231.天空から告げる影
広大な砂漠に存在する、小さな小さなオアシス。
小さくとも、クロスブラッドやセタイトにとって重要な土地。
そこに、たくさんの人影が集っていた。
上空のピヨウスから見えるほど。
もしかしたら、ほどんど全員がそろっているのかもしれない。それほどまでに、大規模だった。
「これは、いわゆるひとつの一触即発ってやつかな?」
ベーシアが、キャスケット帽を指先でくるくると回す。
集った人影――クロスブラッドとセタイトたちは、見るからに殺気立っていた。たとえ空気が読めなくても、双方が武器を手にしていれば状況は分かる。
「そりゃ、偉い人の子供が揃って行方不明になったら騒ぎのひとつも起こるよね。ははははははは」
さすがのベーシアも、笑い声は渇き笑顔も引きつっていた。責任は感じているらしい。
「とりあえず、矢を降らせて大人しくさせようか?」
「火に油を注がないでくれ」
振りだと思われないようにぴしゃりと言って、トウマが前髪を上げるようにして頭をかいた。
「……しまったな。精霊アムルタートが急かすわけだ」
「うむ。冷静に考えれば、分かりきっておったわ」
ニャルヴィオンの二階席で、トウマが苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。ミュリーシアも、思わず眉が上がる。
主従は似てくるものなのか……などと、言っている場合ではない。レイナも、気付いてもわざわざ言ったりはしない。
「気に病むことはないだろう。こうなるかもしれないとは思っていた」
「これも、覚悟の上です」
冷静なのは、意外にもモルドとステカだった。
起こって欲しいとは思っていなかっただろうが、予想の範囲内。すっかり覚悟は決まっていた。
一方、レイナは納得がいかないとサイドテールを指先でいじる。
「というか、沸点低くないですか? この場合、悪いのはベーシアでしょう?」
「そうだね。そして、矛先はタチアナに向かうのが自然かな?」
トウマの顔色が変わった。
「シア」
「うむ。どうせなら、派手に登場しようではないか」
「ああ。ピヨウス、ど真ん中に下りてくれ。ただし、怪我をさせないように」
「ぴぃっ」
巨大ピヨウス――出発時よりは二回りほど小さくなっている――が短く鳴くと、一瞬で姿が消え地上に再出現した。
トウマのリクエスト通り、クロスブラッドとセタイトたちがにらみ合う中間に。
「おおおっ」
「何事だ!?」
「落ち着け」
太陽は沈みつつあり、篝火が頼りなげに光を灯している。
そこへ、巨大なひよこが現れた。突然。
しかも、それで終わりではない。
「なんだ、光っているぞ」
「神の怒りなのか!?」
「こんな怒りがあるものか!」
力を使い切ったのか。ピヨウスが元のサイズに戻っていく。
脈絡がなさ過ぎて、殺気立っていた集団から気勢が削がれる。
「ぴぃ~」
その間に、砂漠に取り残されたニャルヴィオンの二階席へと飛び込んできた。
「ああ、よくやってくれた。休んでくれ」
トウマがピヨウスを撫でて労うが、荒れに荒れた状況はまったく好転していない。むしろ、混沌の度合いは増している。
「なんだ、あの生き物は!」
「いや、生き物なのか!?」
「ヤツらのはかりごとに違いない!」
「なにを! そちらの」
「そもそも、若をさらったのは貴様等だろう」
「なにを!? あの吟遊詩人を使ってお嬢を拐かしておきながらなんたる言い様だ」
「だから、あの二人はベーシア先生と一緒に歩いてアムルタート王国へ行ったんすよ!」
真実を告げる声は、誰にも顧みられることはなかった。
「やっぱり、そういうことになってるんだな……」
「本当に意味不明なシチュエーションですよね」
歩いて、遠く離れたアムルタート王国へ行った。
それくらいなら、相手方の仕業だというほうが余程妥当だ。
「共犯者、妾が場を収めてこよう。その後、ゆるりと出てくるが良い」
「……頼んだ」
モルドとステカに説得してもらうという、選択肢もある。
