020.沸騰湾、再び
「こうして近付いてみると、異質であることがまざまざと分かるの」
影術で編んだハーネスでトウマを運びながら、ミュリーシアは空中で静止した。すっかり、いつものペースを取り戻した。
……ように見える。
「俺の故郷だと温帯。南のほうに生えてる植物なんだけど、見たことないか?」
「知らぬ。少なくとも、建国祭で饗された果物が妾の食卓に出たことはなかったの」
「そうか。ということは、物珍しさで買い手はつくかな」
「美味しいから、絶対にみんな欲しがるのです!」
「うむ。希少価値があるのも、良いことであろう」
こちらの世界でも、南に行くほど暖かくなるのは常識として知られていた。
交易をしたら別の土地でも作られるようになるかもしれないが、今から心配するような話でもない。
「ところで、シア。直接海まで行くのか?」
「いや、妾もこの植物を見て回りたい。構わぬかの?」
「シアに任せる」
と言いつつ、トウマはほっとしていた。
空の旅は速い。便利だ。
しかし、空を飛んでいる。地に足がつかない。それは、自然への反逆である。
表情は変えずにそんなことを考えていると、ジャングルにも似た密林に降り立っていた。
影術で編んだハーネスからも解放され、そっと息を吐く。
「おお、これが持ち帰った大きな葉の木じゃな」
「ああ。実は熟してないみたいだから、葉っぱだけな」
早速、バナナのような樹木を見て歓声をあげるミュリーシア。熱帯のような暑さも、気にした様子はない。
「傘にもなりそうなのです!」
「うむ。風情があるの」
月明かりを凝集したような銀髪に一切の乱れはなく、白磁のごとき肌には汗の一滴も流れていない。
まるで、彼女に触れることを世界が恐れているかのようだった。
「しかし、グリフォンの翼と同じ島とは思えぬの」
「海が沸騰して気温が高くなって、ここだけ生える植物が変わったんだろうな」
「でも、種はどこから来たんです?」
「鳥が運んで来たりするらしいけどな」
「そこは、魔力異常によって植物も変化したと考えれば良いのではないかの?」
「シアから何度も聞かされてるけど、魔力異常はとんでもないな」
本当に、なんでもありらしい。
思考停止かもしれないが、深く考えても結論が出ない問題でもあった。
「共犯者たちが見た猿の姿は見えぬが、他に使えそうな植物がありそうかの?」
「あのときは食料に意識が向いてたけど、当然、他の用途にも使えるよな」
トウマは、制服の胸元を緩めながら熱帯雨林を見回す。
ひとつ、思い浮かぶものがあった。
「民芸品で、籐で編んだ籠とか椅子とかあるよな……。それを使えば、ベッドも作れるんじゃないか……?」
「して、どれがその籐という植物なのだ?」
「分からない……」
緑の聖女である、レイナなら分かるだろう。それどころか、スキルで加工してくれるかもしれない。
サイドテールの幼なじみを思い浮かべ、トウマは自戒するように首を振った。
「ひとつずつ順番に試していこう。焦ることはない。別に、時間制限はないんだ」
「知識のある人間に頼るのは、悪いことではないと思うがの」
「……シア、俺がなにを考えているか分かるのか?」
「誰でも分かるであろう。ドラクルの種族能力というわけではないぞ」
「うっ……」
トウマが、一歩後退る。
珍しいトウマの反応に、リリィが割り込んできた。
「なんなのですか? リリィが知らない話なのですか?」
「単に、俺の幼なじみが緑の聖女をやってるって話なんだが」
「あっ、分かったのです。幼なじみを迎えに行くって話なのです!」
「逆なんだが」
「こっそり会いに行くぐらいなら、ばれはせぬと思うがの」
「それは楽観的すぎるだろう」
「そうやって放置されて喜ぶ女子であれば良いのじゃが」
「……もしかして、詰んでるのか?」
暑さのためだけではない汗が流れ落ちる。
進むも地獄、引くも地獄。
ならば、どの地獄に落ちるのがいいのか。
