025.二兎を追う者は?
「まったく、凶報は羊のごとく群れるとは良く言うたものよっ」
仙姿玉色。この世ならざる美を誇るドラクルの姫が、赤い瞳を魔物――ゴーストタウンを埋め尽くす黒騎士へと向ける。
今まで、トウマが見たことがない。
かつて、ジルヴィオへと向けられたのと同種の視線。
「邪魔をするでないわ!」
ミュリーシアが羽毛扇をぱっと開くと、黒いドレスの先から影が伸びた。
それは天へと伸び、遥か頭上で無数の杭となって地上へと降り注ぐ。
ゴーストたちが、声は出せないが拍手や拳を突き上げて喜びを表現する。
「ミュリーシアすごいのです。さすが、王様なのです!」
「これなら……」
すぐにこちらを片付けて、レイナの下に駆けつけられる。
「なんとも忌々しい……」
だが、その希望はあっさりと打ち砕かれた。
地面からまた原油のように染み出て、倒した分だけ。いや、それ以上にまた黒騎士が溢れてくる。
「トウマ、武器が違うのですよ!」
しかも、元々そういったスキルがあるのか。それとも、この短時間で進化でもしたのか。
今度の黒騎士は、剣ではなく弓を装備していた。
「魔力を10単位。加えて精神を5単位、生命を5単位。理を以て配合し、排斥の鎖を編む――かくあれかし」
リリィの警告を聞いた瞬間、詠唱を始めていた。
口の端から血が流れるが、構ってなどいられない。
天に向かって、曲射で黒い矢が放たれる。
ゴーストたちが、怯えるように身を寄せ合う。
「《エボン・フィールド》」
スキルの発動が、間一髪間に合った。
黒い半球状の魔力が、トウマやミュリーシア、ゴーストたちを包み込む。
弓黒騎士の矢が降り注いだのは、それとほぼ同時。
アンデッドを動かす、負の生命力。
それを操る死霊術師によって構築された、黒い結界。
魔力生命である魔物が放った攻撃はトウマたちに届くことはなく、負の生命力で編まれた場に弾かれて消える。
身を寄せ合っていたゴーストたちが、畏敬の視線をトウマへ向けた。
ただし、当初に比べると《エボン・フィールド》の色は薄くなっている。
そう長くは保たない。
「これは見事なものだの。さすがは元勇者じゃな」
「まだだ」
トウマは、険しい視線を《エボン・フィールド》の外へと向ける。
「魔力を30単位。加えて精神を15単位、生命を5単位。理を以て配合し、黒妖の暴君を解き放つ――かくあれかし」
詠唱を終えると、トウマの手に黒い球体が生まれた。《ネクロティック・ボム》と似ているが、違う。
「《オブシディアン・タイラント》」
黒曜石の球体が《エボン・フィールド》の天頂を通過し、その外に出る。
縦に割れ、瞳が出現した。
黒い眼に光が点り、地上へと降り注ぐ。
負の生命力に灼かれ、黒騎士が消滅した。
それだけに飽き足らず、《オブシディアン・タイラント》は頭上で回転。
黒い光線で地面に円を描き、周囲の黒騎士を削り取っていく。
またしても減った分だけ地面から染み出て黒騎士が出現するが、その端からまた黒い光線で排除。
こちらに寄せ付けないその威力は、ミュリーシアをして目を見張るものがあった。
「なるほどの。威力が高すぎて逆に今までは使えなかったということじゃな」
「詠唱も必要だしな。シアには、全然敵わない」
謙遜でもなんでもなく、これはトウマの本音だった。
実際、憶えた死霊術師は初歩的なものか奥義に近い――燃費が悪いものしかない。
《ネクロティック・ボム》を急いで習得させたかった、光輝教会の方針が影響している。実に、歪な成長。
「トウマ、実は強かったです?」
「どうかな? 正直、よく分からない」
「こんなに、ばかすかスキルを使えるものか。非常識すぎるわ」
勇者を擁する光輝教会に負け続けたはずだと、ミュリーシアの長い銀髪が揺れた。
トウマは自覚がないようだが、やはり規格外だ。
ドラクルの姫ではなく、近付く黒騎士を自動的に排除する《オブシディアン・アイ》を見ながらトウマは肩をすくめた。
「それはともかく、いいタイミングだった」
「共犯者?」
「あいつらが現れるのがあと5分遅かったら、俺もミュリーシアもいなくなっていた。そう考えれば、絶妙なタイミングだった」
「それは、確かにそうだの……」
