239.聖魔連合の宣教使
静かな夜に、いくつかもの明かりが灯っている。
窓の外からは、微かな。しかし、美しい旋律が流れていた。
ニャルヴィオンが立てるキャタピラの音とは、ぶつからない。むしろ、相乗効果を計算に入れた調べ。
そのリズムに合わせ、松明とともに砂漠の民が砂漠を横断していった。
影絵のように、幻想的。
悲壮感のない、平和で。
希望に満ちた光景。
ニャルヴィオンの二階席から眺めるトウマは、珍しく鼻歌を歌っていた。祖父が聞いているのを憶えていたのか、それとも音楽の授業で触れたのか。月が照らす砂漠を駱駝で行くという曲だ。
「なんというか、こっちに来て初めて観光気分になった気がします」
隣に座るレイナも、実に穏やかな表情を浮かべていた。
ピヨウスの巨大化から、急な出立。
サンドワームやロードワームとの遭遇。
そして、死者の魂とガーディアンワームとの契約。
次から次に起こった事件も、一段落。安らかな気持ちを抱くのも、当然のことだろう。
一眠りした後だけあって、トウマの口も軽くなる。
「沸騰湾も、グリフォン・フジも。立派な観光名所だと思うが?」
「あれは、観光じゃなくて探検です」
「そう言われると……確かにそうだな」
トレッキングのようなアクティビティがあることは、知っている。
だが、沸騰湾は神秘的すぎた。それに、残念ながらつり下げられた状態では完全に観光気分とは言えない。
「そもそも、シアがいないと探検もできなかっただろうけどな」
「それは認めます」
そのミュリーシアはといえば、最後尾の広い座席に座っている。
一人で、ではない。
タチアナに膝を貸して、黙って枕になっていた。
問答無用で影の繭に包まない辺り、自分とどちらが上の待遇なのか。トウマには区別が付かなかった。
「うらやましいですか?」
「いや、逆に気を遣いそうだな」
「やってあげましょうか?」
「今、俺は否定したよな?」
「あたしと先輩の仲です。気を遣うことはないでしょう?」
論理的に正しい。
否定はできないし、肯定はもっとできない。
逆に言えば論理的な正しさしかないのだが、トウマは黙ってしまった。
「センパイの攻略法ぐらい、このあたしがわきまえてないと思ってるんですか?」
調子に乗って、レイナがトウマの頬をうりうりと突っつく。
トウマは、されるがままになっていた。
誰も止めないという以上に、誰も見ていないというのもあった。
マテラはレッドボーダーのゆりかごで。ピヨウスも、器用に座席で眠っている。
ニャルヴィオンの上でリュートを奏でるベーシアがここにいたら、「赤ちゃんと同じか……」と肩をすくめていたに違いない。
「おっと、この辺で止めておきましょうか」
「……引き際まで心得ているとはな」
「ふふんっ。調子に乗って見誤ることもありますけどね」
「だめじゃないか?」
「それでも、譲れないものがあるんです」
トウマは、深追いしなかった。それこそ、引き際の問題だ。
「ノインに、経過報告をするか」
「そうですね。夜でも、起きてますからね」
「今グリフォン島に残っているのは、みんな睡眠不要だな」
リリィは眠れるようになったが、トウマたちがいないのに寝たりしないだろう。ノートパソコンで、動画を見ているに違いない。
「……ノインですか? ええ、こっちは大丈夫です。いろいろありましたけど、問題はほぼ解決できましたよ」
慣れた手つきでスマートフォンを取りだし、早速通話を始めた。
ほぼ解決は言い過ぎだと思ったが、みんな寝ているので余計なことを言うのも気が引ける。
「無事、タチアナは採用になりました。あと、クロスブラッドもセタイトも。砂漠の民は丸ごと、うちの傘下に入るらしいです」
微かに、ノインの声が聞こえてきた。急展開に、驚いたのだろう。
「あんまり驚いてないですね」
違った。
「ミュリーシアとセンパイが赴いたのだから、当然の話って言いたいんですか? それは……確かにそうですね」
確かにミュリーシアが居るのだから当然かと、トウマも思い直す。
それはそれとして、ノインは信頼しすぎではないだろうか。
「とりあえず、その辺の話し合をしたら、すぐに戻りますよ。あんまり、島を空けるのもなんですからね」
お帰りをお待ちしております。
そう言って、スマートフォンの向こう側でノインが瀟洒に一礼する。そんな光景が、トウマの脳裏に浮かんだ。
妄想ではなく、恐らく現実だろう。
「落ち着いたら、センパイからもかけてあげてください。リリィちゃんも、声を聞きたがっているはずですから」
「そうだな。そうしよう」
