259.マジックアイテムの分配
円卓の間で、タチアナがひざまずき百薬の角杯を捧げ持つ。
「これは、今回手に入れたマジックアイテムっす。イナバ様が百薬の角杯と名付けられたっす」
「ようやってくれた。これからも、よろしく頼むぞ」
「はっ、誠心誠意務めるっす!」
銀と赤。髪の色だけが違う主従のやりとり。王宮のようなとは言いがたいが、この“王宮”には相応しいのかもしれない。
「というわけで、シア。形だけでもいいから、そのマジックアイテムは受け取っておいてくれ」
「ミュリーシア様に献上できるなんて、あーしは幸せ者っす」
「妾のものとするのは、筋違いではないかの?」
「いいんだよ。このグリフォン島で見つかったものなんだから」
「……ふむ」
トウマらしからぬ強引な理屈。
だが、それでミュリーシアは納得した。なにか理由があるのだろうから。
「そなたの気持ち、うれしく思うぞ」
「ははぁーーっす」
タチアナがさらに深々と平伏したところで、ミュリーシアが百薬の角杯を受け取った。
絵になる光景だが、リリィが宙に浮いてタチアナの真似をしているので厳かとはいかない。
だが、これこそアムルタート王国らしさだ。
「人も増えたし、マジックアイテムを個人の所有品とするのも問題が出そうだからな」
「なるほどの。一旦は妾……アムルタート王国の財産として、預かる。その後、必要に応じて貸与をするという形式を取るわけじゃな」
「人が増えると、面倒ですね~」
レイナはピヨウスの羽毛で作ったクッションを円卓に置き、そこに顔を埋めていた。
ミュリーシアとタチアナの儀式には、まったく興味がなかったらしい。
「ロッド・オブ・ヒュドラ、ベルト・オブ・ストレングス。ノートパソコンにすまほ、デック・オブ・メニィオブジェクト……」
手に入れたマジックアイテムを、指折り数えていく。
「それに、油の壺も同じじゃな。まあ、実質的には変わらぬのであろうが」
「それから、レッドボーダーとワスプアイズがふたつか」
「レッドボーダーはマテラに、ワスプアイズは共犯者とレイナにそれぞれ下賜したということになるわけだの」
「形式上だけどな」
ただし、規模が大きくなっていくと名分が大事になってくる場面が多くなる。それが、社会というものなのだろう。
「それで、どんなマジックアイテムなんですか? 名前からすると、お薬が出るみたいですけど」
「合言葉を唱えた人間の好きな飲み物が、杯に満たされる。ただし、一日に二回だけみたいだ」
「それを全部一人で飲んだら、健康になるっすよ」
「リリィも、なんだか元気になったのです!」
右手が天井を通過するほど飛び上がったリリィにつられるように、レイナが顔を上げた。
「結構なサイズですよね。それを全部飲まなきゃいけないって、病人には厳しくないです?」
「健康なうちに、飲んでおけってことなんだろうな」
「ウォッカが好物な人だったら、地獄ですね」
「ウォッカが好物な人だったら、むしろ喜ぶんじゃないか?」
「酒飲みは、業が深いからの」
ミュリーシアが百薬の角杯を円卓に置き、すらりとした足を組んだ。
「好きな飲み物のう。一体なにが出てきたのじゃ?」
「俺はジンジャーエールというショウガのすり下ろしを入れた炭酸飲料だな」
「シュワシュワで、ちょっと大人の味だったのです!」
「あーしは、ちょっといい感じの血だったっす」
「味は分からないのです!」
補足するリリィに微笑みかけながら、ミュリーシアは白い羽毛扇で口元を隠す。
「妾の場合は、ワインであろうな」
「血じゃないんですか?」
「このように飲む物ではないからの」
「タチアナは血が出てきたじゃないですか」
「ドラクルにも、いろいろあるんすよ。ハタノ様、そこは深く触れないのが人情ってものっす」
「それもう、答えを言っているようなものですよね?」
「さての」
ミュリーシアは回答を拒否した。
