199.客室にて
「この後、会食が予定されております。それまで、ゆっくりとお休みください」
灰色の髪をした【執事】が部屋から出て行くのを、トウマは黙って見送った。
「一応、歓迎はされているみたいだな」
案内された客室は、それなりの広さ。日本であれば、八畳間程度になるだろうか。壁に掛けられたランプが、ほのかに室内を照らしている。
壁は石造りそのままだが、床はきちんとフローリングになっていた。その上に絨毯が敷かれ、壁にもタペストリが飾られている。
家具としては、ベッドにローテーブル。それから、中身は空だがワードローブもある。
掃除は行き届いており、ベッドメイキングも完璧だ。
「少しは気を抜かないと、もたないな……」
トウマは、ベッドへ倒れ込むようにして横になった。
藁などではない。きちんとした綿の布団だ。寝心地は悪くない。もちろん、ゴーストシルクには劣るが。
やはり、かなり上等な部屋だ。どこに平均を置くかにもよるが、客観的に見れば“王宮”よりもよっぽど上。
一緒に過ごす相手という重要な要素を考えなければ、だが。
「まずは、ここからどうやって脱出するか……だな」
すでに試したように、この館からは出られなかった。出ようとしたところ、元の地点へ引き戻された。そして、話は最初からになった。
ダンジョンは、入ってから一定時間が経過しないと自発的に外へは出られない仕組みになっている。
火口のダンジョンの場合は、第一層も第二層も地上への扉自体出てこないパターンだった。
一方、第三層では館という構造上扉はあった。
しかし、結果は同じ。
「時間が経ったら抜けられる……とは、思えないな……」
トウマは両手をついてベッドから起き上がり、ひとつだけある窓へと移動した。
板ガラスではなく、瓶底のような丸いガラスを縦横に並べて外からの明かりを採ろうとしている。あるいは、外からの見た目を考えてのことからも知れなかった。
それだけに、景色を楽しむことは難しい。時折、建物全体を揺るがすような暴風雨となればなおさら。
そのせいで、館の外がどうなっているのかも分からない。
「階層核をどうにかしないと、出られないタイプのダンジョンということになるのか……」
休まずにずっと続いている雨音が、トウマのつぶやきをかき消した。
「少し、状況をまとめてみるか」
ベッドに戻ったトウマが、再び横になりまぶたを閉じた。さすがに、筆記用具までは用意されていなかった。
「一番はやっぱり、【令嬢】の結婚だな」
中心となる【令嬢】には、まだ会っていない。【執事】が言っていた会食が、対面の場となるのであろう。【当主】も同じく。
この三人が、館側。客人を迎え入れ、求婚者を品定めすることになる。
「求婚者も、三人か」
偶然か、意味があるのか。今のところは、なにも分からない。
トウマは、先ほど遭遇した【騎士】、【貴族】、【商人】の顔を思い浮かべる。
最初に出会った【騎士】からは、自然体の強さが感じられた。
恐らくは、ジルヴィオに匹敵する……というと、レイナからは大したことがなさそうだと言われかねない。
しかし、ジルヴィオも光輝騎士の一人。曲がりなりにも、ミュリーシアと勝負は成立させた。
あの【騎士】も、それくらいの強さはありそうだ。
ドラゴンの強さがどれだけなのか分からないが、まったくの嘘でもないはず。
そんな人間が、本当に人並みの幸福を求めるのか。
こればかりは、当事者でないと分からない。
その次に遭遇した【貴族】は、悪い人間ではなさそうだとトウマは思う。
傲慢で、地位を鼻に掛けているところはあった。
だが、その身分を使って【令嬢】を強引に手に入れるようなことはしないようだ。あくまでも、他の二人と同じ土俵に立って娶ろうとしているように思えた。
まあ、あくまでも第一印象だが。
たった数分言葉を交わしただけで、その本性まで分かるはずがない。
