203.夢と死
夢。
将来の展望という意味ではなく、睡眠中に視覚像として現れる様々な出来事を言うのであれば。
紛れもなく、これは夢だ。
トウマは、この城館のエントランスにいた。
前後の脈略はない。夢なのだから。
そこから、誰かを見送ろうとしているようだった。根拠はないが、当たり前のようにそのことを理解している。
けれど、それが誰なのかは分からない。
声は出ない。手も伸ばせない。
ただただ、見ているだけ。
だから、トウマは必死に目をこらす。
曖昧模糊としていた像が、徐々にはっきりしてくる。
途中で、正体が分かった。
(【令嬢】が……?)
それは、【令嬢】の後ろ姿。
だが、にわかには信じられなかった。あの静かに微笑む【令嬢】が館から出て行く。
そのこと自体が、どうにも不自然に思えてならない。
(あの三人の誰かと結婚するのなら、それもあり得るのだろうが……)
一体、どんな表情をしているのか。
喜んでいるのか。
哀しんでいるのか。
後ろ姿からは、推し量ることもできない。
その間に、城館の扉が開かれる。
陽光が射し込み、【令嬢】の美しい髪を照らす。
外は晴れていた。この城館から、初めて見る青空。
あの三人の誰かが用意したのか。それとも、元々あったのか。外には、馬車が駐まっていた。
そちらに向かって、【令嬢】が進んでいく。
足取りに戸惑いはない。
振り返りもしない。
なんの未練もなく、【令嬢】は館から外へ出て行き……。
――ぷつり。
そこで、夢から醒めた。
あまりにも、唐突。まるで、世界の果てにある滝から落下したかのよう。
トウマは、深く息を吐いた。
暗い室内。ほのかに、“王宮”とは異なる天井が見える。
眠ったはずなのに、頭と肩が重たかった。
ミュリーシアたちからはやたらと心配されてしまったが、アルコールの影響があったとは思えない。
また、枕やベッドが違うからと眠りが浅くなるとも思えない。
ジルヴィオと野営をしたときも、ぐっすり眠れていたぐらいだ。いわんや、一人でベッドを占領できる状況で寝不足などあり得ない。
そうなれば、原因はひとつ。
「なんで、あんな夢を見たんだ……?」
エントランスから外へ。
強引に出て行って、元の位置に戻された経験しかない。
ミュリーシアたちと話をして、返りたくなった願望が夢を見せたのか。
その割には、出て行ったのは【令嬢】だ。まさか、囚われの身を【令嬢】と重ねたわけではないはず。
思考がそこに及んだとき、トウマはがばっと跳ね起きた。
「そもそも、不自然と思うこと自体が不自然じゃないか?」
家から出ていく。それのどこがおかしいというのか。重度の引きこもりでない限りは、当たり前のことだ。
確かに、【令嬢】はアクティブな性格には見えなかった。【当主】も、わざわざ外出を促すようなタイプではないだろう。
だからといって、違和感を憶えるのはおかしい。
トウマは、枕元に置いていたスマートフォンを手に取った。
この城館。ダンジョンの第三層でも、きちんと動作する。一晩経って、バッテリーが消耗していることも電波が切れていることもない。
ロックを解除した――その瞬間。
「【旅人】様、起きていらっしゃいますか」
「あっ、……ああ。ちょうど今、目が醒めたところだ」
ノックの音が聞こえると同時に、布団の下にスマートフォンを隠していた。
「大変申し訳ございませんが、エントランスへお越しいただけますでしょうか」
「それは構わない……が」
嫌な予感がした。
胃の辺りからこみ上げるものを意志の力で押さえつけ、トウマは声を絞り出す。
「一体なにがあった?」
「【騎士】様が――」
「【騎士】が?」
「――お亡くなりになりました」
「死んだ? 【騎士】が?」
言葉をそのまま繰り返すのは、理解していない証拠。
祖父の言葉が頭の片隅に浮かび上がるが、トウマは他になにも言えなかった。
「そうか、【騎士】が亡くなったのか……」
ようやく二度目で現実感の欠片らしきものが、指先に触れた気がする。
しかし、それは疑問の嚆矢でしかない。
なぜ? どうして? どうやって?
事故死? 他殺? 自殺?
