263.みんなの希望
「住みやすさ……なのです?」
リリィが、円卓の上に浮いて腕を組んだ。
そのまま、ぐるりと一回転。鉄棒なしの逆上がりを見せると、ぽんっと手を叩く。
「それはまったく考えていなかったのですよ~」
そして、ひだまりのようににっこりと笑った。
「ごめんなさいなのです」
「リリィちゃんは、謝れて偉いですね」
「謝罪など不要じゃ。ゴーストゆえ、仕方あるまいよ」
レイナが両手を広げてリリィを抱きしめ、ミュリーシアは金髪の三つ編みを梳くように撫でる。
甘やかしているだけのような気もするが、トウマも怒るつもりはない。対応として、まったく問題はなかった。
「住みやすさは確かに重要ですけど、どうですかね?」
その輪を外から眺めていたヘンリーが、小さく首を傾げる。
「居住区画をしっかり確保すれば、全体の形はあまり関係がない気もしますけど。まあ、私は船から下りるつもりはないので無責任な発言になってしまいますが」
「そうなのか? てっきり、“王宮”が狭いから気遣ってくれているんだと思っていたんだが」
「うむ。家を建ててくれと言うて来るのを待っておったのだがの」
「いえいえ、そんな畏れ多い」
手を首を同時に振り、そんなことはないとアピールする。一緒に、前下がりボブの黒髪がさらさらと揺れた。
「この体のお陰で離れても活動できるようになりましたが、やはり少し落ち着かないんですよね」
「無理をすればできなくはないが、常時無理はできないというところか」
「はい。トウマさんとの契約で安定化していますが、やはり私の本体はワールウィンド号のほうにあるんじゃないかと思います。もしくは、ほぼ混ざり合ってるというところですね」
なんでもないことのように言って、ヘンリーがノインの顔で笑った。悲壮感はない。事実をただ口にしただけといった風情。
「寂しくても、元気を出すのですよ」
「寂しいとか、そういう話はしていませんが!?」
リリィからいい子いい子と頭を撫でられ、まさか振り払うわけにもいかず。困ったように、アメジストのような紫の瞳を向けてきた。
しかし、トウマにもどうすることもできない。
ノインの姿をしたヘンリーは、為すがままとなり。
「これで、もう大丈夫なのですよ~」
しばらくして、満足したリリィから解放された。
「まあ、島の外には出られないリリィさんに言われたら元気になるしかありませんね」
「そうなのです。リリィも、砂漠とか行ってみたいのです!」
「どうにかならないんですか、センパイ」
「スキルで回避できないか考えてみるけど、どうなるかは分からないぞ」
リリィたちがグリフォン島に縛られているのは、その誕生の経緯にも絡んでいる。下手なことをしたら、またぞろ件の黒騎士が出現しかねない。
そもそも、縛りを解消できるという確信もない。
「安請け合いはせず、精神論を口にせぬところが実に共犯者らしいの」
からかうのではなく、ミュリーシアは本気で褒めていた。
「物資の搬入が、完了いたしました」
「ちゃっちゃと終わらせてきたっすよ!」
ミュリーシアが口の端を上げたところで、円卓の間にふたつの人影が姿を見せる。
「ノイン、タチアナ。お疲れ様。任せて悪かったな」
「力仕事はお任せっす」
「その分野なら、妾も負けてはおらぬがの」
「いや、それはそうっすけど……」
「対抗心を燃やしてどうするんですか」
冷たい緑がかった瞳を向けられ、ミュリーシアは目を背ける。自覚はあったらしい。
「必要な物資の割り振りも終えております。実際の分配は、村長からとしました」
「それがいいだろうな」
なんでもノインがやるようでは、モルドとステカも肩身が狭いだろう。これからは、任せていくことも憶えていかなくてはならない。
「今、新しいお家を作る話をしていたのですよ!」
「お家ですか……?」
