188.命はそこに
「ご主人様、こちらを」
ノインが、和装の袖口から巾着のような袋を取り出した。
「ああ、お供え物か」
「太陽に驚かされてしまいましたが、せっかくですので」
受け取ったトウマが袋の口を開けると、定番となったチョコレートクッキーが詰まっていた。
「チョコクッキーなのです! これは精霊様も、お喜びなのですよ~」
リリィが、ご機嫌に宙を飛ぶ。自分で食べられるわけでもないのに、この喜びよう。精霊アムルタートが大好きなのがよく分かる。
「シア」
「共犯者に任す」
この精霊殿を建てた上に、アムルタート王国の女王のほうがいいのではないか。
その配慮は無用と促され、トウマは精霊像の足下にチョコレートクッキーを捧げた。
「数々の助力に感謝している。ここを気に入ってくれたらうれしい」
素朴な感謝。精霊像がどう感じたかは分からないが、頭上に現れた太陽は変わらず輝いている。
「じゃあ、一旦戻ると――」
「にゃ~」
「クケー!」
「コケコッコー!」
「コココココ!」
そこに、ニャルヴィオンたちが近付いてくた。キャタピラとニワトリの鳴き声をさせながらだ。間違えるはずもない。
正面の入り口は、明らかに蒸気猫より小さい。しかし、頭が入ってしまえばあとはこちらのもの。そのまま、当たり前のように精霊殿へと入ってきた
キャタピラの部分はどう考えても縮みそうにないのだが、特に苦にした様子もない。
「にゃ~~~」
そして、二階席の部分共々大きく伸びをした。構造的に横にはなれないが、まるで日なたぼっこをする猫だ。
「ふむ。どうやらあの太陽に反応したようだの」
「そう言えば、今日はマテラもニャルヴィオンと一緒だったのです」
小さな太陽の側にいたリリィが落下して、ニャルヴィオンの二階席へと突っ込んでいく。
「マテラは、ニャルヴィオンの外に出たがっているのですよ!」
「ひなたぼっこしたいみたいですね。さすが、太陽神にあやかった名前だけのことはあります」
リリィの報告を耳にして、レイナは相好を崩した。
あの二枚貝と虹色のシャボン玉と泣いている白い赤ん坊の光景を目にしていると、今の穏やかに眠るマテラは健やかに育って欲しいと願わずにはいられない。
「それから、卵がぴかぴかって光っているのです!」
「そうか、卵が光って……卵が?」
「それを先に言わぬかっ」
影術を使用する暇もない。ミュリーシアが、トウマを横向きに抱き上げ――いわゆるお姫さまだっこの状態でニャルヴィオンへと飛んでいった。
「非常事態じゃなかったら、あとで文句言いますからね!」
「奥様、失礼いたします」
ノインも同じようにレイナを抱き上げて、ミュリーシアを追う。
「クケー!」
「コケコッコー!」
「コココココ!」
卵を安置しているニャルヴィオンの二階席に。全員が集合する。
そこで目にしたのは……。
「とりあえず、すぐに生まれるとかそういう状態ではなさそうか?」
「恐らくはのう……」
内部から白く発光する卵と、それを囲みながら鳴き声を上げる白と黒のマッスルースターたちの姿だった。
そこから視線を逸らさずに、トウマはミュリーシアの腕の中から出る。レイナも同じく、床を両足で踏みしめた。
「まるでっていうか、完全に妖しい儀式なんですけど……」
「邪悪な儀式であれば、マッスルースターたちが行うのではなく生贄として首を切られていたであろうの」
「コケ?」
マッスルースターは首を傾げ、聞こえなかったことにした。
「近付いても、いいだろうか?」
「クケー!」
黒いマッスルースターが、片手を上げて敬礼のようなポーズを取った。大丈夫なようだ。
「ありがとう」
許可を得たトウマが、ニャルヴィオンの二階席。その一番奥に安置されている巨大な卵へと近付いていく。
ミュリーシアたちは、その背中を見守っている。
「触らせてもらう」
断りを入れてから、トウマは巨大な卵に触れた。
明滅したまま、卵はそれを受け入れる。
「センパイ、どうですか?」
「ああ。暖かいな……」
死霊術師。負の生命力を操る存在だからこそ、逆に分かる。
