295.すねるタチアナ
「タッちゃんは、拗ねちゃったのですよ~」
「まあ、それは見れば分かるんだが」
体育座りで地面に絵を描くなど、拗ねているか校長の話が長すぎるかのどちらかしかない。
校長はいない。
では、なぜ拗ねているのか。
それが分からない。
「護衛なのに……ミュリーシア様の護衛なのに……っす」
「そうか。シアに置いていかれて拗ねているのか」
「分かってるっす……。留守を守るのも大事な仕事だって分かってるっすよ……」
「なるほど。これは打つ手がないな」
理屈は受け入れているが、感情が納得していない。
これを説得するのは至難の業だろう。
「イナバ様もイナバ様っす……。あーしのいないところで、敵地に乗り込んでいくとかなにを考えているっすか……」
「……俺もなのか?」
ミュリーシアとタチアナ。二人の問題だと思っていた――今でも思っているが――トウマは面食らった。
「ノインがいるから、大丈夫だと判断しただけなんだが」
「それで済んだら、護衛は要らないって話っすよ!」
「俺とかシアだけを守るんじゃなく、この島全体の護衛……守護者を目指すというのは……無理か。無理だな」
途中で、あまりにも詭弁が過ぎると反省してしまったこれで説得できたら逆に驚く。
ベーシアなら丸め込めそうだが、トウマには不可能だ。
「でも、この前はモンスターを倒してくれただろう? マジックアイテムも手に入れたし」
「そうだけど、そうじゃないっす!」
ようやく、地面ではなくトウマを見た。
「あーしの目標は、ミュリーシア様にお仕えすることだったっす」
「それは叶ったな。おめでとう」
「ありがとうございま……っす。って、そうじゃないっす!」
両手をぶんぶんと振って、不満をアピールするタチアナ。
ただ、顔は満面の笑みを浮かべている。
ミュリーシアと同じ顔でされると、双子の妹のようで不思議な気分になる。性格は、正反対だが。
「お仕えすることがゴールじゃないんっす。そこからまた新たな始まりなんっす」
「まあ、それはそうだな」
受験は、合格するためではなくその学校に通うためのもの。
タチアナの言うことは、真っ当で理解しやすい。
であれば、自ずと解決法も見えてくる。
努力だ。
「要するに、タチアナは飛びたいということだな」
「は? どうしてそうなるっすか? ベーシア先生みたいなことを言うもんじゃないっすよ」
ベーシアみたいと言われてトウマの眉が、跳ね上がった。しかし、すぐに誤解だと断定して先を続ける。
「今回、シアから島に残るように言われたのは、玲那とも同じ理由。移動について来れないからだろう」
「まあ、グリフォン島でなにが起こるか分からぬからというのもあるがの」
すべてではないが、少なくない割合を占めている。
ミュリーシアが黒い羽毛扇で口元を隠しつつ、はっきりとうなずいた。
「つまり、あーしもミュリーシア様みたいに飛んで行けたら置いていかれなかったというわけっすね!?」
「一緒に行ける可能性は、高まっただろうな」
「そもそも、護衛が護衛対象についていけないっていうのもどうなのかって話ですよね」
レイナの何気ない一言。
それが、タチアナの魂に火を付けた。
「やってやるっす! うおおおーー!」
「ここは、空を飛ぶセンパイであるリリィがアドバイスしてあげるのですよ~」
「よ、よろしく頼むっすリリィちゃん様センパイ!」
「リリィちゃん様センパイに、お任せなのですよ~」
意気揚々。希望を胸に抱いて、ゴーストとドラクルが神殿前の広場を駆け抜けていった。まだこのノリに慣れていないステカが、瞳孔を縦にして驚く。
どこへ行くつもりなのか、行き先は雲に聞くほかなさそうだ。
「ちょっと、あたし以外がセンパイ呼びをするのは法律で禁じられてますよ!」
タチアナとリリィが聞くはずもなければ、そんな法はない。
レイナは、やれやれと肩をすくめた。サイドテールの髪が、わずかに揺れる。
「まったく、3年以下の懲役または100万円の罰金ですよ」
「初犯は執行猶予が付きそうだな」