最後の【商人】は、一番よく分からなかった。
これは、時間が足りないからというだけではない。商売をやっているだけあって、本心に踏み込ませようとしなかった。
あの言い分では、【令嬢】を本当に愛しているとは思えない。まるで、トロフィーかなにかと勘違いをしている。
それに、容姿の面でもはっきり言ってしまえば一番劣っている。
ただ、事は恋愛ではなく結婚だ。家が絡むので、【当主】がどう判断するか分からない。
また、あの態度がすべて中年男の照れ隠しだという可能性も考えられる。
「【令嬢】を、この三人の誰かと結婚させたほうがいいのか。それとも……」
まさか、かぐや姫のように月へ帰らなくてはならないというわけではないだろう。
だが、トウマを引き込んだ存在はなにを望んでいるのか。そこが判然としない。
「正直、この方面だと俺よりも玲那のほうが適任だな……」
なんとなく、【騎士】も、【貴族】も、【商人】も。全員まとめて、失格の烙印を押されそうな気がする。
そう考えると、トウマで正解なのかもしれない。
「【令嬢】と【当主】の意向が分からないと、机上の空論になってしまうか」
一番の当事者と、まだ話もできていない。これでは、片手落ちなのは間違いない。
館側で面識があるのは、【執事】だけ。
その【執事】も、妙に舞台装置めいていた。もちろん、【当主】や【令嬢】への忠誠心はあるのだろう。
だが、それと同じくらい規定の流れを意識していたように思える。
どういうポジションなのか。考えても、答えは出ない。
「お節介な仲人にでも、徹することができるのならそれでも良かったんだがな……」
トウマが、無意識に鼻を鳴らした。
館に充満する死の気配。
この部屋に通されても、ずっと感じる。
あまりにも当たり前に存在するため、その発生源が判然としなかった。
花粉症になったことはないが、アレルギーを発したらこんな感じなのかもしれない。
「《ネクロティック・ボム》なら、ひと思いにやれるんだろうが……」
魔都モルゴールを“解放”した、死霊術師のスキル。
不吉な渦巻く遊星は自動的にアンデッドを破壊し、数を増やして連鎖的に被害を広げていく。
手当たり次第で良ければ、これが一番手っ取り早いように思える。
「……悪手だろうな」
アンデッドなら巻き込んでもいいとは言わないが、生者がいたら確実に巻き込んでしまう。自分以外のすべてに手を出して構わないという、状況でないと使えない。
将棋盤をひっくり返して、それで勝ちと言えるのか。それと同じ問題だ。
「相手がジイさんだったら、確実にぶん殴られているな」
同じことを、黒幕。延いては、階層核がやってこないとは限らない。
やるにしても、こちらの敗色が濃厚になってからだろう。
ただし、使えなくても意味がないわけではない。
「切り札を持っているだけで、精神的な余裕は持てるからな」
この場では、ミュリーシアにも誰にも頼れない。
自分一人で、ダンジョンを攻略しなければならない。
そのプレッシャーから逃れられる……とまではいかない。それでも、心が軽くなるのは確かだった。
「まあ、荒事にはならないだろうが……。【騎士】が本当にドラゴンスレイヤーだというのなら、誰も勝てないだろうしな」
それからもしばらく、つらつらと考え続ける。
「そういえば、俺は玲那の手を拒否したことになるんだよな……。戻ったら、めちゃくちゃ怒られるんじゃないか……?」
ぶるっと、トウマの肩が震えた。
どれくらい経っただろうか
雨音に混じって、ノックの音が聞こえてきた。
「【旅人】様、お迎えに上がりました」
「ああ、今行く」
トウマは、ベッドから起き上がる。
軽く身支度を調え、部屋の扉へ険のある瞳を向けた。
レイナのことは、一旦脇に置く。
あの扉を抜けたら、そこは戦場だ。
そのことを強く意識し、軽く頭を振ってトウマは扉へと歩みを進めた。




