279.スイートルーム
「にゃにゃにゃにゃにゃ~ん」
「ああ、すまないな。心配かけた」
見ていることしかできず、不安だったようだ。路地裏からトウマが出てくるや否や、ニャルヴィオンが鼻先をすりつけてきた。
かなりの迫力があるが、問題はない。トウマはしっかりと受け止める。
「みんな無事だから、大丈夫だ」
「にゃ~ん」
「きっと、ニャルヴィオンも活躍したかったのですよ!」
「あの閉所では、致し方ないかと」
「そうだな。そういえば、猫はイカを食べたらダメなんだったか。確か、腰を抜かすとかなんとか」
イカの、特に内臓に含まれる成分がビタミンB1を破壊してしまう。
そのまま欠乏症になると食欲の減退や、ふらつきが発症。猫が腰を抜かすというのは、こういった状態を指してのことだ。
「ふええ……。それは一大事なのですよ」
「にゃあああぁぁ……」
リリィとニャルヴィオンが、揃ってぶるぶると震える。
もっとも、多少口にしたぐらいで慌てる必要はない。
実際には、長期間大量に食べなければ問題ないとされている。
という説明は、届きそうになかった。
「そもそも、ニャルヴィオンは石炭以外は……」
ノインの根本的な指摘も同じく。
「それデ、もう戻るカ? 以前言われたとおリ、目を付けた場所には立ち入らぬようにしているガ」
そんな空気を、ネイアードがあっさりと破った。
「いや、行こう」
「陛下や奥様へのご報告は?」
「……急ぐ必要はないだろう」
応えるまでの空白が、トウマの葛藤を端的に表していた。
けれど、撤回するつもりはなかった。
「リリィも賛成なのです」
空中で腕組をして、リリィが深々とうなずく。
「全部一緒にまとめてごめんなさいをしたほうが、怒られる時間は短く済むのです。むしろ、正直に謝れて偉いってほめてくれる場合もあるのですよ」
「プロの見解だな」
別に、怒られるようなことをしているわけではない。
わけではないが、情報の飽和でひとつひとつを矮小化するのは妙手だと思われた。
「デハ、案内するとしよウ」
「にゃっ」
ニャルヴィオンに乗り込み移動すること、数十分。
アクシデントは発生せず。またしてもレイナの過去がいくつか暴かれたところで、目的地に到着した。
「これはまた、一段と高い建物でございますね」
「トウマの故郷は、やたら縦に大きくするのですよ~」
「土地の有効活用だな。国土が狭いわけじゃないが、平野は少ないんだ」
そこは、高級ホテルだった。格式もあり、トウマが地球にいた頃であれば場違いだと近づこうともしなかっただろう。
もっとも、今は別の意味で近づきがたい。
往年の立派さは見る影もなく、外壁は崩れ落てガラスも散乱している。
暗く、かつては多くの人で賑わったであろうロビーには不気味な空気が漂っていた。
「かつては、立派な調度があったようですが……」
「そうだナ。案内したいのハ、ここではナイ」
「にゃっ」
ニャルヴィオンが、ニャンコプターモードに切り替わった。どのように意思疎通しているのか不明だが、そのまま垂直に上昇していく。
数分かからず、ホテルの屋上へ。
ヘリポートとまではいかないが、ニャルヴィオンが降りるのは充分な広さ。
駅ビルのときと同じく、そこからホテルへと侵入していった。
「行ってくるのですよ~」
「上層階ニ、荒らされていない部屋がいくつもあるということダ」
「なるほど。ここまでは、ゾンビたちも来なかったか」
ネイアードが案内したかったのは、ホテルのスイートルームだった。
「俺も、階段を歩いてここまでは来たくないしな」
「ニャルヴィオンが役に立って、なによりでございます」
「つまり、ここにお宝が眠っているということなのです?」
「好きにするとイイ。どうセ、我らが満ちれば劣化するだけダ」
「新しい王宮に置いても、見劣りはしないだろう」
スイートルームを利用したことなどないが、高級品を使っているのは間違いない。
そして、一室に入ってみればそれは正しかった。
電気が通っていないため暗く、ほこりも積もっている。
それでも、いい物というのは一目で分かるものだった。自動人形の人形には特に。
「ご主人様たちにご利用いただいて、問題はない品かと存じます」
スイートルームのリビングを通って寝室へ移動しながら、アメジストのような瞳を輝かすノイン。
「こちらのベッドも、清掃は必要ですが良い品かと」
「でも、これはさすがに大きすぎるな」
キングサイズのさらに上だろうか。三人は悠々と寝られる大きさ。今も三人で寝ているのだが、比べものにならない。
「王には、威厳も必要となりますので」
「誰も使わないんだから、持って行っちゃえばいいのですよ~」
「好評のようだナ。そうなるト、どうして今まで放置していたのかという疑問も沸いてくるガ」
「喫緊に必要とというわけではなかったからな」
今の“王宮”は狭い。そのため、豪華な家具を持ち込んでも中に入らない。
