222.グリフォン島移住案内 その2
「久し振りに地面に立つといいものですね」
「やはり、しっかりとした地面は安心感が違う」
空の上からの光景には感動したが、それはそれこれはこれ。
目的地であるグリフォンの頭に到着し、ニャルヴィオンから降り立ったモルドとステカが笑顔をかわす。
「ニャルヴィオン、お疲れ様。このあとも頼む」
「にゃ~」
熱帯雨林の入り口に蒸気猫を残し、トウマたちは四人と一羽はさらに北へと進んでいく。
「さあ、行こうか。目指せ、沸騰湾! いえーい!」
「沸騰湾とは、また……」
「ですけど、この気温ですから。なにかがあるのは、明らかです」
ニャルヴィオンを下りる前に、概要は聞いていた。
けれど、聞くのと体験するのとでは大違いだ。
熱帯雨林を進んでいきながら、先導するトウマが気遣わしげに尋ねる。
「暑くはないか?」
「いや、日差しが柔らかな分だけ過ごしやすいぐらいだな」
「砂漠は、もっと乾いていると思っていたんだが」
「むしろ、湿気が快いぐらいです」
「なるほど」
トウマは、意外そうにうなずいた。
乾きすぎると、また話が違ってくるものらしい。
「ボクには聞かないの?」
「ベーシアは、初めてじゃないだろう? リリィに案内されてたよな?」
「うん。そもそも、このマントがあるから暑さも寒さも関係ないんだけど」
「実は、俺もこの指輪で暑さは大丈夫だ」
緑の聖女とお揃いの指輪。ただの指輪ではなく、マジックアイテムだった。
やはり、ただならぬ関係なのだろうとモルドは納得する。
一方のステカは、密かに感動していた。
草が生い茂る土地だが、砂漠よりも、よほど歩きやすい。
同時に、故郷とはなんなのかと思わずにはいられなかった。
「初めて来たときは、でかい猿に遭遇したんだが以降はあまり出くわさないな」
「敵対する理由がなければ、そうだろう」
「臆病なものですからね、本来は」
サンドワームには、そういった知能自体がないので例外なのだが。
「猿は、あんま食べる気がしないからね~。出てこなくていいかな」
「他にもなにかいるかもしれないし、一応気をつけてくれ」
「ぴぴぃ」
ピヨウスが辺りの植物に顔を突っ込んでは、楽しそうに鳴き声を上げる。
「どれひとつとして、見憶えのあるものがないな」
知っているのは、不毛な砂漠だけ。だが、それを差し引いても植生が変わっていることは一目瞭然だ。
「こういうのは、玲那のほうが得意なんだが……」
「得意というか、本職だよね」
「まあ、俺でも門前の小僧程度のことはできる」
歩きながら、トウマが周囲の植物を指さしていく。
「あの大きな葉の植物は、バナナだ」
「なんとも、気味の悪い実の生りかただな……」
「だが、甘くて美味い。栄養もあったはずだ」
「でしたら、なんの問題もありませんね」
砂漠の民にとっては、見た目など二の次だった。
「あっちは、チョコレートの元になるカカオ。実は、かなり高値で売れる」
「チョコは美味しいもんね」
「そうだな。チョコバナナは、リリィもかなり気に入っていたな」
説明したところで、トウマは食べ物ばかりに偏っていることに気付く。
周囲を見回しながら歩みを進めると、見憶えのある植物を発見した。
「あとは、あの大きな植物が籐。玲那に加工してもらうとベッドなどの家具にもなる」
「南国って感じだね~」
今のところ、なぜかひとつしか作ってくれないのだが。
「普通のベッドよりも通気性がいいから、そっちのほうが良ければ玲那に頼んでみよう」
「まあ……」
ステカが口に手を当て意味ありげにモルドを見る。
「……ん? ああ、ああっ。まあ、そうだな」
「ぴぴぴぴぴぃ」
精悍なハーフエルフが焦るところが面白かったのか、ピヨウスがくちばしで突っついていく。
「ピヨウス、やめないか」
「いやー。ちょっとクールダウンしたいなー」
ベーシアがリュートをつま弾くと、近くのヤシの木から実がひとつ落ちた。
それを軽々とキャッチすると、どこからともなく取り出したナイフで
「ほほい、ここでひとつ小魔術をひとつまみっと」
ぱちんっとベーシアが指を鳴らすと、ヤシの実が一瞬だけ霜に覆われた。
「う~ん。冷たくて美味しいね」
「今のは、魔法で冷やしたのか?」
「うん。お酒を冷やすために、憶えたんだけどね~」
なんでもないように言いながら、トウマとピヨウス。それに、モルドとステカの分も用意していった。
お礼を言いながら受け取りつつ、トウマは疑問を口にする。
「ベーシアの魔法は、不思議だな。俺たちのスキルと似ているようで、違う」
「いやいや、トウマくんたちのスキルのほうが源流に近いよ」
「源流?」
「魔法もスキルも、大元は神々の奇跡だからね。結局は、その模倣だよ模倣。悪いことじゃないけどね」
「そうなのか?」
「初耳だな」
「はい。そのような話は、聞いたことがありません」
二人でひとつのヤシの実を味わいながら、モルドとステカが同時に首を横に振る。
「魔術は、現実を改変する力である。
