242.女王の裁き
「下らぬ! ただの脅しだッ」
「ならば、そのように振る舞うが良かろう?」
黒い羽毛扇をぱっと開き、ミュリーシアは赤い瞳でソヴェリスを射抜いた。
草原に転がされ、髪の一部が無惨にもはぎ取られ。長い耳の先から血を流しているエルフを。
「じゃが、二の矢は落ちてこぬ。それが、答えではないかの?」
「……ぐっ」
図星だった。エルフの宣教使が、縛られたままほぞをかむ。
「分かっておるぞ、まったく反省も後悔もしておらぬことはの」
いっそ優しげな、ミュリーシアの声音。
黒いドレスを身にまとった肢体が、無遠慮に。無警戒に、ソヴェリスへと近付いていく。月光が、揺らめく銀色の髪を賞賛するように輝かせる。
絶対的な美。
それが、対照的に惨めなソヴェリスを見下ろした。
「それでも、万が一が起こったら事は自分だけでは済まされぬ。いやいや、そう考えてしまうことこそ、悪霊に取り憑かれてしまっている証左かもしれぬのう」
黒い羽毛扇の隙間から、ミュリーシアの白い牙が覗いた。
心中を言い当てられ、ソヴェリスの顔が月光の下でも分かるほど白くなる。
白は白でも、あまりに対照的な白さ。
「これ以降、汝の生は汝のものではなくなるぞ」
黄金の鈴を転がしたような美声が、淡々と草原を吹き抜ける風に乗った。
「エルフ、妖精種エルフ。誇り高き、傲慢な。様々な魔法の素質を持ち、ゆえに目的追求を優先する者よ」
耳に心地好い。
それなのに、一片の感情もなかった。
判決文を述べているかのように、事務的。
「ソヴェリス・ティルタサナ。汝は、エルフであるからこそ破滅する。ここで、宿命は決定された」
これは、裁判なのだろう。
闇よりもなお濃い漆黒のドレスは、法服なのだろう。
「ふとした拍子に反抗心を抱きかねないと怯え、やがて心は摩耗して感情の起伏を失うであろう。見ておるぞ、ゴーストも天空の矢も。汝の心が捩じ曲げられていく姿をの」
誰もが固唾を飲んで見守った。
不吉であるはずの黒い美影。
なのに、目が離せない。声を聞き逃せない。
護衛を自認するタチアナでさえも、余計なことはしない。
月下美人。薄明かりに照らされる黒いドラクルの姫は、どうしようもなく神秘的。
運命の象徴とすら、思えた。
「ぐっ、ぐうぅ……」
ソヴェリスは、獣のような声しか返せずにいた。
もしかしたら、涙さえ流していたかもしれない。
ミュリーシアの言葉は、真実。すべて言った通りになる。
千々に乱れた心でも、エルフの宣教使は理解した。理解してしまった。
もはや、この先に続く長い生は自らの物ではなく。
生殺与奪の全権を、他者に握られ……。
まったく同じことを、砂漠の民たちにしてきたのだと。
因果応報。
目には目を、歯に歯を。
有名な法典の一節。
これは、目を潰されたら加害者の目を潰して良い――というわけではない。
目を潰されたのなら、同じく目を潰す以上のことをしてはならない。
報復は同程度でなければならないという、極めて文明的な法律なのだ。
その意味では、ミュリーシアが下したのは極めて妥当な刑罰だった。
だが、まだ裁判はまだ終わっていない。
「さて、皆よ」
突然の問いかけに、砂漠の民たちの体がびくりと動く。
しかし、声に出してはなにも言えない。
無理もないだろう。
軽くうなずき、トウマが前に出た。
「シア。いや、アムルタート王国の女王ミュリーシア・ケイティファ・ドラクル。これ以上、なにを言う必要がある?」
「なに、裁判というのは一度で終わるものではないのであろう?」
上級審への控訴。
それは、被疑者だけの権利ではない。
「ソヴェリス・ティルタサナ。エルフの宣教使を生かすこととなったが、まあ、必ずそうせねばならぬというわけではない」
「じゃあ、このまま殺すというのか?」
トウマを通じて、全員へとうなずいた。
「不利益と言っても、最悪で軍勢を差し向けられぬかもしれぬというだけ。秤に釣り合わぬとなれば、自然と手を引くであろう」
軍勢のひとつやふたつ、どうとでもできるという宣言――ではない。
サンドワームの群れやロードワームを押しつぶした黒い十字架を見れば説得力は充分過ぎるほどにあるが、本題は違う。
「……俺たちに、選択の自由を与えるということだな?」
以心伝心。完全に意図を理解してくれたトウマにだけ笑顔を見せた。
だが、それは刹那のこと。
「ゆえに、妾は問う」
ミュリーシアは砂漠の民へと、真剣な表情で向き直った。
「この男を、いかがする?」
殺したければ、殺して良い。
あまりにも端的で、あまりにも甘美な誘惑だった。
ソヴェリス・ティルタサナ。
聖魔王から、クロスブラッドやセタイトたちの管理を任せられた宣教使。
