず。それで、《エボン・フィールド》をかき消せばいい。
その判断は正しかった。
正しかったが、現実が見えていなかった。
「――じゃが、やらせるはずがあるまい?」
地上から、トカゲが飛んできた。
比喩でもなんでもなく、ドラクルの怪力により重力から解き放たれた偽竜の死体がトウマとジルヴィオの間に割って入る。
「ちぃっ」
なんとかワイバーンを制御し、衝突は避けた。しかし、急な制動にワイバーンが姿勢を崩す。
そこにもう一発。
今度は、防ぎようがなかった。
失速して、頭から落ちていくワイバーン。
「ちっ、くしょうがぁぁぁっっっ」
「うちの王様は、過激だな……」
少しだけ安心したように笑って。
「でも、頼りになる」
トウマは、制服を羽織るミュリーシアの胸へと飛び込んでいった。
「さて、どう報いをくれてやろうかの」
「一人で勝手に決めないでください。あたしも被害者なんですから」
「良かろう。二人の案を足して割らずに処遇を決めるとしようか」
「いいこと言いますね」
地面に落ち、ミュリーシアの影術に囚われ。身動きひとつできないジルヴィオ。
好き勝手に言われても、反論ひとつしない。
諦めたのではない。機会をうかがっているのだ。
「シア……、レイナ……。脅かすのは、それくらいにして……くれ」
反論は、被害者であるトウマから。
すでに、周囲から光の粒子は消え去っている。
そして、灰騎士となって蘇ったアンデッドたちも、誰かを守るという未練を晴らして昇天した。残っているのは偽竜の死体だけだ。
レイナのスキルで体力を回復させてもらったトウマは、ゆるゆると立ち上がった。
生きていることを確認するかのように地面を踏みしめ、ゆっくりと。けれど、はっきりと口を開く。
「まず、前提条件。俺が生きていることを、ジルヴィオは誰にも話していない……はずだ」
「さっき言った通りだの」
「確かに、完全なぼっちでなければ手助けがいるはずですね。あたしを連れ出したのも、完全に独断でしたし」
それがなにかとレイナが問う前に、ミュリーシアは理解した。
「なるほどの。教会にどう報告しているかは知らぬが、ここでこの光輝騎士が死んだら調査が入るは必定」
「そうなると……。ああ、センパイが生きているとばれてしまうわけですか……」
生きても死んでも厄介ですねと、レイナは緑がかった瞳で地に伏せるジルヴィオを見下ろす。
まるで、俗物めと言わんばかりだ。
「だから、ジルヴィオは殺さない。生かして、俺とレイナは死亡したと光輝教会には報告してもらう」
「しかし、光輝騎士がそう簡単に裏切るかの?」
「裏切るという意味なら、報告しなかった時点で裏切っている。であれば、俺たちを守ることが利益になる以上は信じていい」
「……という建前で、見逃すのだの?」
「うっ」
思わず、言葉に詰まる。
それが答えだった。
しかし、そんなトウマをとがめ立てなどしない。
「良い。実に良い。その甘さこそ、妾が共犯者に求めるものである」
朱唇皓歯。華やかに微笑み、白い牙が覗く。ミュリーシアは、羽毛扇を手に高らかに宣言した。
「は? 妾が? 共犯者? なに特別感醸し出してるんです? そもそも共犯者ってどういうことなんですか。ちょっとセンパイ、説明してください」
「もちろん。こうなったら、玲那にも協力をしてもらいたいからな」
「共犯者? そこで正面から普通に答える……だと……?」
「ええ。それが、センパイなんです……」
そのやり取りを聞いて、ジルヴィオは顔を上げた。
憤怒。
いつもの人好きのする笑顔をかなぐり捨てて、鬼のような形相を浮かべている。
「オレは、お前らを騙してまとめて殺そうとしてるんだぞ? 利用する? 単に、自分の手を汚したくないだけだろうが! 善意面して押しつけるんじゃねえ!」
「それもある。まあ、これは俺のエゴだな」
トウマは、膝をついてジルヴィオと視線の高さを合わせた。
そして、なにかを決意するかのように深呼吸する。
「俺たちは、新しい国を作ることにした。平等とはいかなくとも、誰も虐げられたりはしない。新しい国だ」
「国? それがどうしたって――」
「ジルヴィオの扱いは俺たちの国を本物にするための、試金石だ」
虐げられる者がいない、新しい国。
それを求めるのであれば、指導者である自分たちが簡単に他者を切り捨ててはならない。
たとえそれが、仇であっても。
「どんな相手でも無条件に受け入れる。そんなわけにはいかないだろう。だが、俺たちはこう思えるようになるはずだ。『ジルヴィオを殺さなかったのに、この人たちを拒絶するのは間違いなんじゃないか』ってさ」
お前は、判断基準だ。だから、命は取らない。
利己主義。
確かに、完璧な利己主義だ。
まさかトウマからそんな言葉が出てくるとは思わず、誰もが圧倒されていた。
「だから、俺はジルヴィオを見逃したい。許せはしないけどな」
「仕方あるまい。まあ、二度目はないがの」
「そのときは、あたしが潰します」
「ありがとう……でいいのか?」
なんとなく不安になったが、深追いすると心配事が増えるだけなのでブレーキを踏んだ。
そして、代わりに険のある視線をジルヴィオへと向けた。
「これは、もう必要ないから」
と、マジックアイテムの指輪を抜いてジルヴィオの目の前に置き立ち上がった。
光輝騎士は、噛みつくようにそれを見つめる。
「こいつは……」
「さすがに、俺の死体は渡せないからな」
「そうですね。もう、あたしとセンパイは離ればなれにならない以上、不要ですね」
「単に、証拠のひとつもないと信用されぬからであろう?」
「一石二鳥ってことですよね」
レイナも、左手の薬指から指輪を抜いて地面にそっと置いた。少し寂しげに、サイドポニーにした髪が揺れる。
「悪いな、玲那」
「もちろん、埋め合わせには期待していますから」
「頑張ろう」
後が怖いような気もしたが、それを振り払って踵を返す。
「ああ、そうだ」
その途中、トウマはふと立ち止まった。
振り返らずに、言う。
「俺は一旦殺されたけど、死霊術でアンデッドになって復活。指輪の効果でレイナもそのことに気付いたので、一緒に処分した……という筋書きにでもすればいいんじゃないか?」
「センパイ、ちょっと苦しくありません?」
「つじつま合わせは、ジルヴィオに任せるしかないな」
そこまで面倒は見られない。
高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応してもらうしかないだろう。
「行こうか、シア。リリィたちが心配だ」
「そうじゃな、共犯者」
「リリィ……」
また他の女の名前が出てきた。
にもかかわらず、レイナはぐっとこらえた。
「この後、話を聞く時間はいくらでもありますよね?」
「そうじゃな。まずは、空の旅と洒落込もうかの」
「空か……」
ドラクルの姫が翼を生やし、影術で勇者と聖女を空へと誘う。
地面に拘束されたまま、ジルヴィオはそれを黙って見送ることしかできなかった。




