027.結界の中で
「なにやら、にらまれているようじゃが……」
どうせ沸いてくるので一時的なことだが、見える範囲の黒騎士は一掃した。
疑問はいろいろあるが、合流するなら今しかない。
にもかかわらず、高度を下げてはっきりと見えるようになってもトウマの幼なじみに歓迎の様子はなかった。
見慣れない装束でありながら、トウマの衣服と調和しそうな。不思議な服を身にまとった少女。
ミュリーシアの目から見てもかなりの美少女だが、それだけに敵対されるとかなり雰囲気がある。
とはいえ、ここで帰るわけにもいかない。
声が届く距離で静止すると、なるべく友好的に語りかける。
「妾は敵ではないぞ。ほれ、共犯者……トウマもこうして連れて来ておる」
「魔族を裏切って、センパイを救い出したというつもりですか?」
「それは……間違っておらぬが、正解でもないのう」
嘘には、真実を適度に混ぜると効果的。
ジルヴィオが作り上げたカバーストーリーは、この原則通りに作られ少なくない混乱を引き起こしていた。
「妾の話を聞く気がなくとも、せめてトウマだけでも受け入れてくれぬか? 少し力を使いすぎて眠っておるのだ」
ミュリーシアの結論は、適材適所。
トウマが目覚め次第、説明させることだった。
責任を放棄したわけではない。信頼度は、言葉の内容よりも誰が言ったかで左右されるというだけだ。
実際、効果は抜群だった。
「分かりました、信用します」
「それは助かるのう」
「やはり、センパイが魔族に捕まったという話は嘘でしたか」
「どうしてそんな話になっておるのか分からぬが、違うな」
「どうやら、あたしはあなたにお礼を言わなくてはならないみたいですね」
レイナが軽く手を振ると、結界の天井に小さな穴が空いた。ミュリーシアは黒い翼をはためかせてそこから地上へと舞い降りた。
「ううっ。ここは……」
「センパイっ!」
「ああ、そうか。シアが運んでくれて……」
「おお、良いタイミングじゃぞ共犯者」
二重に安堵して、ミュリーシアはトウマを影術から解放した。
足下が覚束無い彼を、レイナがしっかりと抱き留める。
もう逃がさないとばかりに、ぎゅっと。
感動の再会。
ミュリーシアも、当然それを祝福する……が。
(なにやら、面白くないのう。なぜじゃ……?)
西施捧心。病ではないが、思い悩むような表情を浮かべてしまう。羽毛扇を広げて顔を半分隠しながら、密かに眉をひそめる。
「良かった……。玲那、怪我はないか?」
「それはこっちのセリフです。センパイこそ、無事ですか?」
「ああ。怪我はしたけど、シアに治してもらったからな」
「……したんですか、怪我」
レイナの緑がかった瞳が、すっと細まる。
トウマの軽率な発言。
ミュリーシアは、胸の痛みなど吹き飛んでしまった。
「これ、共犯者。正直であればいいというものではないと、言っているではないか」
「だが、下手に隠し事をするとそれはそれで怒られるんだ。経験則でしかないけど」
「ええ。センパイはあたしに正直であるべきだと思っています。常に」
「ならば、これからは腹芸のひとつも憶えてもらわねばな……と、今はそんな場合ではないな」
ばっと羽毛扇を閉じて、ミュリーシアはその先をトウマへ向けた。
「共犯者、今のうちに経緯をすべて説明するのだ」
「分かった」
その必要性は感じていたのだろう。
あらかじめ考えていたかのように、トウマはダイジェストで語っていく。
「モルゴールを攻略したけど、死霊術師は存在自体が許されないとジルヴィオに殺されそうになった。そこをモルゴールから脱出したシアに救われて、無人島へ逃げ出した。今は、そこを開拓して国を作ろうとしているところだ」
「分かりました。あたしも、その国作りに参加します」
流れるような流れで、レイナの移住が決まった。
当然のことなので、その点に関しての疑問はどこからも出なかった。あるいは、出るタイミングはキャンセルされたと表現すべきか。
「それにしても、あたしのセンパイがお世話になったみたいですね」
「気にする必要はないぞ。共犯者がおらなんだら、妾も妾で抜け殻のようになっていたであろうからの」
「持ちつ持たれつ、ですか」
その豊かな双丘を意味もなく強調し、ミュリーシアは艶然と微笑んだ。
レイナは、ちらりと地面を見てから忌々しそうに舌打ちする。
正確には、見たのは下だ。地面が見えてしまったのは、あくまでも結果に過ぎない。
結界の外では黒騎士たちがうごめいていたが、誰もそれを気にしてはいなかった。
正確には、気にしていないのはミュリーシアとレイナ。トウマには、気にする余裕がなかった。