ミュリーシアはパチリと羽毛扇を閉じ、軽く息を吐いた。それにあわせて、黒いドレスに包まれた豊かな双丘が上下する。
「戻ってきて、リリィたちがいなくなっていたとなっておったら悔やんでも悔やみきれぬわ」
それだけではない。この魔物が島中に散らばって、他の動物たちに刃を向けたらどうなるか。
今のうちに、叩いておかねばならない。
「でも、指輪は黄色いままなのです」
「ああ、だから頼む」
トウマは、頭を下げた。ミュリーシアに、リリィに、ゴーストたちに。
わがままを言って済まないと、頭を下げた。
「こんな状況でバカなことをと思うだろうけど、どっちも助けたい。誰か、アイディアがあったらどんなことでもいい。聞かせて欲しい」
「まず、頭を上げよ」
「そうなのです。水くさいのです」
「でも、これは俺の……」
「全部分かっておる。その上で、頭を上げよと言うておるのだ」
怒気の混じった声音に、トウマは驚きに目を見開く。
ミュリーシアがあごを掴んで、上を向かせた。
「誠実なのは良い。好意に値する。じゃが、妾たちは信頼に値せぬのか?」
「……すまな……いや、ありがとう」
それで良い。
そう言わんばかりに、ミュリーシアは笑った。
「さすが王様なのです。それで、どうするのです?」
直後、笑顔が凍り付いた。
「妾と共犯者が全力で力を……使ったら、その後に対処できぬかもしれぬの」
レイナがどんな状況かは分からないが、余力は残しておかなくてはならない。
早速、王の威厳が危機を迎えたところ。リリィが、笑顔でぐるぐるっと飛び回った。
「はいはい! リリィたちが戦えばいいと思うのです!」
「それは、ありがたいけど……」
リリィの背後のゴーストたちも、うんうんとうなずいている。
これは、彼らにとっても国を守る戦いなのだ。協力するのは当然。
その気持ちは嬉しい。
「共犯者よ、逡巡する時間はないぞ」
だが、それは可能なのか。
迷いを見せるトウマを、ミュリーシアが叱咤した。
「前に使こうた《ネクロ・エッジ》の他にも、ゴーストを強化するスキルのひとつやふたつあろうが!」
「それはあるけど、この人数に……いや、あれなら」
思い浮かんだ可能性。
しかし、スキルがあるというだけで実際に使ったことはない。そのため、どの程度強化されるか未知数。
それに、問題は他にもあった。
「大技がひとつあることはある。でも、それを使ったら俺は意識を保っていられない」
「あとのことは、妾に任せるが良い。安心して、気絶せい」
「リリィたちも、頑張るのですよ」
悩む時間はない。
「……分かった。あとは頼む」
トウマはまぶたを閉じた。
その脳裏に浮かぶのは、すべてを委ねてくれたミュリーシアとリリィにゴーストたちの顔。
「魔力を100単位。加えて、生命を10単位、精神を20単位。理を以て配合し、死魂を融合・進化す――かくあれかし」
体が傾いで、膝から崩れ落ちる。足の骨が溶けてなくなってしまったかのよう。
予期していたように、ミュリーシアが影術でトウマの体を支える。
「後のことは任せよ、共犯者」
「《シルヴァリィ・レギオン》」
スキルが完成すると、リリィたちゴーストが黒い光に包まれた。
その余波でアンデッドが生まれそうなほどに強力な、負の生命力。
それに、リリィと他のゴーストたちが一緒に混じり合い――ひとつになった。
トウマの意識が保ったのは、ここまで。
だから、見ていない。リリィとゴーストたちが《エボン・フィールド》を突き破り、巨大な霊体となったその姿を。
それは、白銀に輝く骸骨だった。
実体のない霊体で。
それでいて、圧倒的な存在感を誇っている。
巨大な骸骨霊が、白銀の腕を一薙ぎした。
すると、まるで波にさらわれるように黒騎士が霧散する。
今までと同じように地面から染み出て再出現するが……少ない。
初めて、数が減った。
「リリィたち、後は任すぞ」
「はいなのです!」
主人格はリリィになったようで、巨大な霊体にもかかわらず可愛らしい声で返事があった。
ミュリーシアは、女王の貫禄でそれを鷹揚に受け止める。
「さて、行くぞ共犯者よ」
トウマを抱え、ミュリーシアは飛び立った。
西北。
魔都モルゴールのあった方角へと。




