200.美しき【令嬢】
かつて、ヴァレットが君臨していた場所。大学の図書館の跡地で、残された者たちは合流した。
様々な感情でぐちゃぐちゃになって、それでも前を向くことを決めたレイナ。
その緑がかった瞳に、ミュリーシアの姿が映る。
しかし、ただの女王ではない。
影の帯で巻かれた、巨大な卵を背負ったミュリーシアだ。
「……一体全体、なにやってるんですか?」
驚きに瞳を見開き、次いであきれてため息をつき。レイナは湿度の高い視線を、ミュリーシアへと向ける。
「仕方があるまい。共犯者は捨て置けぬが、この卵も放ってはおけぬ」
だが、ミュリーシアはそれを平然と受け止めた。なにも悪いことはしていないと、胸まで張っている。
その双丘に、レイナは舌打ちをこらえるので精一杯。
「なるホド。泣き崩れていた臣下ヲ、体を張って慰めようとしているということカ」
「泣き崩れてないですけど!?」
レイナがネイアードの足を蹴ろうとするのを赤い瞳で眺めつつ、ミュリーシアは荷物を地面に下ろした。
影の帯が解かれ、素早く明滅を繰り返す巨大な卵が姿を表す。
「言ってた通り、点滅が早くなってますね……。爆発寸前っぽくないですか、これ?」
「さてのう。素直に解釈すれば、生まれる前兆ではないかと思うのじゃが」
なにしろ、前例はない。
できることは、安全に配慮しつつ見守ることだけしかなかった。
「それよりも、なのです! ネイちゃん、扉はないっていう話だったんじゃないのです?」
「気付いタラ、戻ってイタ」
「扉なのに、ほいほいいなくなってもらっちゃ困るのですよ!」
リリィが拳を腰に当て、頬を膨らます。すみれ色の瞳の先には、更地になった図書館跡に出現した次の階層への扉。
トウマをさらって消えていたはずの黒い扉が、元の場所に戻っていた。
「なに、消えたままよりは良いではないか」
「それはそうですね。殊勝なことです。このあと、どうなるかも知らずにね」
「ミュリーシアとレイナが、笑いながら怒っているのです……っっ」
顔は笑っているが、目は醒めきっている。
その鬼気とすらいえる波動に、リリィは戦慄した。生前、母親から大目玉を食らった記憶が蘇りそうになり、慌てて封印する。
「次の階層へ行くということデ、いいのだナ?」
「無論」
有無を言わせぬ迫力に、ネイアードも圧倒された。
「そうカ。あの卵ハ、こちらで監視をしヨウ」
「うむ。任す」
「なら、一番乗りはリリィにお任せなのですよ!」
空中で片足を上げ、駆け出そうとする。
「近衛じゃなくて、特攻隊長じゃないですか」
「それ、格好良いのです!」
「ああ、焚きつけたわけじゃないんですけど!?」
レイナが伸ばした手は、空を切る。
びゅんっと音がしそうな勢いで、リリィが空を駆け。
――そして、衝突した。
「あたたたたたた……なのです」
見えない壁のようなものに弾き飛ばされ、リリィが錐揉みで吹き飛ばされる。
「リリィちゃん、大丈夫ですか!?」
「大丈夫なのです。ただ、痛いだけなのです」
「便利というか、不便というか……」
「これは、沸騰湾のときを思い出すのう」
グリフォン島の北。グリフォンの頭に存在する沸騰湾。
常に海水が沸き立つ、魔力異常により生まれた神秘の地。
そこを調査しようと海に飛び込んだリリィだったが、見えない壁のようなものに遮られてしまった。
トウマは、一種の地縛霊ではないかと判断した。つまり、リリィは島から出られない。
「でも、今までダンジョンはオッケーだったんですよ? ここも島の一部ってことになるんじゃないですか?」
「つまり、第三層はその例外か……」
「ゴーストなのは関係なク、あらゆる存在を拒んでいるかダナ」
ミュリーシアとレイナの顔色が、さっと変わった。この扉をくぐれなければ、トウマを奪還する筋道が失われてしまう。
「ここは、妾から行くとしようかの」
「……いいですよ。譲ります」
「うむ。共犯者のことは、妾に任せるが良い」
「あたしも、後から行くんですよ!」
