284.沈黙の旅路
「さて、決まったからにはすぐ動きべきだろうな」
握っていた手を離し、トウマは振り返って声をかける。
「モルド、聞こえていたとおりだ」
「あ、ああ……。少し整理させて欲しい」
メルロ・トゥワイスローン。聖魔王の側近と別れて、トウマがモルドたちへと近付いてくる。砂漠に足跡が刻まれる様を見て、ハーフエルフの美丈夫が天を仰いだ。
なにかに耐えるように、まぶたは固く閉じられている。
成り行きを見守るしかできなかった――トウマに任せた以上、文句を言う筋合いはどこにもない。
だが、トウマと聖魔王の会談? これからすぐに、移動して?
マジックアイテムを届けるついでの帰省のはずが、どうしてこうなったのか。誰もなにも、答えてはくれない。
他の砂漠の民たちに、そんなモルドを揶揄する空気はなかった。あるのは、自らが矢面に立たずに済んだという安堵。
モンスターとの戦いに臆することはないが、あまりにもあまりな展開にはついていけそうにない。
「モルドは、こっちに残ってもらいたい」
「……そうだな。足手まといは不要だろう」
気づけば目の前にいたトウマに、モルドは反射的に答えていた。
トウマと聖魔王の会談。
これを断れば、力尽くで族長を連行しようとするだろう。
それを理解しているトウマが、翻意することはない。
であればせめてモルドも同行すべきだろうが、向こうでなにがあるか分からない。盾になれればいいが、人質にでもなったら邪魔だ。
護衛は、ノインで充分。
それならば、残ってフォローするほうが役に立つ。
モルドの思考を言語化するならば、こういうことになるだろう。
「俺は残る。そして、事情を説明すればいいか?」
「話が早くて助かる。それから、もしシアかベーシアが来たらフォローも頼む」
「……なんとしてでも、そちらに同行すべきだという気がしてきたな」
トウマが単独行動をすると知ったミュリーシア?
自分の処置が甘かったと痛感したベーシア?
この二人に事情を説明する?
聖魔王とやり合うほうが、よほどマシだ。
あまりの難事に直面し、モルドはスマートフォンで連絡すればいいという事実に気付かない。
そして、それはトウマにとって好都合だった。
「気持ちは分かるが、あとは頼む」
「……分かった。代わりに、親父たちになにか伝言が欲しい」
「この件は、誰が悪いわけじゃあない。気にせず、いつも通り過ごすように伝えてくれ」
聖魔王に呼び出されたのは、自分たちのせいだと考えてしまうだろう。
だが、それでは砂漠の民がより良い環境に移り住んだのが悪いということになってしまう。
それは絶対に違うと、トウマは思う。
だから、これは必然で。
叶うならば、奇貨にしなければならないのだ。
「それに、これはいい機会だ。実りある会談にするから、心配しないようにとも付け加えてくれ」
「……分かった。だが、無事に戻ってくれなければ困るぞ」
「もちろんだ。モルドをこっちに置きっぱなしにしたら、ステカに恨まれる」
表情ひとつ変えずに冗談を言って、「それじゃあ」と軽く手を挙げた。
簡素すぎる、別れの挨拶。モルドは、笑おうとして失敗した。
それを気にすることなく、トウマはメルロ・トゥワイスローンの元へと戻っていく。聖魔王の別邸への移動について話し合うのだろう。この先は、モルドが関われる領域ではない。
「俺たちも戻るぞ」
狩人たちもうなずき、ハタノへ針路を取る。先導は、ガーディアンワームが務めてくれた。
その帰路。しばらく進んだところで、モルドは唐突に足を止めた。
何事かと周囲が色めき立つが、ハーフエルフの美丈夫は気にも止めない。
それよりも重要なのは、別れ際の一言。
『モルドをこっちに置きっぱなしにしたら、ステカに恨まれる』
笑おうとして失敗した、トウマの冗談。
「……もしかして、冗談ではなかったのか?」
あり得る。
というよりも、そうとしか思えなくなっていた。
これから聖魔王と対峙しようというのに、心から他人の心配をする。
真面目すぎる勇者の無事を、精霊アムルタートに祈らずにはいられなかった。
ニャルヴィオンが、砂漠を疾駆する。
まるで最初からそのために生まれたかのようにキャタピラが砂地を踏みしめ、蒸気猫が雄々しく鳴き声を上げた。
その前方。道案内をするように先行するのは、メルロ・トゥワイスローンとその一行。
羽の生えた恐竜のような生物に乗って、砂漠を移動している。ジルヴィオが操っていた偽竜に似ているなとトウマは思ったが、スマートフォン経由で調べるわけにもいかない。
ソヴェリス・ティルタサナにも一頭与えられているが、拘束はそのままのようだ。
エルフの宣教使の扱いに関して、こちらから言えることはなにもない。
だからというわけではないが、ニャルヴィオンの二階席でトウマが口にしたのは別のこと。