だが、素直に聞き入れてもらえるとは思えない。
さらにひとつ、大きなインパクトが必要だった。
「なに。責任を取るのが、責任者の存在意義であろうよ」
薄暮の迫る砂漠に、美しい影が飛び出していく。
「静まれ」
大きくはないが、威厳のある声が砂漠に響き渡った。
「アムルタート王国女王、ミュリーシア・ケイティファ・ドラクルである」
すっと、波が引くようにざわめきが消えた。
しわぶきひとつ聞こえない。
ただ、声がした上空を見上げていた。
まるで、神の降臨を待つかのように。
「賢明な選択に、感謝の意を表す」
ベーシアにより、アムルタート王国が建国された経緯は伝わっている。
そう、伝聞でしかない。
にもかかわらず、この場にいる誰もが疑わなかった。
背から翼を生やし、漆黒のドレスに身を包んだ美女。
本来次ぐべき地位を追われ、聖魔王から使い捨てにされたドラクルの姫。
そこから国を興した、ミュリーシア・ケイティファ・ドラクルだと。
「ああああ、ミュリーシア様! ミュリーシア様ぁ!」
「……タチアナが、ちょっとヤバイ顔をしてるんだけど」
「推しのアイドルに会ったみたいですね」
「ボクは、あやしい宗教に一票かなぁ」
トウマは、賢明にも沈黙を守った。
まったく同感だったからだ。
「……はっ、黙るっす」
ミュリーシアが一瞥すると、タチアナがぴしっと背筋を伸ばした。
目配せで指示をされたらしい。
上空のミュリーシアが、地上を睥睨する。
一拍の沈黙。
直後、再び口を開く。
「此度の騒乱、モルドとステカがいなくなった件が端緒であるならば妾に責がある。説明するゆえ、どうか矛を収めてくれぬか」
頭ごなしに命令されても、喜んで従っただろう。
にもかかわらず、丁寧なお願い。
クロスブラッドたちもセタイトたちも、逆に戸惑ってしまう。
「ミュリーシア陛下は、わたくしたちのような者にも丁寧に接して下さるのですね……」
「ああ、素晴らしい御方だ」
「いや、身内のやらかしみたいなもんですから。内心結構焦ってますよ?」
レイナの言葉は、残念ながら二人には届かなかった。
恋が盲目のバッドステータスをもたらすのと、同じ理屈だ。
「いやいや、自分が下の立場になってるときに謝ったってしかたないじゃん。頭を下げるんなら、優位に立ってるときでしょ」
「それは脅迫と言うのではないだろうか……」
ベーシアの言葉がモルドとステカに届かなかったのは、逆に僥倖だったかもしれないが。
「ふむ。沈黙は肯定と見なす……というのも、いささか乱暴よな」
上空にいたミュリーシアが、ゆっくりと地上へと降りてきた。
その美しき肢体で砂漠を踏みしめ、左右――クロスブラッドとセタイトたちを見やる。
「双方の代表者、前へ出よ」
名指しされては、どうしようもない。
無言の重圧に押し出されるようにして、ふたつの集団から一人ずつミュリーシアの前に姿を見せた。
「あれが……」
「そうだ。間違いない」
ハーフエルフであるモルドの父もまた、ハーフエルフ。
そして、蛇人族セタイトの長もステカと同じく人の上半身と蛇の下半身をしていた。
「ミュリーシア・ケイティファ・ドラクルである。改めて、二人の子をかどわかすかたちになったことを謝罪しよう。すまなんだ」
「いえ……」
「そのような……」
客観的に見れば、責任があるのは明らかにミュリーシア。
しかし、クロスブラッドとセタイトの長は困ったように視線をかわしている。
「二人も連れて来ているゆえ、心配はせぬように。また、モルドとステカの話を虚心坦懐に聞いてくれるとうれしく思う」
モルドとステカの父が、再び視線を合わせた。
そして、なにかを決意した表情で口を開こうとした――そのとき。
「サンドワームだ!」
「まさか、集団暴走か!?」
遠くから、地震のような振動が伝わってくる。
徐々に。しかし、確実に強くなる天変地異に誰もが顔を青くする。
「ほう。これも、精霊の加護というものかの」
ただ一人。ミュリーシアを除いて。