「悪いな、シア。玲那がけんか腰で。許して欲しい」
「妾は、そんなに気にしてはおらぬが?」
「ありがとう。どうも、玲那は人見知りしがちでな」
「そんなのじゃないですけど!?」
なぜ、トウマがそんな誤解をするに至ったのか。
一瞬で理解したミュリーシアは、一目で城が傾きかねない視線をレイナへと送る。
答え――トウマに知らない人間が親しげにしているのが気に食わずに冷たい対応になる――を言ってもいいのか。
その赤い瞳に、レイナは屈した。
「うくっ。あたしのセンパイを助けてくれて、ありがとう……ありがとうございます!」
「うむ。喜んで受け取ろう」
「それはそれとして、センパイは恩返しするとか言いそうで危険なのだからどうにかしないと……」
「ドツボにはまっておらぬか、おい」
いずれ時間が解決してくれるだろうが、ミュリーシアとレイナから緊張が抜けない。
その時間を捻出するため、トウマは話を強引に進めることにする。
「それで、玲那はなんでこんなところにいるんだ? いや、説明は後でいいか。ここから逃げ出して構わないのかだけ確認したい」
「騙されたんですよ、ジルヴィオ・ウェルザーリに。逃げていいかは、微妙なところですね」
「ジルヴィオか……」
その名前を聞いて、トウマは棒を飲み込んだような表情を浮かべる。
「ええ、ジルヴィオです。まさか、センパイに手出しをしていたとは」
「ジルヴィオは指輪のことを知っているからな。玲那を危険な目に遭わせて、俺を呼び出したかったんだろう」
その光輝騎士の姿は見えない。
隠れているのか、後始末はそれとも魔物に任せるつもりなのか。
「やっぱり、ジルヴィオと光輝教会は将来的に潰しましょう」
「強く反対はせぬが、まずはここを切り抜けてからじゃな」
ミュリーシアが、赤い瞳を結界の外へと向ける。
案の定、黒騎士は元通り。十重二十重と包囲している。一対一で後れを取る相手ではないが、この数は厄介だ。
「もう、全力でやって良かろう」
「ああ、頼む。俺の血が必要なら、好きなだけ吸ってくれ」
「血!? おにい……センパイの血を!?」
「ええい、めんどうじゃな。聖女、手を貸すが良い」
「あたしには、玲那という名前が……」
「名乗らなんだくせに、文句を言うでないわ」
正論に、レイナは押し黙った。
こういったところは、幼なじみ同士でよく似ている。
「じゃあ、支援をしますから。任せますよ?」
「期待は裏切らぬよ」
「しょぼかったら笑ってあげます。魔力を50単位。加えて精神を5単位、緑を25単位。理によって配合し、第二の風を巻き起こし階梯を引き上げる――かくあれかし」
レイナが詠唱を終えると、背にしていた巨木が一回り小さくなる。
それを触媒に行使されたスキルが、ミュリーシアの全身を綠の風が包み込んだ。
「《ウィンド・アウェイク》」
光彩陸離。黒いドレスをまとった全身が緑色のきらめきを帯び、不敵に外の黒騎士たちを睥睨した。
「ふむ。これはなかなかだな。聖女よ、結界を解くが良い」
「命令しないでください」
「玲那、頼む」
「分かっていますから」
反発しつつも、要求に従いレイナは《プライマル・フィールド》を解除した。
阻むものが無くなり、疑問も持たず殺到する黒騎士たち。
その末路も知らずに。
「地面からいくらでも、湧き出てくるのであろう? では、それが無うなったらどうなるかの?」
ばっと羽毛扇を開くと、ドレスの裾から影が伸びて巨大な爪に変わった。
周囲一帯を覆い尽くさんばかりの超巨大な、影の爪。
「グリフォンの爪……?」
思わずといった調子のトウマの声音。ミュリーシアは、にやりと傾国の笑みを浮かべる。
「滅ぼすが良い」
それが無慈悲に地上を襲い、文字通り一帯を鷲づかみにした。
地面も一緒に、丸ごと。
鷲づかみにした超巨大な影の爪は、その掌にある削り取った大地と一緒に黒騎士を握りつぶした。
さらさらと、黒い雨が降る。
魔力異常の核は地下にあったのか。
それとも、敵わぬと悟ったのか。
もう、黒騎士が出現することはなかった。
「なかなか良い支援であった」
「そういう問題ではないですよ、これ。一体何者なんですか……」
「詮索は後にしよう。さっさと、帰って――」
「おっと、そいつは困るな」
前触れなく、声がした。
咄嗟に、トウマが顔を上げる。
逆光が網膜を焼き、シルエットしか見えない。
けれど、それで充分だった。
「あー。怖い怖い、こんなのを生身で相手にしなくちゃならないなんて嫌になるぜ」
遙かな頭上。
ワイバーンに騎乗する男――ジルヴィオの声を聞き間違えるなど、あり得ないのだから。