まさか、病死ということはないだろう。
まるでマテラの虹色のシャボン玉のように、疑問が浮かんでは消えていく。
「分かった。今、行く」
「ありがとうございます」
トウマはベッドから下りると、ワードローブにしまっていた制服の上着に袖を通した。
部屋から出て行こうとして、大事なものを忘れていたことに気付く。
「シアたちには、確認した後で相談だな……」
制服の内側のポケットに、スマートフォンを仕舞い込んだ。
素早く準備を終え、扉の外へ。【執事】は、そのまま待機していた。
「こちらへ」
「ああ」
他殺なのかは分からないが、容疑者として拘束されることはないらしい。
素直に後をついていくと、エントランスにはすでに【当主】と【貴族】と【商人】がいた。
トウマよりも、この三人の安否を確認するほうが先なのは当然。【令嬢】には、他の使用人がついているのだろう。
「【当主】様、【旅人】様をお連れいたしました」
「ご苦労」
巌のようだった【当主】。
相変わらず、声も顔も硬い。しかし、その表面にひび割れのようなものが見えた気がした。
「【旅人】はん、驚いたやろ? まあ、ワシもびっくり仰天やけどな」
「ああ、驚いている。気を遣ってくれてありがとう」
「ふんっ。こんな状況で、よく寝転けていられたものだな」
二人とも普段通りのように見えるが、どことなく余裕がなかった。
もし犯人ならライバルが減って喜ぶ様子など見せられない。
そうでなければ、こんな状況で死者が出たら気味が悪い。緊張するのも、当然だった。
「それで、【騎士】が死んだとしか聞かされていないのだが……」
「どうも、馬に蹴られたらしいわ」
「馬に、蹴られた……」
求婚者の一人が、馬に蹴られて死んだ。
ブラックジョークにしても酷すぎる死因に、トウマは現実を処理しきれない。光輝教会に召喚された直後よりも、混乱していた。
目の前の【商人】が、脇にずれる。
その向こうに、シーツで覆われた物体があった。
あれが、【騎士】の遺体。
戸板に乗せられ、ここまで運ばれたようだ。その周辺だけ、雨で濡れている。
しっかりとした足取りで、トウマが近付いていく。誰も、止めようとはしない。
遺体の横に、ひざまずく。一息に、シーツを取り去った。
元気な【騎士】がいて、引っかかったと人好きのする笑顔を浮かべている。
そんな希望は、脆くも打ち砕かれた。
まず目に入ったのは、蹄鉄の形にへこんだ鳩尾。エントランスの階段と同じ形だなと、益体もないことを考えてしまう。
これが、唯一の外傷にして致命傷。
もう、ぴくりとも動かない。
触れてみると、冷たくて硬かった。
死人だ。
顔を見ると、驚きに歪んでいる。
それでも、見間違えるはずがない。
片方しかない目。
傷が幾つもある顔。
間違いなく、【騎士】だった。
言葉を交わしたのは、ほんの少し。
好悪を抱くには、あまりにも短すぎる。
「なんで……」
それでも、知り合いが死んだ。
例えダンジョンの中でも、トウマの心を沈ませるに充分だった。
「そういえば、雨は……」
「まだ、降っております」
「はっ、一晩中降っていたはずだな」
トウマの疑問に、【執事】と【貴族】が答えてくれた。
しかし、謎が深まっただけ。
「【騎士】は、馬で館を訪れたのか?」
「左様でございます」
「じゃあ、夜中に様子を見に行って……そこで愛馬に蹴り殺された?」
状況は、それを示している。
しかし、あまりにも不自然だ。
ドラゴンを殺した【騎士】が、そんなつまらない死に方をするか?
そもそも、館の外に出られるのか。外というものが、実在するのか。
「不幸な事故が、起こったようだ」
硬く重苦しい【当主】の声が、エントランスに響いた。
トウマは、シーツを戻して立ち上がる。
「葬儀は、当家が責任を持って執り行おう。ここに居合わせたのもなにかの縁。参列してもらえれば、故人も喜ばれることだろう」
不幸な事故。
そういうことにするようだった。
「この雨じゃあ、よう出て行かれへんしな……」
「英雄などといっても。いや、だからこそ終わりはこんなものだな」
痛いか痛くないかは分からないが、犯人捜しをして腹を探られるよりましと判断したのだろう。
残る求婚者二人は、【当主】の決定を受け入れるようだ。
ここで、一人異を唱えても仕方がない。
それに、トウマには力がある。
「葬儀には、俺も参加させてもらおう」
流れに乗っておくことに、越したことはなかった。
「せめて、遺体はどこかの部屋へ安置すべきではないだろうか」
「【当主】様……」
「……うむ。では、元々使っていた部屋が良いだろう」
「分かった」
後ろ側に回り、戸板に手を伸ばした。
「ご協力、感謝いたします」
「ふんっ。こんなもの、目につくところに置かれてもやっかいだからな」
「せやな。【令嬢】はんが目にしたら事やで」
結局、【当主】以外の四人で協力して運んでいくことになった。
それぞれ思惑はあるだろう。
トウマも、親切だけで役目を買って出たわけではない。
二階へと【騎士】の遺体を移動させながら、トウマは密かに集中する。
死霊術師の感覚。
死者の魂に語りかけ、その声を聞くスキル以前の基礎的な能力。
しかし、応えはない。
まったくなにも感じられない。
死者の匂いがする館にもかかわらず。
未練もなにもなく。
【騎士】の魂は、この場から綺麗に消え失せていた。