「目的地に着いたら、ニャルヴィオンをきれいにしてやらないとな」
きっと、砂だらけだろう。普通の猫と違って自主的に水浴びはするようだが、それはそれとして労ってやらねばならない。
向かうのは聖魔王の別邸。この世界の半分を支配する“魔族”だ。洗うための道具を要求しても構わないはずだ。
「でも、さすがにホースとか水道はないだろうな」
水が陽光を反射して虹のようにきらきら輝くのが好きだった。
洗車をする祖父の姿を眺めていた、幼い日の記憶を思い出す。
手伝わなかったのではなく、手出しをさせてもらえなかったのだ。
年式が古く、角張ったあの車。
祖父が亡くなる前に車検のタイミングで処分してしまったが、今ではメーカーも名前も分からない。それくらい、きちんと聞いておけば良かった。
「……参ったな。どうも、砂漠は人を感傷的にさせるらしい」
「風景に変化がなく、思考が内面に下りていく傾向があるのでしょうか」
「そんなところかな」
けれど、それがすべてというわけではない。
ミュリーシアやレイナ。あるいはリリィがいれば、賑やかでそんなことを考える暇もなかったはずだ。
しかし、トウマとノインではそうもいなかい。
これはタイプが違うというだけで、ノインの物静かさがありがたいという場面もあるだろう。むしろ、比率としては多いかもしれない。
無理に明るく振る舞う必要もない。そのため、話は自然と実務的な話になる。
「それよりも、ご主人様。会談の件を、陛下や奥様に――」
「ノイン」
突然、トウマが指を絡めてきた。悲鳴を上げなかったのは、自動人形ゆえというわけではない。あまりにも予想外すぎて、思考が固まってしまったのだ。
再起動を果たしたものの、アメジストのような紫の瞳が困惑に染まる。
だが、嫌悪感はない。いきなりで驚いただけ。
「あのご主人様? いえ、求められるのはうれしく思いますがこの場では……」
人目がある。
正確にはピヨウスの目だが……そこで、ノインは思い至る。
監視。なんらかの手段で、こちらの様子をうかがっていてもおかしくはない。
トウマは、その危険性に気付いていた。だから、言葉ではなく行動で示したのだ。
思えば迂闊だったと、ノインは自省する。
スマートフォンの存在など、誰も想像もしていない。これは、切り札になり得る。
実のところ監視されてるのか分からないが、その前提で動くべきだろう。
「まあ、そうだな。止めておこう」
「はい。それがよろしいかと」
絡まっていた指が解かれ、何事もなかったようにノインはうなずいた。
トウマから贈られた月下美人のかんざしを手にしながらだったので、そこまで冷静だったわけでもないようだ。
「シアたちへの報告は……そうだな。手紙を書くから、ピヨウスに届けてもらえたらいいんだけどな」
「反対です。いざというときの移動手段は確保すべきです」
「ぴぴぃっ」
ピヨウスも、ノインと同意見のようだ。羽根をばたつかせ、頭から突っ込んでくる。
「悪い悪い。仲間外れにはしないから」
「ぴっ」
分かればいいのだと、
ただし、完全に信用はされていないのかトウマの膝の上に乗っかった。
「重たい……」
「ぴぴぃっ」
トウマの抗議にも、ピヨウスは動く気配がない。仕方なく、トウマは羽毛に頭を埋めて抱き留める形になった。
「ご主人様、このままお休みになってはいかがでしょう」
「……そうだな。体力は温存しておくか」
疲労していると頭の動きが鈍る……というだけではない。
いざというときは、ピヨウスに魔力を与えて逃げ出さなくてはならない。非常事態に備えて、魔力の回復に努めておくべきだろう。
「すまない。なにかあったら、遠慮なく起こしてくれ」
「はい。おやすみなさいませ」
トウマが目を閉じると、しばらくして穏やかな呼吸音が聞こえてくる。
ノインは優しい瞳でそれを見守り、ふと白くて細い手をトウマの髪へと伸ばす。
「ぴ?」
気配に気付いて、ピヨウスがぐるりと振り向いた。フクロウのように、首の可動域が広いらしい。
マクイドリと自動人形の目が合った。
「…………」
「…………」
すでに、ノインの手はトウマの頭から自らの膝へと移動していた。
ピヨウスが首を傾げるが、やがて興味を失った。トウマと同じく眠ることにしたようで、ノインから視線を外した。
「箍を締め直さねばなりませんね……」
トウマの安全は、自分一人にかかっている。
延いては、アムルタート王国の興廃すら左右することになるのだ。油断は絶対に許されない。
しかし、ノインの決意とは裏腹に移動中はなにも起こらなかった。
メルトたちはかなり訓練されており、騎乗用の恐竜も相当タフなようで休憩もない。
そのまま走り続け、日が傾く前にタガザ砂漠を抜けた。