「まあ、共犯者の心配も分からぬでない。しばし考えるが良い。妾に血を勧めた己の所行を思い出しながらの」
「……うちの女王様は、寛大なように見えて厳しいな」
「我が大臣のためである。妾は、憎まれ役にでもなる覚悟よ」
「いや、シアを恨むとか絶対にないけどな」
ミュリーシアは、呆けた表情を浮かべた。
ただし、それも一瞬のこと。
素早く羽毛扇を開いて口元を隠すと、自然な動作で海側を向いた。影術で編まれた黒いドレスの裾が舞う。
「さて、そろそろ問題の海に向かおうではないか」
「そうだな」
「行くのです!」
再び空を飛ぶようなことはなく、徒歩で海へと向かう。
途中、虫はいたが猿や他の動物に出会うことなかった。トウマ以外が暑さにうんざりすることもなく、沸騰する海へと到着する。
「ほう……」
ぽこぽこと、激しく煮え立つ海。
潮の香りと一緒に、風が熱気を運ぶ。
常識外れの奇景。
さすがのミュリーシアも、呆然と眺めるほかなかった。
光彩奪目。沸き立つ海とドラクルの姫。果たして、どちらに目を奪われるか。
その結論が出る前に、ドラクルの姫が口を開く。
「長生きはするものだのう。ひとまず、沸騰湾とでも名付けるかの」
「分かりやすいし、それでいこう」
「さて、沸騰湾の調査方法じゃが……」
「ちょっと潜ってくるですよ!」
リリィが三つ編みした金髪をなびかせて、海へと飛んでいった。
トウマもミュリーシアも完全に虚を突かれ、見送ることしかできない。
しかし、砂浜を越えて海に入ろうとした直前。
「あいたぁ!」
リリィは、そこから進めなくなってしまった。まるで、透明な壁に衝突したかのようだ。
「うう……痛いのです……」
「リリィ、勝手に飛び出すからじゃぞ」
「反省しているのです……」
とぼとぼと戻ってきたリリィの頭を、トウマが撫でる。
同時に、原因を考えていた。
「もしかして……地縛霊……なのか?」
「さすがは、死霊術師じゃな。なにが起こったのか分かったのか?」
「ゾンビとかスケルトンだとそんなことはないんだけど、ゴーストやレイスはアンデッド化した土地に縛られることが多いんだ」
「だから、リリィたちはこの島から出られないってことなのですか?」
制服の胸元を流れる汗を指先で弾きながら、トウマはうなずいた。
「俺が成長したら別かも知れないけど、現状はそうだな。一応、他にも裏技っぽいのはあるけど……」
「よく考えたら、島から出られなくても問題なかったのです! それより、どうやって調べるのですか?」
「妾が影を纏って突っ込んでいくかの?」
「二人とも、もうちょっと考えよう。こんな魚も生きていけないような環境に、二人を……そうか」
魚も生きていられない。
つまり、死んだ魚は確実にいる。
ならば、未練を持つ魚もいるはずだ。
「なるほどの。魚のアンデッドとは考えたの」
「お魚の仲間なのですか。すごいのです、トウマ」
「まずは、やってみよう」
トウマは沸騰湾の波打ち際まで移動し、そっと目を閉じた。
死者の声を聞く死霊術師の感覚に集中。ボコボコと煮え立つ奇妙な潮騒も、ミュリーシアの存在も遠くなる。
「我は、死者の声を聞く者。その未練と歩む者。死霊術師、稲葉冬馬が希う。汝の願いを、我が心に届け給え」
あった。複数の未練を持つ魂が。
だが、ひとつひとつでは足りない。
「魔力を20単位、加えて精神を10単位、生命を5単位。理によって配合し、不死の骸骨を創造す――かくあれかし」
だから、ひとつに集まってもらった。
「《クリエイト・スケルトン》」
スキルが発動した。
それと同時に大きなシルエットが、沸騰湾から飛び上がった。
複数の頭部を持つ、巨大なサメ。そのスケルトンだ。
「でっかい骨だけのお魚さんなのです!」
「驚いたの。頭が三つもあるではないか」
リリィとミュリーシアの感想など、三頭サメのスケルトンが気にした様子はない。
鬱憤を晴らすかのように、大きく海水をまき散らす。生き生きと骨だけの体をくねらせて、沸騰湾に潜っていった。