きょとんっとして、ノインがリリィに聞き返した。
有能な秘書の顔は消え、愛らしい和装の少女の表情が浮き彫りになる。
「ああ。光輝教会からの大使受け入れも視野に入れて、新しい王宮を造営しようかということにな」
「大変よろしいことかと存じます」
ノインは、瀟洒な仕草で一礼した。同じ顔、似た体でもヘンリーには真似できない。華麗で美しい所作。
「新しい王宮っすか。ミュリーシア様に相応しい、豪華なのがいいっす! あーしも、精一杯頑張るっす!」
当然というべきか、タチアナも賛成を表明した。ミュリーシアが決めたことに反対するなど、余程のことがない限りないだろうが。
「この場で決まったばかりということは、具体的な形はまだということでしょうか?」
「そうだな。温泉が必須で、グリフォン島と同じ形にしようということぐらいしかまだ決まってないな」
「島と同じ形にするのは、リリィが考えたのです!」
「温泉優先を言い出したのは、ミュリーシアですよ」
「なるほど……」
説明を聞きながら、ノインが円卓の間を移動した。しかし席には座らず、トウマの横に侍る。
「私めとしましては、できるだけ大きくしていただきたく存じます」
「大きくですか?」
「はい。大きく、広くです」
「それは、管理が大変になるんじゃないか? もちろん、俺たちもできる範囲で手伝うが」
「ご無用に願います」
丁寧に、しかりきっぱりとノインは謝絶した。
「私めは、睡眠を必要としない自動人形でございます。広ければ広いほど、やりがいもあるとご認識いただきたく」
「ああ、納得は難しいけど理解はした」
「ありがたいことですね」
トウマは複雑な顔をしているが、レイナはあっさりとしたもの。兄と妹の立場の違いかもしれない。もちろん、本当の兄妹ではないのだが。
「はいはい! あーしは、トロフィールームが欲しいっすね!」
タチアナも、ノインと同様座ろうとしない。護衛の本分だと言わんばかりに、ミュリーシアの側に陣取った。
「飾るトロフィーなんか、ありました?」
「獲物の首を剥製にしたり、マジックアイテムとか金銀財宝を飾るんっすよ!」
「宝物庫……いや、博物館みたいなものか」
財産の誇示。
現代日本の倫理観からすると下品にも思えるが、この世界では。いや、新興国では必要性は認めなくてはならない。
「あーしが、今度こそ大物を狩るっす!」
「やる気があるのは、いいことだ」
それに、モチベーションになるのであれば悪いことではないだろう。
「こういう風に要望が出てくると、形にしやすいかもしれないな」
「そういえば、共犯者の要望を聞いておらなんだの」
「個室が欲しいな。狭くてもいい。いや、狭いほうがいい」
事前に考えていたわけではない。
だが、話を振られると自然に出てきた。
思えば、建国を志してから最も安心して寝られたのは幽霊船ワールウィンド号での船旅だったのではないだろうか。
船上だが、揺れはほとんどなく。
狭いが、必要最小限は揃った快適な船室。
一人静かだったの第三層の館もそうだが、あの環境で落ち着いていられるほどの度胸はない。
……と、トウマ自身は思っている。
「センパイの部屋ですか。それは当然、作られるんじゃないですか?」
「トウマさん、さすがに希望が低すぎません?」
「でも、他に必要なものってあるか?」
仕事場や、こうして話し合う場所は別に用意されるだろう。
食堂などの生活に必要なものも同様だ。
「ああ、そうだ。ベーシアが歌を披露するような場所はあったほうがいいだろうな」
「そうじゃが、それは共犯者の希望とは違うのではないか?」
「そうか? いや、そうだな。そもそも、精霊殿でリサイタルしてもらってもいいか……」
「二秒で、希望がなくなったんですけど」
レイナの幼なじみは、昔からこうなのだ。
あきれたように、息を吐いた。