トウマとしては一日ぐらいと思わないでもないのだが、第三層に囚われていたばかりでもある。配慮は欠かすべきではないことぐらい理解していた。
「まあ、基本は接待を受けたらお仕事終わりじゃないですか。すぐに戻れますよ」
「そうだな。シアが慣れているだろうしな」
しかし、そうはならなかった。
集落にたどり着く前。
小さなオアシスにさしかかったところで、魔法の光が夜陰を切り裂いた。
クロスブラッドと、セタイトの集落。そのどちらにも属さない、小さなオアシス。
ベーシアがモルドとステカを呼び出した。
そして、砂漠の民が衝突直前だった。ある意味で始まりの地。
その上空に、鮮やかな緑のローブをまとった金髪の男がいた。肩先まで伸びた長い髪が、《飛行風》の魔法で生まれた風で舞う。
妖精種エルフ。
誇り高き魔法の使い手の種族。
しかし、その誇りは今や負の感情に満ち満ちている。
侮り蔑む視線の先には、青白い光をまとったガーディアンワームがいた。
全身に無数の傷を負い、それでもなぜか空中のエルフを追おうとはしない。
「《氷雪嵐》」
地水火風光闇。魔力を触媒に源素の力を解き放つ、源素魔法。その中級に位置する攻撃魔法の目標は、ガーディアンワーム――ではない。
小さな。けれど、貴重なオアシスへ向けて砂漠に冷気と氷塊が放たれた。
「グルワッッ」
間に体を強引に入れ、砂漠における生命線を必死に守る。
その結果が、全身の傷。
「下等な虫め! 聖魔王陛下の威光を思い知るが良い!」
冷気と氷塊による殴打。
二種の攻撃が乱れ飛ぶ魔法を受けて、それでもなおガーディアンワームは引かない。
「やれ」
「はっ、《火矢》」
地上には、同じ緑色のローブを身にまとったエルフが10名もいた。
そこからさらに、《火矢》の呪文がオアシスへと放たれる。
「グルワッッ」
再びガーディアンワームがブロックするが、それはエルフを喜ばせただけだった。
「くくっ。これだけは使いたくはなかったが、仕方あるまい。上級魔法に――」
「――クズが」
「なにっ」
突如として飛んできた、漆黒の杭。
咄嗟に反応し、発動しかけていた源素魔法で撃ち落とした。しかし、その余波でエルフの魔術師は吹き飛ばされ視界が煙でふさがれる。
砂漠に、一陣の風が吹いた。
煙が晴れると、さらに高い場所からミュリーシアが見下していた。
「モルドよ、あのたわけ者は何じゃ?」
「宣教使……ソヴェリス・ティルタサナ……なぜ……」
「様を付けぬか、穢れの民」
砂漠の民を管理するはずの、宣教使。
それがなぜ、オアシスへと破壊の手を伸ばしたのか。
ミュリーシアが、閉じたままの黒い羽毛扇を突きつける。
「宣教使ソヴェリス・ティルタサナ。言い訳を許してやる。万にひとつの可能性に賭けて、さえずってみるが良い」
「……ほう。そこにいるのは、光輝教会の勇者と聖女ではないか」
しかし、エルフの源素魔法士はドラクルの姫を完全に無視した。
素性に気付いているのか、いないのか。意識と視線は、地上に留まるトウマとレイナへと向けられている。
元々何らかの情報を得ていたのか。それとも、二人が身にまとう奇妙な衣装――制服で当たりを付けたのか。
実のところ、どうでも良かったのかもしれない。
「光輝教会の手先が、なぜこんなどうでもいい場所にいる? しかも、穢れの民と一緒に?」
目が嫌らしく垂れ下がり、口が邪悪な半月状に歪む。
「そうか。反乱、反乱に違いない」
自分勝手な結論は、真実を掠めた。
ただし、それを引き起こしたのはソヴェリス・ティルタサナ自身の行いにあるとは、考えもしない。
「サンドワームどもは現れぬ。かと思えば、汚穢どもが邪悪と現れた。つまり、サンドワームの集団暴走から逃れるために、聖魔連合を裏切ったに違いあるまい」
ローブから取り出したメダリオンを誇示して、ソヴェリス・ティルタサナは粘着質な笑みを浮かべた。月光に照らされ、不気味に浮かび上がる。
それで、トウマはからくりに気付いた。気付かざるを得なかった。
「同じことをしたのか、ジルヴィオと」
魔都モルゴールの跡地で、偽竜を操りレイナを危機に陥れた光輝騎士ジルヴィオ・ウェルザーリ。
それとまったく同じことを、ソヴェリス・ティルタサナもやっていた。
しかし、まったく悪びれた様子はない。それどころか、完全に自らが正義だと疑いを持っていなかった。
「しかし、我は寛大である。格別の慈悲を与えよう」
杖を持ったまま、両手を広げ。
月をバックに、宣教使は穢れの民と呼ばれる人々へと呼びかける。
「殺せ。勇者と聖女を殺せ。さすれば、格別の慈悲を以て我は穢れの民を許そう」
月明かりを受けて、エルフの宣教使の影が砂漠に大きく歪んで投射された。




