202.再会には、まだ遠く
「……罠か?」
ベッドの上で、それを見つけたとき。トウマは、反射的に距離を取ってしまった。
そんな反応を、知ってか知らずか。どこからともなく垂れた黒い帯が、その先に巻き付けた見憶えのある板をベッドの上で蠢かす。
魚の視点で、釣り糸と針を見たらこうなるのかもしれない。
だから、トウマが警戒するのはある意味で当然だった。
「どう見ても、シアの影とスマホだよな……」
この第三層に出てくるには、あまりにも都合が良すぎる。なにかの罠でなかったら、幻覚の類だろう。
「そんなに、ワインを飲んではいなかったはずだが……」
それ以前に、酩酊感はない。
つまり、現実である可能性が高い。
「……他の人に見つかったら、厄介だしな」
もしかしたら、【執事】なら大丈夫かもしれない。だが、不審だと処分されそうな気もする。【騎士】は面白い物が好きな雰囲気があるし、【商人】には絶対に渡さないほうがいい。
「やるか」
頬をぴしゃりと叩いて、トウマは黒い帯をぎゅっと掴んだ。間髪入れず、動きを止めたスマートフォンを握る。
続けて、慣れた手つきでロックを解除した。そのタイミングで、影の帯が消える。
通話は、すぐにつながった。
「……レイナで、いいのか?」
『センパイ!?』
『共犯者!』
『トウマ!』
いくつもの声が重なり、スピーカーが割れたような不協和音を奏でた。
トウマは顔をしかめ、可能な限り手を伸ばす。
「驚いたな」
いろいろな意味で。
『第三層への扉はありましたけど、誰も通り抜けられなかったんですよ』
『じゃが、物はその例外のようじゃったからな』
『すまほを、お届けなのですよ~』
「そんな抜け道が」
天井を見ても、穴のようなものはない。理屈は、さっぱり分からなかった。
「良く、俺の居場所が分かったな」
『そこは、勘よの』
『相変わらず、むちゃくちゃですね』
『頼りになるのですよ~』
「ミュリーシアなら、それくらいできるか」
不思議だ。
不思議だが、ミュリーシアなら納得できなくはない。
思考停止ではない。信頼だ。
「とりあえず、俺は無事だ。危害を加えられてはいない」
『良かった……』
「だが、洋館? 城館? まあ、館で足止めを喰らって変な役割を押しつけられている」
『変って、なにが変なのです?』
「とんでもない美人の【令嬢】と、彼女に求婚する【騎士】、【貴族】、【商人】を見定める役割だ。変としか言い様がないだろう?」
トウマは、扉に吸い込まれた直後。
城館に迷い込んでからの話を、スマートフォン越しに聞かせる。
いきなり、【執事】から【旅人】と呼ばれたこと。
大雨で、しかも外に出たらエントランスへ戻されたこと。
一癖も二癖もある人物たちと出会ったこと。
自分で説明しつつ、首を傾げてしまう。
『そんなに美人でしたか』
『ほう……。美人のう……』
「ああ。でも、芸術品とか美術品のほうが近いな」
観賞する分には、最高だろう。
だが、ともに過ごしたいかというと違う。少なくとも、トウマにとっては。
『精霊様の像みたいなのです?』
「それは少し違うが、シアなら彫れそうではあるな」
『よく分からないのです!』
リリィがさじを投げた。
『役割に沿って動くルールみたいなのが、あるんですかね。ドラマの世界に迷い込んだみたいな感じですか?』
「ああ、言い得て妙だ」
『ふむ。そう考えれば、人数制限が存在するのも道理やもしれぬ』
「配役というのがあるからな」
『リリィたちの村の始まりの劇の前に、余所のお芝居に出ちゃったのです……』
「本当に芝居をしているわけではないんだが……」
ともあれ、話を変える必要がある。
「ああ、そうだ。こっちで食事をしたんだが、味はどうだった?」
『な、なな……』
「な、七?」
『なんということなのですーーーー』
スマートフォンから聞こえる声が、徐々に遠ざかっている。どうやら、驚きに飛んでいってしまったらしい。
「そうか、本当に俺の安否が分かってなかったのか。それで、あの反応になったわけだな」
『食い違いがあったのは、そういう理由でしたか』
『それならば、この温度差も仕方がないのう』
認識のギャップが埋まり、トウマは窓際で安堵の息を吐く。
「次は、こっちの番だな。そっちは、大丈夫なのか?」
『心配される理由がないんですけど?』
「卵が光り出したって言っていただろう」
