221.グリフォン島移住案内 その1
モルドが、自らの洞察力に自信を深めた朝食後。
「にゃ~」
国を案内するというトウマやベーシアとともに、モルドは蒸気猫に乗り込もうとしていた。
だが、その手前でトウマが困惑の表情を見せる。
「ぴぃ、ぴぃぴぃ」
「なんでだ? 最初の時以外は、こんなに近付いてこなかっただろう?」
人と同じ大きさの黄色いヒヨコ――ピヨウスに、まとわりつかれていたのだ。
「どっか行っちゃうって分かったんじゃない? 動物とか子供って、そういうところあるじゃん?」
「そうなのか?」
「いや、俺たちはまだ……」
「モルド、まだって……」
トウマに視線で問われ思わず言ってしまったが、ステカに背中を叩かれる。
ただ、モルドから見る限りステカの尻尾がゆらゆら揺れているので失言ではない……はずだ。
「まあ、トウマくんだけそんな懐かれてるのは謎だけど」
「マクイドリという魔力を糧にする霊獣なのだが、生まれた瞬間に俺の魔力を吸ってな」
「ということは、親だと思われているのですね?」
「そうらしい」
ステカが、うらやましそうに唇を突き出す。一瞬で、モルドでなかったら見逃しているところだ。
「好かれてるね~。で、どうすんの?」
指さしこそしないが、ベーシアがにやにやと笑う。そうは見えないが、微笑ましいと思っているようだった。
「ピヨウスも同行させて構わないだろうか?」
「あ、ああ。もちろんだ」
ぴくりとも表情を動かさず、真顔でピヨウスと言うトウマ。それに気圧され、モルドは反射的にうなずいていた。
「ええ、歓迎ですわ」
ステカが、うれしそうにピヨウスを撫でる。モルドは、自らの判断が間違っていないことを確信した。
「じゃあ、ニャルヴィオンに乗ってまずは島の北側。俺たちがグリフォンの頭と呼んでいる地域に向かわせてもらう」
地霊種ドワーフが産みだしたという、蒸気猫。
現在の地霊種にかつての技術力はなく、モルドとステカもおとぎ話として知っている程度。
事前に聞いてはいたが、まさか乗り込めるように作られているとは思ってもいなかった。
「にゃ~ん」
「ニャルヴィオンも、やる気みたいだ」
蒸気猫の鳴き声に合わせて、スロープが下りてくる。
「階段を上れるだろうか? 難しければ……」
「はい。この程度であれば、問題ありませんわ」
「そうか。シアに運んでもらうこともできるから、無理はせず言ってくれ」
「は、はぃ?」
語尾が上擦ってしまったが、仕方がないことだろう。
アムルタート王国の女王。
この国の概要を知っただけなら、女王などと名乗るのはおこがましいと思うかもしれない。
だが、実際に目の当たりにすればそんなちんけな常識など吹き飛んでしまう。
その佇まい、その美貌、その雰囲気。
ミュリーシア・ケイティファ・ドラクルが、誰かに膝を折るところなど想像もできない。
彼女こそ、生まれながらの王だ。
その手を煩わすなど。畏れ多すぎて、想像するだけで震えがくる。
「大丈夫だ。俺がついている」
「モルド……」
「ああ、任せよう」
こうして万難を排して、ニャルヴィオンの二階席へと乗り込むことに成功した。
一番奥の席はスペースも広く、蛇の下半身でもゆったりと座ることができる。
「じゃあ、ニャルヴィオン。今日はよろしく頼む」
「にゃ~」
先頭で、トウマが声をかけた。
そのまま戻って、同じく最後尾に座る。ステカが窓際、モルドの横にベーシアとトウマが並ぶ格好だ。
しかし、ニャルヴィオンは走り出そうとしない。
「動かないようだが?」
「ん? ああ、飛ぶからな」
「飛ぶのなら、仕方がないな」
モルドが納得――しなかった。
「と、飛ぶのか?」
「え? ほんとに? なに食べたら、そうなるの?」
「ヘリコプターを食べたら、そうなった」
「なにそれ、最高じゃん!」
ベーシアが、包帯に包まれた手を叩いて笑う。
上機嫌だ。
それに反比例して、モルドとステカの顔から血の気が引いていく。
「ぴぃぴぃぴぃ」