それに、第二層を探索する前に最低限の家具は揃っていた。
それ以降も、カティアを通じて調達はできた。だから、わざわざ持ち出す必要性を感じていなかったのだ。
「でも、トウマ。同じベッドは嫌がっていたのですよ?」
「嫌がるというか、本来は認めちゃいけない……。倫理的な問題なんだが」
ベッドの縁に手を触れ、トウマは力を込める。キングサイズを超えるベッドだ。当然、びくともしない。
「俺では、ベッドの持ち運びなんかできない。これは、さすがに大きすぎるけど」
「簡単なのです! ミュリーシアに言えば……ダメなのです!」
「本気で頼めば、やってくれただろうけどな」
トウマが心から願えば、叶えてくれた。これは間違いない。
ただ、複雑な表情を見せただろうことも間違いない。
そうなると、罪悪感で実際に使えたかは分からなかった。
「大手を振って新調できル、引っ越しという機会を待つ必要があったのだナ」
「そういうことだ。自分の部屋も、もらえることだしな」
「リリィは、別の部屋も見てくるのですよ~」
疑問が解消したところで、改めて物色を始める。
レッドボーダーのゆりかごのマテラも、ふわふわと浮かんで見て回っていた。
「このソファも良さそうだけど……一人で運べるような重量じゃないな」
「問題ございません」
ノインが、片手で軽々と豪華なソファーを持ち上げた。
「よろしければ、精霊殿に一時保管をさせていただきたく」
「そうだ……な。まあ、シアに言えば倉庫ぐらい作ってくれそうだが」
「お手を煩わせるのも、問題かと」
「とりあえず、戻そうか」
トウマはノインの手を引いて、あまり大きな物がないバスルームへと移動する。
そこには、先客がいた。
「トウマトウマ。お風呂の中で、花が腐っているのです!」
「たぶん、薔薇が浮かんでる風呂だったんだろうな」
「お風呂にいたずらしちゃダメなのです!」
「まったくその通りだな」
レイナが一緒だったら、きちんと説明してくれたに違いない。しかし、トウマも花びらを浮かべることに価値を感じなかったので放棄した。
ゆず湯なら、まだ説明はできたのだが。
「アメニティ関係は、持っていってもいいか」
「奥様がお喜びになるかと」
「ミミックルートで増やせるしな」
「トウマー!」
いつの間にか、リリィはバスルームからいなくなっていた。呼ばれて、トウマが一人リビングルームへ。
そこでは、50インチはあるテレビの上にレッドボーダーが浮いていた。
「この板の割にはどーんと存在感があるのはなんなのです?」
「テレビ……。ノートパソコンの画面と似たような機能なんだが……」
「おおおお、すっごく見やすくなるのです」
だが、トウマは軽く首を振った。
「電源が入らないから、無理だな」
「がーんなのです。そうそう上手い話はないのですよ……」
充電なしで動くノートパソコンやスマートフォンが例外なのだが、リリィには通じない話だ。
「ん? マテラ?」
「なにか出てるのです?」
レッドボーダーのゆりかごで眠るマテラから、小さな。小指の先ぐらいのシャボン玉が出てTVの画面に吸い込まれていった。
間を置かず、TVの電源が入る。
「おお! なんか写ったのですよ~」
「信号がないっていう注意の画面だな」
ケーブルを挿し直すように表示が出ているが、意味はないだろう。どこから、TVの信号を受信するというのか。
「電源が入ったのはすごいけど……」
使い道がないと言いかけたところ、ぶるりとスマートフォンが震える。
ロックを解除すると、新しいアプリのアイコンがホーム画面に並んでいた。
テレビとスマートフォンが、雷のようなマークでつながっているアイコン。見るだけで、機能が分かる。
トウマがアプリを起動させると自動的に、映像が表示された。
「なにか出てきたのです! 見憶えがあるのです?」
「これは、ご主人様が?」
「ああ。スマートフォンの画面が、ミラーリングされてるな」
トウマが地図のアプリを起動させると、第二層の地図がスマートフォンに。そして、無線でつながっているらしい50インチの画面にも出て来た。
「面白イ、からくりだナ」
「ふえええ……。マテラやるのです! お手柄なのです!」
「ああ、すごいな……。これ、どれくらい持つんだろうな……」
永遠にといかないだろう……という予想を、あっさり覆しそうなのがマテラだ。
無から有を生み出すのだ。永久機関ぐらいできても不思議ではない。実際には、周囲の魔力かなにかを消費しているのだろうが。
「あっ! これで、ノートパソコンも大きな画面に映せるのです?」
「できそうだな……。電気屋で、ケーブル売っているか?」
「すごいのです! トウマの故郷最高なのです!」
ばんざーい、ばんざーいと諸手を挙げるリリィ。
レッドボーダーのゆりかごで眠るマテラは、少しだけ得意げな顔をしていた。