『ああ、それですか』
レイナが、あからさまに興味をなくした。一緒にいたら注意していただろうが、この状況ではそうもいかない。
やはり、離ればなれというのは良くないなとトウマは思う。
『卵の明滅は、早くなったまま変わらぬの』
「見えてるのか? どうやって?」
『ミュリーシアが、運び出したのです』
「なるほど……。それでも光っているのか」
『急に光らなくなるほうが、心配なのですよ~』
「精霊殿の擬似太陽が、影響しているんじゃないかと思っていたからな」
『…………』
『…………』
『…………』
その可能性が、すっかり抜け落ちていたらしい。返ってきたのは、沈黙だった。
「もう擬似太陽のアシストは必要ないと、いうことだとしたら……。これもしかして、本当に生まれる寸前だったりしないか?」
『あり得るのう』
「もっと顕著な変化はないのか? あれからもう半日近くだろう?」
『なにを言っているんですか。まだ一時間も経っていないですよ』
「……時間の進みも違うみたいだな」
そうなると、この通話はどういう理屈で成り立っているのか。
今、トウマたちはどういう状況なのか。
それすらも、分からなくなってくる。
「あまり、長話をするのも良くなさそうだ」
『……ですね。ちょっと、ぞわっとしましたよ』
レイナが、腕をさすっている光景がトウマの脳裏に浮かぶ。
笑っている場合ではないかもしれないが、自然と口角が上がった。
「みんなと話ができて、安心した。これなら、俺も頑張れる」
『そ、そうですか? センパイにしては、珍しく心細かったんですね』
『影でやり取りができることは、分かったのだ。必要な物があれば、遠慮無く言うが良い』
『大丈夫なのです。リリィたちが、ついているのですよ!』
「ありがとう。早く、みんなと会いたいな」
それは、紛れもない本音。心からの言葉だった。
しかし、それを浴びせられたほうは堪ったものではない。
『センパイ?』
『共犯者?』
『トウマ?』
「ん? どうかしたか?」
妙に硬い、みんなの声。【当主】ほどではないが、違和感がある。
『お酒を飲みましたね?』
『飲んだのじゃな?』
『噂に聞く、トウマのストレート状態なのです』
「そんな、ニャルヴィオンのニャンコプターモードみたいに言われてもな」
飲んだと言っても、ワインを何杯か。ミュリーシアと一緒に飲んだときよりも、遥かに少ない。
「出された以上、断るのも不自然だしな。安心しろ、酔ってはいない」
『酔っている。センパイは、その状態で酔っているんですよ……』
「珍しく、心配性だな。そういう玲那も、好きだがな」
スマートフォンの向こうで、息を飲む気配がした。
だが、トウマには理由が分からない。
『……共犯者、今日はもう寝たほうが良いぞ』
『なのですよ~。レイナのことが好きなら、寝るべきなのですよ~』
「玲那のことは好きだが、つながりがよく分からないな」
いや、それは真実だが正確ではない。
「もちろん、玲那だけじゃない、シアもリリィも好きだぞ」
『きょ、共犯者……』
『リリィも、トウマのこと好きなのですよ~』
「それはうれしいな」
『ぐふふ~。てれってれっなのです』
スマートフォンの向こうで、リリィはぐるんぐるん回っていることだろう。一食分損をしたことは、すっかり忘れてくれたようだ。
『共犯者、寝るのだ!』
『そうです! もう寝てください! これ以上、人と接するのは危険です』
「……まあ、寝ること自体に異存はないが」
やや理不尽を感じつつも、トウマはベッドに入る。
途端に、眠気がやってきた。
どうやら、限界だったらしい。
『お、起きたら連絡くださいよ?』
『そうじゃな。それで時間経過の齟齬も、ある程度判明するであろう』
「ああ、そうしよう。みんなのお陰で助かった。ありがとう」
なぜか、スマートフォンの向こうで安堵の声が聞こえてきた。
そのまま、通話が切れる。
「安心したのは、こっちのほうなんだがな」
トウマは小首を傾げ……すぐに、答えにたどり着いた。
「ああ、そうか。俺が想っているように、俺も想われているということか」
心配も不安も愛情も一方通行ではない。
それはとても、素晴らしいことだ。
離れて分かることもある。
怪我の功名にトウマは、少しだけ微笑んで。
着替えもせず、そのまま眠りに落ちる。
ただし、夢も見ずにとはいかなかった。