これは、命の脈動だ。
生きている。
間違いなく、この卵は生きている。
生まれようとする意思がある。
「しかし、不思議な感覚だな……」
「もしかすると、魔力の鼓動かもしれぬな」
魔力異常によって生まれるのが、モンスター。
一方、幻獣や霊獣と呼ばれる存在は莫大ではあるが正常な魔力から生まれる。
「そうなると、幻獣とか魔獣の一種なんだろうな」
トウマが卵から手を離し、ミュリーシアたちの下へ戻っていく。
「この島の形からして、グリフォンが生まれるとかですかね?」
「グリフォンにしては、卵が大きすぎるかと」
「ああ、そういう話でしたよね」
ルフ、フェニックス。タラスクス、それに真竜が候補だった。
「なんにせよ、無事生まれてきてくれたらそれでいい」
「まるで父親じゃの」
閉じたままの黒い羽毛扇で、ミュリーシアが脇腹をぐりぐりと押す。
トウマは為すがままで、レッドボーダーのゆりかごで外に出て光を浴びるマテラを見つめていた。
「これ、どう考えても偶然じゃないよな?」
「ただの明かりではないのは、間違いないであろうな」
「俺の認識は甘かった」
羽毛扇を引き、ミュリーシアがぱっと開いた。
ガラスのない窓から燦々と降り注ぐ明かりが、巨大な卵を照らしている。
それによって引き起こされたと思しき、まるで脈動するような卵の明滅。
「促進と申しましても、今すぐにというわけではないようでございますが……」
「それくらい強力だったら、俺と玲那も目に見えて老化しそうだな」
「そこは成長でいいと思うんですけど!?」
「同じことだろう」
猛抗議を受けても、トウマの表情はぴくりとも動かない。
「ともあれ、ニャルヴィオンはしばらく精霊殿にいてもらうとしようか」
「そうだの。出かけたければ、一旦精霊像の横にでも卵を出しても良かろう」
「クケー!」
大丈夫なようだ。
「進展があって良かったですね。少なくとも、ちゃんと生きてることがはっきりしましたし」
「ああ。それは、本当に良かった」
なにが生まれるかは最後まで分からないだろうが、間違いなく大きな収穫だ。
「ということは、あの太陽には成長を促進するような効果があるのか?」
「そういうことになりそうだの」
「やけに自信ありげだな」
「センパイ、あっちを見てください」
レイナに肩を叩かれ、指さす方向を見る。
咲いていた。
白い花が咲いていた。
比喩ではなく、先ほどレイナが生やした壁の植物が大輪の花をつけていた。
「玲那がやったんじゃないよな?」
「違いますよ」
「そういう品種だということも……」
「違いますよ。ただの植物です。空気を綺麗にしてくれたりするぐらいの力しかありません」
「……ないか」
つまり、外界からの働きかけの結果だということだ。
「なにやら香しい匂いがするの」
「甘い匂いでございます」
「……甘いということは、食べられるということなのです!」
拳を突き上げるリリィを、トウマがじっと見つめる。
「ああ、そうか。これは……」
「センパイ、そんな真剣な顔をして。本当に、花を食べたりしなくて良いんですよ?」
「食べる気はない」
ガソリンも、甘いという。甘ければ食べられるという認識は早急に捨ててもらいたいが、今はそうではない。
「共犯者、如何した?」
「ヘンリーとのリンクがつながった」
「ほう。戻ってきたか」
水の都デルヴェへカティアを送り、ネイアードたちを連れてくる予定のヘンリーとワールウィンド号。
どうやら、無事に戻ってきたようだった。
「スケルトンシャークからも報告が来た。もうすぐ近くまで来ているみたいだな」
「あの幽霊船、相当足が速いですもんね」
「ご主人様、どうか出迎えを。マテラたちの面倒は私めにお任せください」
「ああ、そうだな」
トウマが感謝しつつ首肯した。
それから、皆の顔を見回す。
「うむ。妾も行かねば始まるまい」
「もちろん、あたしも行きますよ」
「リリィもなのです!」
ヘンリーやネイアードとの再会。
別れていた間に起こったことを、語り合う。
それを、誰もが楽しみにしていた。




