189.ワールウィンド号の帰還
グリフォンの尾。
島の東部。未だ開発の手は及ばないものの、尾のような形の岬が波を遮り風も穏やかで良港の条件を備えていた。
そこに、幽霊船ワールウィンド号が戻ってこようとしている。
海岸まで飛行したトウマたちが、並んで帰還を待ち受けていた。
「あっ、船が見えたのです!」
「リリィちゃん、目がいいですね」
「俺たちよりも、高い位置にいるからな」
異世界も、当然世界は球体だ。高いほうが、水平線は遠くなる。
「おお、リリィの言う通りじゃ。確かに、こちらへ近付いておる」
「こっちは、単純に目がいいだけですね」
「特に、反論はないな」
しばらく待っていると、トウマとレイナの目でもワールウィンド号の姿が捉えられるようになった。
だが、そこから動かなくなってしまう。
「なにか、トラブルですかね?」
「幽霊船のトラブルか……」
「行って、確かめるしかあるまい」
ミュリーシアが背中から羽根を生やしたところで、リリィがぴっと沖を指さした。
「スケルトンシャークなのです!」
イルカのように水面から飛び上がって、骨の鮫が存在をアピールする。手負いの多頭海蛇にとどめを刺す凶暴さは鳴りをひそめ、実に楽しそうに泳いでいた。
「共犯者、なにをするつもりなのじゃ?」
「ああ、見ていれば分かる」
ヘンリーか、あるいはワールウィンド号そのものとスケルトンシャークで打ち合わせができているようだ。
スケルトンシャークが、ワールウィンド号に横付けするように止まった。
「見てれば分かるって、動きがなくなりましたよ?」
「今、準備をしているんだろう」
距離があるため微かにしか見えないが、ワールウィンド号の船縁でなにかが光を反射する。
「ネイちゃんなのですよ!」
「ネイアードですか? ああ、あれは鎧が反射して――」
レイナが言い終わる前に、全身鎧が海へ飛び下りた。
「……溺死しません?」
「呼吸はせぬであろう」
「デルヴェの地下で、水で一体化していたから大丈夫なはずだ」
「まあ、そうですけど」
「それに、言っただろう。見ていれば分かるって」
トウマが、沖を指さした。
白い波が海を切り裂き、こちらへ近付いてきている。
スケルトンシャークだ。
しかし、それだけではない。全身鎧のネイアードを、背中に乗せている。
「ほう、なるほどの。確かに、見れば分かるわ」
「見せられても、脳が拒否するんですけど」
しかし、現実は変わらない。
全身鎧のネイアードがスケルトンシャークにまたがって、島へと近付いてきた。
猛スピードで。
「要素要素を抜き出すとファンタジーなのに、できあがりはホラーですね」
「俺が言うのもなんだが、スケルトンシャーク沈まないものだな……」
「元より、骨だけで泳いでおる時点で尋常ならざる存在だからの」
そのまま待つこと、しばし。
浅瀬にスケルトンシャークが乗り上げ、ネイアードがその背から下りた。
ひれと尾を器用に使って、スケルトンシャークは沖へと戻っていく。それと反対に、濡れるのも厭わずネイアードが島に上陸を果たした。
「ネイちゃん! 久し振りなのです!」
リリィが真っ先に飛んで、肩や背中や胸をぺしぺし叩いて歓迎する。
ネイアードも、反応はしないが拒否もしなかった。
「相変わらず、照れ屋さんなのです!」
「そうではナイ」
「よく来てくれた。歓迎する」
「すまぬガ、まずは我等を運び出して欲しイ」
久闊を叙することもなく、ネイアードは用件を切り出す。
「運び出す……」
「となると、妾の出番じゃな」
「石棺のような箱ニ、詰め込んだ状態で航海してきタ」
人の形を失い粘体状の生物となった彼らの特性は、近づくモノの肉体と精神を“劣化”させてしまうこと。
ネイアードは存在するだけで石や鉄を除く物を劣化させ、その目を直視した者は記憶を奪われる。
それを避ける為、自主的に石の箱に入って運ばれてきたということのようだ。
「それはまた、重たそうですね」
「なんだか楽しそうなのです!」
グリフォンの尾は、まだ港として整備されていない状態。積荷が満載で喫水が下がり、座礁でもしたら問題だ。
リリィがくるっと一回転するその横を、ミュリーシアが飛んでいく。
「そのまマ、我等の新しい住処へ運んで欲しイ」
「挨拶とか、しなくて……」
「無用ダ。我等ハ、つながっていル」
「任せるが良い」
ワールウィンド号に降り立ったミュリーシアは、しばらくすると幾つもの石棺を影で編んだ帯で吊して再び空の人となった。
行き先は、火口のダンジョン。第一層からは、石炭を採掘しているゴーストたちに任せればいいだろう。
「来て早々、迷惑をかけル」
「国民に快適な住環境を提供するのも、国の役割だ」
「義務だからト、感謝を受け取らない理由にはなるまイ」
「来てくれてうれしい。だから、これくらいはサービスだ。それに、シアもこういうの喜んでやっているしな」
「相変わらズ、理解し難イ」
ネイアードが、ぷいっと背を向けた。
全身鎧に包まれているが、機嫌が悪いのではないことは分かる。