エルフの源素魔法士。
つい数時間前までは、逆らうことなど想像しかしていなかった絶対者。
それが今、醜態をさらして地面に転がっている。
夢のような現実。
数百の緯線が、集中していた。
苦しい暮らしに追いやった元凶。
その過程で、数多の同胞が死に追いやられた。
産まれる前から、手を下さざるを得なかったことすらある。
それを、当然と思っていた。思わされていた。
罪なのだと。
許される、その過程なのだと。
だが、エルフの宣教使が行っていたのはただの八つ当たりに過ぎなかった。
原因は、醜い嫉妬。
もちろんそれだけではないはずだが、目の前で突きつけられた。
悪夢のような現実。
死んで当然。
殺したいほど憎んでいる。
だからこそ、答えはひとつだ。
「お戯れを」
「戯れとな?」
「はい。なぜ、救いを与えねばならぬのでしょうか?」
慇懃に、モルドが答えた。
ただ、代表しているというだけ。
周囲の砂漠の民だけでなく、ガーディアンワームやソヴェリスに取り憑くゴーストも同じ意見だろう。
「死ぬまで苦しむべきと考えます。できるだけ、長く」
「ひっ」
今のソヴェリスにとって、死は希望だった。
ミュリーシアの問いを耳にして、光が射した気がした。
それが、取り上げられ――絶望に変わった。
「自殺なんかしたら、第三の矢が降ってくるかもねー。そもそも、一緒にいるゴーストが自殺なんてさせないかな?」
「……ひっ」
完全に怯えて、ソヴェリスがガタガタと震える。
判決が、確定した。
「そんじゃ。エルフたちは、あーしが適当に片しておくっす!」
「うむ。任せよう」
「了解したっす!」
小躍りするほどうれしそうなタチアナの後ろ姿から、ミュリーシアが再び平伏する砂漠の民たちへと視線を移した。
もうひとつ、伝えねばならぬことがあった。
「妾たちが集うべきは、旗ではない」
エルフの宣教使。延いては、聖魔連合も関係ない。
そう言わんばかりに、ミュリーシアは言の葉を紡ぐ。
「縁とすべきは、あの大樹よ」
意味するところはひとつ。
「今の集落を捨て、クロスブラッドもセタイトも区別無く大樹の元に集まれと……」
「いかにも」
ミュリーシアが大きくうなずき、モルドの言葉を肯定した。
「なにしろ、砂漠は聖魔王のものらしいからの」
ミュリーシアの冗談に、砂漠の民はぎこちなく笑う。
冗談。そう、冗談だ。
本当の目的は、このオアシスに集まることそれ自体。
これは、クロスブラッドとセタイトたちからわだかまりをなくすために必要なことだ。
モルドは、クロスブラッドとセタイトたちの代表者。近いうちに肩書きの頭に「元」がつくであろう実と義理の父親に、視線で了解を取る。
「御心のままに。なれど、ひとつお願いがございます」
「許す」
「されば、この土地に名前をいただきたく」
「名前……」
虚を突かれたように、「名前のう……」と黒い羽毛扇で手のひらを叩く。
「そうじゃな、ハタノで良かろうよ」
「……は? なんでですか」
名前が地名に使われる。
普通の感性なら、黙っていられるはずもない。
遠慮もなにもなく、レイナがミュリーシアへと詰め寄っていく。普通の感性ならこの場に乱入もできないだろうが、関係ないようだ。
「なぜもなにも、この土地を作り出したのはレイナではないか」
「いや、その功績はまるっとマテラに譲ってますから……」
「して、共犯者。レイナのハタノという姓にはいかなる意味があるのじゃ?」
「無視してるんじゃないですよ!」
触れそうなほど近いレイナから顔を背けて、くるりとトウマのほうを向く。
「野は、平らな土地。秦は、初めての統一王朝の名前だな。あとは、織物にも関係があったはずだ」
「センパイも、なに普通に答えやがってるんですか!」
「ふむ。縁起の良い名ではないか」
決定だった。
「これより、この地をハタノと称す。妾たちも助力は惜しまぬ。新たな故郷とすべく、励むが良い」
砂漠の民たちが、草原で平伏した。
何度目か分からないが、今までよりもさらに心の底から。
収まらないのは、名前を使われたレイナだ。
その横に、すすすっとベーシアが現れる。
「まあ、いいじゃん」
「完全に、他人事だと思ってますね?」
「自分以外は他人だけど、ほら。苗字なんて、きっかけひとつで変わったりするじゃん?」
「……なるほど。確かに、きっかけひとつで変わりますね」
レイナは、トウマをロックオンしつつうなずいた。
「きっかけひとつで変わるが、養子縁組という可能性もあるぞ」
トウマの細やかな反論。
「そうですね。それで?」
けれど、ソヴェリス・ティルタサナの存在と同じぐらい一顧だにされなかった。