一方、ピヨウスは楽しそうにニャルヴィオンの二階席でステップを踏んでいた。
その愛らしさと、これから飛ぶという緊張にステカが泣き笑いのような表情を浮かべる。
「砂漠の外では、これが当たり前なのか?」
「この島が例外なんじゃないかな~」
「安全性なら、問題ない」
冷静沈着。まるで、歴戦の狩人のようだった。
そう言い切られては、これ以上の反論はできない。ステカの手を、ぎゅっと握ってやることしかできなかった。
ぱたぱたぱたと、なにかが回転する音がする。
「う、浮いた。浮いています」
「目線が高く……」
空を飛ぶのだから、当然。
今まで外に見えていた精霊殿が見切れていく。
「おー。飛んでる飛んでる。乗り物で飛ぶのは、久し振りだな~」
「ぴぴぴぴぴ~」
ベーシアとピヨウスは、素直に喜んでいる。
純粋に観光気分なのは、この一人と一羽だけだろう。
「昔、親友と空飛ぶ絨毯で大陸を越えたことはあるけどねぇ。懐かしいなぁ。あ、ドライフルーツ食べる?」
「不要だ」
「にゃ~」
「そろそろ、島の全景が見える高度のようだ」
トウマが立ち上がり、ガラスのない窓から確認する。
「ぴぃぴぃ~」
その前に割り込むような格好で、ピヨウスものぞき込んだ、
「ほらほら、せっかくだから。落ちても、ボクがなんとかしてあげるからさ」
「あ、ああ……」
そこまで言われては、モルドに否やはない。特に、ステカが横にいるこの状態では。
覚悟を決めて立ち上がると、トウマの隣の窓から顔を出す。
風にあおられ、思わずまぶたを閉じた。
しかし、いつまでもそうしてはいられない。
心の中で数をカウントし、思い切って目を開ける。
視界に、森の緑と大地の茶色と空の青と。様々な情報が映り込む。
「これが、外の世界か……」
呆然とつぶやく。
感動しているのか、どうか。それすらも分からない。
分かったのは、グリフォン島と呼んでいた理由ぐらいのもの。
「確かに、不思議な形だ……な」
伝説に謳われる、グリフォン。
その姿にそっくりだった。
「空から、自分たちが住んでいるところを見れるだなんて……」
いつの間に、隣にいたのか。
布を巻いた青みがかった髪を抑えて、ステカがほうと息を吐く。
二重の不思議に、一時恐怖を忘れているようだ。
もちろん、横にいるピヨウスを撫でて得られるセラピー効果もばかにはできない。
「詳しい案内は、あとでするとして。このグリフォン島を囲んでいるのが――」
「あれが……海……か?」
「ああ。海だ」
知っていた。
海という存在は知っていた。亀裂海によって、ミッドランズと別たれているとは知っていた。
だが、それだけだった。
なにも知らなかった。
海の雄大さも、なにもかも知らなかった。
「本当に、砂の代わりに水がずっと……」
きらきらと陽光を反射する水面。
砂漠とは異なり、熱気のないさわやかな風。
それでいて、どこか不思議な香りがする。
見えない。
終わりが見えない。
文字通り、水平線まで。そのずっと先まで。
どこまでも、どこまでも続いている。
それは、砂漠と同じ。砂漠も、どこまでもどこまでも続いていた。
なのに、なぜだろうか。
「世界は、広いのだな」
「ええ。どこへでも行けるのね」
海には、砂漠にはない開放感があった。自由を感じた。
「そうだな。俺が契約している幽霊船があって、それに乗ってミッドランズまで行ったことはある」
「そのときに、ボクと出会ったんだよね。運命の出会いだね」
「良くも悪くも、そうだな。良くも悪くも」
「ははははは。知らなかったのかい? 草原の種族からは、逃げられない」
その出会いがなければ、モルドとステカがグリフォン島を訪れることもなかった。
運命の糸は複雑に、より合わさり。
それでいて、必ずどこかへつながっている。
「精霊アムルタートに感謝を」
「ええ。その通りね」
モルドとステカがまぶたを閉じる。
その裏側には、今目の当たりにした素晴らしい光景が浮かんでいた。