もしかしたら、照れているのかもしれない。
「二人は、なにを話しているのです?」
「際どい球を投げて楽しんでるだけです。放っておきましょう」
レイナが肩をすくめてあきれるが、リリィはよく分からないと小首を傾げていた。
「航海は、順調だったか?」
「なにも問題はなイ。航海そのものはナ」
「含みがあるな……」
「詳しくハ、船長から聞くべきだろウ」
「損害が出たわけでは、なさそうだな……」
確かに、ワールウィンド号の責任者はヘンリーだ。
そちらから報告を受けるのが筋だろう。
「それならいいか」
「センパイ、そこはなにがあったのかって聞くところですよ?」
「そうなのです! 懐に入るのです!」
険のある瞳を、レイナとリリィへ向ける。いつにも増して、困惑の要素が濃かった。
「……ヘンリーに聞けと、言われているのに?」
「それでも食い下がれば、ちょっとは話してくれるものですから」
「そうなのです。わがままばっかりだと怒られるですけど、だからってわがままを言わないと放っておかれてしまうのですよ!」
「早くモ、移住を後悔しそうダ」
もちろん、冗談だ。ネイアードの声には、愉快だと言える成分が混じっている。
「待たせたの」
そこに、一仕事終えたミュリーシアが戻ってきた。
しかし、砂糖だと思って舐めたら塩だったかのような不思議な表情を浮かべている。
「……なにやら微妙な空気じゃが、ヘンリーは妾たちに報告があると言うておったぞ?」
「ああ、ちょうどその話をしていたところだ」
「さっさと行くがいイ」
「そうしましょうか」
「リリィは、ネイちゃんと一緒に村に戻っているのですよ!」
「……そうさせてもらオウ」
ミュリーシアがうなずきとともに影で編んだ帯をドレスの裾から伸ばし、トウマは抵抗せずに従った。いつもの距離に比べたら、大したことはない。
ミュリーシアとレイナと一緒の、短いフライト。
「調整に時間がかかって、少し遅くなりました。申し訳ありません」
甲板に降り立つと、清々しい笑顔を浮かべたヘンリーが迎え入れてくれた。
ノインと同じ、和装のメイド姿。航海でくたびれた様子もなく、別れたときと特に変わりはないようだ。カティアとは、きちんと別れを済ませてきたらしい。
「船旅、疲れただろう。無事戻ってきてくれて、安心した」
「ありがとうございます。そちらもお元気そうでなによりです」
「元気ではありますが、こっちもいろいろありましたよ」
「うむ。じゃが、まずはそちらの話を聞こうではないか」
「はい。では、手短に」
甲板の上で、小柄な少女が重々しくうなずいた。
「今回も交易品を無事運んで来たと言いたいところなのですが、実は光輝教会からの贈り物ばかりです」
「光輝教会からの?」
トウマの目が、より一層細くなった。
ミュリーシアも、黒い羽毛扇を口元に当て不機嫌な表情を覆い隠している。
「なんですか? 嫌がらせですか?」
そして、言葉で反応したのがレイナだ。ヘンリーは、静かに首を振る。
「それが、お祝いだそうです」
「神命の成功報酬じゃないのか」
「はい、私も最初耳を疑いましたよ」
建国の祝いとして、大量の布や食料品に嗜好品。それに、貴金属と聖書多数が贈られたのだ。
「まさか、換金するわけにもいかないので。そのまま運んで来ました」
「的確な判断で助かった」
「いえいえ。それで、親書も預かってるんですが……大使を派遣したいという要望が含まれているそうです」
「大使か」
「アムルタート王国を認めるつもりのようじゃな」
国を構成する四つの要件。そのひとつである、外交権。期せずして、それが認められたことになる。露わにはしていないが、ミュリーシアは喜んでいるようだった。
「大使とか、どの面下げてって感じですよね」
一方、レイナは光輝教会への不信感をぬぐい去れていない。
それだけに、トウマは冷静になれる。
「なにか思惑があっても、進展には違いない。もちろん、無条件に信じることはないけどな」
「期日は区切られていませんが、次回にはなにか答えをしなくちゃいけないと思います」
「こうなると、先に精霊殿を作っておいて良かったな」
「文句言ってくるかどうかは知らないですけど、宗教関係はめんどくさいですからね……」
召喚勇者と聖女からすると、信仰は自由だが集団になって要求を突きつけられるのは果てしなく迷惑という認識だ。
「基本は受け入れる方向でいいだろう」
「国を興したからには、外交を避けるわけにはいかぬからの」
「その上で、ペルソナ・ノン・グラータだったか」
「格好良い響きですね。なんでしたっけ?」
ペルソナ・ノン・グラータ。
好ましからぬ人物は、拒否できるという外交用語。
「こっちが大使に相応しくないと思ったら、拒否できる権利だな」
「ということは、相手の見極めが必要だの」
「いきなり来られても困るから、俺が向こうに行く必要があるな」
トウマは、グリフォン島に背を向け、海の向こうをじっと見つめた。