古代、神々はその一挙手一投足。
あるいは、思念ひとつで世界を作り替え生命を生み出した。
その力を只人でも扱えるように、神が与えたのが才覚。
それを解析し、学習することで使えるようにしたのが魔法」
まるで詩を口にするように、ベーシアが語る。
その言葉には、不思議なまでに説得力があった。
ただ、真剣な雰囲気は長くは続かない。続くはずがない。
「今は、その境目も曖昧になっているけどね。魔法も、世界によって流派がたくさんあるし。どんな魔法が使えるか、生まれながらの素質で確定しちゃう世界もあるもん」
「それは随分と、硬直化した世界だな」
「まあ、ボクの親友の受け売りだけどね」
「なるほど。それは信用できる」
「でしょ?」
「ベーシアが信用する相手だ。余程、すごい人なのだろうからな」
混じりっけのない本音。
それが分かって、ベーシアはキャスケット帽を目深に被り直した。
それを見逃す、ピヨウスではない。
「こら、ピヨウス」
「さささ。さっさと行こう!」
あからさまに早足になったベーシアを追っていくと、植物が途切れて砂浜にたどり着いた。
海。
間近に海が見えた。
もちろん、ただの海ではない。
「前に来たときと、なにも変わってないな」
海が煮え立つように沸騰している。
まるで、パスタを茹でる鍋のようにぐらぐらと。
潮の香りと一緒に、風が熱気を運ぶ。
だが、今まで海を見たことのないハーフエルフとセタイトには衝撃的すぎた。
「…………」
「…………」
気絶はしないが、言葉が出ない。
「ぴぴぴぴぴ~」
なにが楽しいのか。ステップを踏むピヨウスとは対照的だ。
「海底に魔力異常の源がある。それが、この現象を引き起こしている」
「その影響で……か」
「いつ見ても、面白いね~」
モルドとステカは、上手く笑えなかった。
空から見たときは、どこまでも広がりどこへでも行けそうだったのに。
島のすぐ近くに、こんな驚異的な場所があるとは。
二人が複雑すぎる心を持て余しているところで、トウマは説明を続ける。
「この海底に、海水が蒸発して残った塩が積み重なっている。それを乾燥させたのが、アムルタート王国で最初の特産品だな」
「あの塩が……」
様々な料理に使われていた塩。味もさることながら、海がある限り無尽蔵に取れるのが素晴らしい。
それを思い出し、モルドは驚きから立ち直りつつあった。
「この煮立った海から、どうやって塩を?」
「ゴーストの皆が、担っているのではないのか?」
「いや、リリィたちゴーストは島からは出られなくてな」
タイミングを見計らったように、海からなにかが飛び出してきた。
「紹介しよう。アムルタート王国の海の安全を一手に担うスケルトンシャークだ」
「スケルトンシャーク……」
大きく跳んで沸き立つ水面から飛び出すと、砂浜まで泳いでくる。
「この魔力異常に巻き込まれて死んだ、海の生物たち。その未練が集まった存在だ」
名は体を示すというが、そのままといえばそのまま。
スケルトン。骨格だけになってしまった鮫。
ただし、頭は三つあった。
鋭い牙を備え、なんであろうと噛み砕けるような迫力。
しかし、今は石でできたバケツのようなものをくわえている。
「あれで、底に貯まった塩をすくっている……と」
「ああ。それ以外の時間は、この周辺の海を好きに泳ぎ回っている。それが、スケルトンシャークの未練だからな」
使役よりも、未練の解消を優先しているようにしか思えない。
モルドもステカも、疑問を抱かずにはいられなかった。
けれど。
トウマの言葉からも表情からも、それが当たり前という感情しか読み取れない。
「ぴぴぴぴぴぃ」
砂浜に打ち上がったスケルトンシャーク。ピヨウスが興奮して、ステップを踏む。
「スケルトンシャークから魔力を食べないようにな」
「ぴっ」
心外だと言わんばかりに、ピヨウスが背伸びをして抗議をする。ステカの表情が目に見えて緩む。それを見たモルドの耳が赤くなる。ベーシアがにやりと笑う。見事な連鎖が発生した。
「すまない、すまない。でも、大事なことだからな」
「ぴぃ」
ぱたぱたっと、またピヨウスがステップを踏んだ。
「利口だな」
「ボクを見ながら言うのはどうしてかな?」
トウマは、黙ってピヨウスの羽毛を撫でてやった。
「とりあえず、この辺り……グリフォンの頭はこんなところだな」
「魔力異常と、上手く付き合っているのだな」
「モンスターが発生するわけではないからな。運が良かった」
幸運だった。
それは間違いのないことだろう。
しかし、あのスケルトンシャークがいなければ海底に眠っているという塩も宝の持ち腐れ。
それを活かす力があってこそ。
「じゃあ、次へ行こうか」
「次がある……あるのですね」
「そりゃあるよ。ありまくるよ」
ベーシアが、天真爛漫に笑う。
不吉だ。
しかし、ここで挫けてなどいられない。
タガザ砂漠で待つ仲間たちのためにも、きちんと知らなければならないのだ。
お互いの心を奮い立たせ、ニャルヴィオンの元へと戻っていった。