黒いドレスを身にまとった、ミュリーシアがゆっくりと。けれど、しっかりとした足取りで第三層への扉に近付いていく。
そのまま足を緩めることなく扉をくぐり抜け――られなかった。
行き止まり。
ガツンっと鈍い音がして、その先に進めない。
「あや~。ミュリーシアも、リリィとおんなじになっちゃったのです」
「なんと、忌々しい……」
「これ、ネイアードが当たりってことですか?」
レイナもチャレンジするが、結果は同じだった。
それだけでなく、ネイアードまでも。
「拒めるがゆえニ、元の場所に戻ったということのようダナ」
「扉は開いているのに入れないなんて、間違っているのです!」
「階層核に、ここまでの権限ってあるんですか? これができたら、オーバーフローも起こし放題じゃないですか」
「……人数制限やもしれぬな」
ミュリーシアが、形の良いあごをなぞっていた指を離す。
「だとすれば、共犯者は無事ということになるが……」
「こっちから助けには行けないと。やっぱり、とんだクソ仕様じゃないですか」
レイナが、忌々しげに地面を蹴った。トウマがいないので、悪態がとどまるところを知らない。
「じゃあ、人じゃなければ大丈夫なのです?」
「そうです、リリィちゃん賢い! 手紙かなにかを……」
「それができるのであれば、共犯者からの連絡があるのではないかの?」
「……確かに。じゃあ、どうするんです?」
泰然自若。レイナに詰め寄られても、ミュリーシアは動じない。
「貴重な、すまほ。捨てる覚悟があるか。それだけの問題よ」
ドレスの裾から影で編んだ帯を伸ばし、口角を釣り上げて白い牙がむき出しにした。
トウマが案内をされたのは、広々とした縦長の食堂だった。
壁は絵画やタペストリで飾られ、目立たないが印象的に彩られている。
頭上には、煌びやかなシャンデリア。マジックアイテムなのか。ろうそくではなく、それ自体が発光して周囲を照らしている。
トウマは、精霊殿の擬似太陽を思い出していた。
中央に部屋と同じく縦長の食卓が設置され、やけに広い間隔で椅子が用意されている。
すでに、【騎士】、【貴族】、【商人】は着席していた。【執事】に案内されるまま、その三人とホスト側の間に座る。
緊張か。それとも、敵同士でなれ合うつもりはないということなのか。
三人の間に、会話はなかった。それは、【旅人】であるトウマが加わっても変わりない。
「少々お待ちくださいませ」
テーブルには、カトラリーが綺麗に並べられている。
それを眺めていると、程なくして【当主】が姿を見せた。
周囲に合わせて、トウマも立ち上がって迎え入れる。
「このような天候の中、我が娘のために集まっていただき感謝する」
岩のような男。
トウマが【当主】に抱いた第一印象は、硬いだった。
角形の頭も、表情も、口調も。すべてが硬い。
「思うところは様々あるだろうが、今宵はそれを忘れて楽しんでもらいたい」
一方的に言って、【当主】が長方形のテーブル一番奥側。短辺の席に座った。それだけで、頭上に重石が置かれた気分がする。
食堂に、先ほどよりも重たい静寂が流れた。
沈黙を苦にしないトウマだったが、いささか息苦しい。
自己紹介でもすべきか。それは、【令嬢】が来てからのほうがいいのか。
迷っているうちに、事態が動いた。
実際、目にしたわけではない。
ただ、彼女が入ってきた。同じ空間にいる。
それだけで、重苦しい空気が吹き飛んだ。
金髪碧眼の美少女。
理想的な淑女。
雲を織り上げたような白い肌。
芸術の神が自ら鑿を打ったかのような美貌。
星そのもののような青い瞳。
大人しくたおやかな所作。
常に柔らかな微笑みを浮かべている相貌。
言葉は、いくらでも出てくる。
万言を費やしても、表現しきれない。
だが、それは野暮だ。
美。
それで、事足りる。それ以上は、なにも言わない。
美しいという概念。
それを具現化したら、こうなるのかもしれない。
トウマがそう思ってしまうほど、彼女は美しかった。