「ワインならワインで、料理にも使えるしノインは喜びそうだな」
「妾が言うのもなんじゃが、あっさりと流されるのも微妙に納得いかぬな」
「どうしたらいいんだ」
「ダメなのですよ、トウマ。乙女心は複雑なのです……ってお母さんが言っていたのです!」
「そういうものか」
「そういうものなのです」
ゴーストの少女が目の前まで下りてきて、人差し指を縦に振りながら諭す。
圧倒的なまでに異性しかいない空間で、トウマは納得するしかなかった。
「それよりも、レイナならどんな飲み物になるのか興味があるのう」
「あたしですか? 候補はいろいろありますけど、ブラックコーヒーじゃないですか?」
「いちごミルクじゃないのか?」
「違いますけど!?」
バンッと石の円卓を叩いて立ち上がる。勢いがつきすぎて、サイドテールの髪が大きく揺れるほど。
しかし、説得力は皆無だった。
「いちごミルクなのですか……」
それよりも、夢見心地に浮かぶリリィのほうが問題だ。
「なんだか、角のコップいっぱいに飲みたい響きなのです」
「いちごのフレーバーの牛乳なんだが……さすがに、あの量は飲めない。甘すぎる」
「飲んであげたらいいじゃないですか。あたしが出しますよ、出しますからいちごミルク」
「ああ、そうか。出した本人が飲まなくてもいいんだよな……」
すみれ色の瞳と目が合った。
反らした。
また、目が合った。合わせられた。
「ごくり……なのです」
「まあ、そのうちな」
とりあえず、先延ばしにすることしかできなかった。
「あの森は、やはりなにがあるか分からぬのう」
「マテラを保護したら一件落着だと思ってたんですけどね」
レッドボーダーのゆりかごで、すやすやと眠るマテラ。
彼女の置き土産が、まだ残っているというのならば。
「マテラが成長するまでに、狩り尽くさねばなるまいて」
「気が合いますね」
ミュリーシアとレイナが、いっそぞっとするような笑顔をかわす。
タチアナですら、少し引いてしまうほど。
「ご歓談中、失礼いたします」
そこに、ノインが入ってきた。
「ああ。いや、問題ないよ」
「ありがとうございます、ご主人様」
瀟洒に一礼し、円卓へと近付いて用件を切り出す。
「この後、砂漠の民の皆様の歓迎の宴を予定いたしておりますが」
「うむ。一度はきちんとやらぬとな」
「ヘンリーとネイアードにも来てもらわないとだな」
どちらも飲食はできないが、顔合わせも兼ねている。こういう場に参加すること自体が、重要なのだ。
「それに先立ち、念のため確認をさせていただきたいのですが……」
「ああ、俺の――」
「先輩の飲酒はNGですよ、当然じゃないですか」
「その分、妾が飲むから安心せい」
肝心な部分を口にする前に、答えが返ってきた。
以心伝心。
なのに、トウマは恐ろしく無愛想な顔をしていた。
「だけど、交流の場だろう? そこで、酒を飲まないというのも空気が読めないやつ扱いされるんじゃないか?」
「いいじゃないですか。元々ですよ」
「その分、妾が対応すると言うておるではないか」
「下位者が断るのであればまだしも、ご主人様であれば問題はないかと。実のところ、それとなくお二人に話も通してございます」
モルドとステカにまで、根回し済みだった。本当に、最終確認だったようだ。
「あの……。イナバ様がお酒を飲むとマズいんすか? 恐ろしく弱いとか、酔うと脱ぎ出すとか。そういうことっすか?」
「今はまだ、知るべきではないのう……」
「ええ。命が惜しければ好奇心に蓋をしておくべきでしょう」
「え? 冗談っすよね?」
ミュリーシアやレイナだけではなく、ノインも沈痛な面持ちで沈黙を選んだ。
そしてなにより、リリィだ。
ゴーストの少女までが、曖昧な笑みを浮かべるに留めている。
タチアナの背筋に、ぞわっとした悪寒が走る。
「妾は、まだタチアナの死ぬところは見たくないからの」
「な、なにが起こるんすか!?」
しかし、答えはなかった。