「それでは、わたくしはアギト村に戻ります」
「ぴっ!」
モルドから直に説明を受けて、少なくとも表面上は不満はないらしい。
トウマに言われたからか、ピヨウスがステカと一緒にてくてくと歩き出した。
「ご主人様」
「ああ、ノインも先に“王宮”に戻ってくれ」
「かしこまりました」
瀟洒に一礼して、ノインも立ち去った。
残ったのは、トウマとミュリーシア。それに、レイナ。
「あたしたちも行きましょうか」
「ああ、そうだな……と」
歩きながら、トウマはミュリーシアにも見せた条約案をレイナへ手渡した。
「一応、確認してくれ」
「へえ~。これが、ア聖友好修好通商条約ですか」
どうやら、日米修好通商条約とかけているようだ。
意味が分からないミュリーシアが、羽毛扇を閉じてトウマの脇腹を突っつく。
「俺の故郷は、昔鎖国……他国とほとんど交流しない政策を採用していたんだ。そこから開国することになった条約が、日米修好条約という」
「ほう。なかなか学のある台詞だったわけじゃな、レイナの割には」
「ふふっ。そうですね。あたしとセンパイだけが理解可能な、ハイコンテクストな会話というやつです」
勝ち誇ったような笑顔を浮かべ、レイナが条約案の記された羊皮紙をトウマへ戻した。
トウマとミュリーシアが離している間に目を通したようだが、あまりにも短時間。
「将来の子供たちは、これを暗記させられることになるんですね」
レイナの感想は、これだけだった。
「他に、なにかないのか?」
「あたしの浅知恵よりも、センパイとミュリーシアのほうが役に立つに決まってますから」
「本物の愚者が、そんなことを言うとは思えぬがの」
ドラクルの姫が赤い瞳を向けるが、緑の聖女は意に介さない。
「あたしが望むのは、これが偉業として教科書に残ることですよ」
「普通でいい、普通で。ベーシアに聞きつけられたら、盛りに盛られるぞ」
「今回は、あまり表沙汰にはできぬからのう」
聖魔王ティアーシャの側近が、条約案に罠を仕掛けた。
それを看破された挙げ句に、耳を折って謝罪したものの結局は左遷の憂き目に遭った。
こんなこと公表できるはずがなかった。
「絶対に、おもしろおかしく脚色しますよ」
「いや……」
トウマは、軽く頭を振った。
ただ、表情は真剣で苦み走っている。
「ベーシアがあることないこと言いふらすのは、そのほうが面白いときだけだと思う」
「混ざりけのない真実だけでも、充分じゃのう」
ありのままが流布されるというわけで、デマよりもよっぽど性質が悪い。
「友好とか配慮とか。忖度の敵ですね」
「本人は、愛と正義のジャーナリストだと思っていそうだが」
敵に回すと恐ろしいが、味方にすると厄介だ。
「じゃあ、どうするんです? 秘密にします?」
「まさか、それこそ悪手だろう」
視線を上げると、“王宮”が見えた。
何度目か分からない、帰ってきたという実感。
その安堵と一緒に。言葉を吐き出す。
「誠心誠意お願いする。それが、ベーシアに希望を伝える最善手だ」
思わず、ミュリーシアとレイナが顔を見合わせた。
それでどうにかなれば苦労はないはずだが……。
「それはさすがに、見通しが甘すぎません? 日本の政治家ですか?」
「いや、これでいいんだ。俺たちのことを、手がかかる子供みたいなものだと思っているからな」
「だから、素直に甘えるのが一番だと?」
「子供扱いというのは、妾のこともかの?」
「どちらも、答えはイエスだ」
改めて、ミュリーシアとレイナが目と目を見合わせた。
さすがにそれは……と思ったが、ベーシアならあり得る気もする。
「ちなみに、共犯者よ。もし聞き入れられなかったらどうするのじゃ?」
「それは、祈るしかないな」
「怨霊かなにかですか」
一見投げやりな、運を天に任せるかのような言葉。
けれど、トウマは至極真面目だった。
ノベリズム版に追いつきそうなので、ここで一旦更新ストップです。
再開は年末から年明けの辺りを予定しています。
申し訳ありませんが、続きはしばらくお待ちください。




