184.ミュリーシアの過去
「隠していたわけではないがの、聞いても気持ちの良い話ではないぞ?」
「俺たちのことは気にせず、話したいかどうかだけを考えてくれ」
「将来的に、“魔族”とも付き合うわけじゃないですか。そのときの、参考資料になりますよ」
しとしとと、雨の降る朝。
ミュリーシア、トウマ、レイナが円卓の間に集まり、探るような視線を向けあっていた。
「ただいまなのですよ~」
そこに、微妙な空気を破壊する弾丸。リリィが、壁を透過して飛び込んできた。
「雨が降ってる中で、踊るのは楽しかったのです……。って、どうかしたのです?」
勢いで円卓の上まで飛んで、その場でこてんっと首を傾げる。すみれ色の瞳には、困惑が浮かんでいた。
「いや、なに。妾たちが抱える悩みなど、些細なことだと思うただけよ」
「よく分からないですけど、ミュリーシアもお外で踊るですか?」
「遠慮しておこう。代わりに、話があるゆえな。退屈かもしれぬが、リリィも聞いてゆくが良い」
「そうするのです!」
リリィがとんぼを切って、レイナの腕の中にすっぽりと収まった。
「どうせなら、ノインも呼ぶが良い」
「いいのか?」
「共犯者たちには話して、ノインだけ駄目ということはあるまいよ」
トウマは石の椅子から立ち上がり、厨房にいるノインを呼びに行った。ついでに、このところ定番となりつつあるハーブティーにクッキーも準備をしてもらう。
10分ほどで、円卓の間に全員が揃った。マテラも、レッドボーダーのゆりかごで眠ってぷかぷかと浮いている。
「謹んで、拝聴させていただきます」
このときばかりは、トウマの後ろに控えるのではなく石の椅子に座って膝の上で拳を握るノイン。真面目に、聞く態勢に入った。
「うむ。もう少し、ゆるりと聞いて良いのだがの……」
ミュリーシアが苦笑を浮かべて、それでも美しさは損なわれず。
「まず、これは前提なのじゃが……」
ハーブティの香りだけ楽しんでから、なんでもないことのように告げる。
「妾はドラクルの姫ではあるが、純血のドラクルというわけではない」
「……いきなりぶっ込んできましたね」
「インパクトが大事だからの」
レイナが、ぎこちない笑顔を浮かべた。だが、トウマとしては助かったと言える。
そのリアクションがなかったら、雰囲気に飲まれてしまうところだった。
「……ということは、父親か母親がドラクルじゃなかった?」
「うむ。妾の母は、人間であった。もっとも、転化の儀式を経てドラクルにはなったがの」
「血を吸って吸血鬼にしちゃったって感じですか?」
「複雑な儀式が必要ではあるのだが、概ね間違ってはおらぬ」
その辺りは、地球の伝承で語られる吸血鬼とあまり変わりがない。
そのため、トウマとレイナもすんなりと受け入れられた。もちろん、今までのミュリーシアとの日々があってこそだが。
「シアの父親のことだから、ちゃんと同意の上で進めたんだろう? なら、俺たちがなにか言うようなことではないな」
「そうですね。そこは大丈夫でしょう」
「困難に立ち向かう決意をされた上でのことでございましょう。僭越ながら、大変勇気のある行いだったと」
「よく分からないですけど、幸せなら問題ないのです!」
ミュリーシアは、黒い羽毛扇で口元を隠した。
赤い瞳を閉じ、しばし雨音に身を委ねる。
「なにやら、言わせたようで背中がむずがゆいの」
「まったくですよ」
赤と緑がかった瞳が交差し、ミュリーシアとレイナが苦笑を浮かべた。
通じ合っているようで、トウマとしてもうれしかった。
「二人の間に問題がなかったとしても、妾の立場はいささか微妙での」
「それは、想像の範疇だな。残念なことに」
「表立っては言われぬが、公然の秘密というやつだの。なにしろ、人と“魔族”の混血はクロスブラッドと呼ばれる。はっきり言えば、鼻つまみ者じゃからの」
「敵同士だからか……」
敵の血が入った子供が、将来自分たちの上に立つかもしれない。
道徳や倫理は別にして、本能的に忌避する輩は多いだろう。それは、簡単に想像できた
「それでも、両親が健在なうちは良かったのだがの。光輝教会との争いで二人とも戦死した……のじゃが、背後から一刺しされたのかもしれぬな。そこは、戦場の霧に包まれよく分からぬ」
「……味方から……か」
「そこから先は、射抜かれた鷹のようなものよ。叔父がドラクルの王となり、妾の側近は排除され、一族から追放されたと」
あらかじめ、準備していたかのように。スムーズで、混乱は最小限だったとミュリーシアは笑う。
「ミュリーシアなら、ばーんと叩いてごめんなさいって言わせられたんじゃないのです?」
「それで死者が蘇るわけでもないしの。それに、無関係だった一族も巻き込むことになるからのう」
「復讐の連鎖を、一気に断ち切ったんだな」
「別に、そんなつもりはなかったがの」
ミュリーシアが、口元を黒い羽毛扇で覆った。トウマを見つめる瞳は、優しい。
「あとは知っての通りよ。殺すのも憚られてモルゴールへ送られ……共犯者と出会ったわけじゃな」
「全然そんな様子なかったですけど、苦労してたんですね」
「そうかもしれぬのう」
話し終えた安堵感からか、ミュリーシアは自ら削り出した石のカップを指先でつまんだ。
今度は、香りだけでなく味も楽しむ。
「ほっとする味だの」
「気に入っていただき、うれしく思います」
石のカップが、音もなく戻された。
それを待っていたかのように、リリィがレイナの腕の中から飛び出していく。
誰にも、止められない。
それも無理はなかった。
「ミュリーシア、いい子いい子なのですよ~」
まさか、リリィがミュリーシアの頭を撫でるなど。誰が予想できただろう。
「……これは妾どうすれば良いのじゃ?」
「大人しく、撫でられたらどうです?」
「共犯者……」
「俺も玲那に賛成だ」
ノインは、そっと目を伏せた。
「まあ、聞けて良かったとは思いますよ」
「そうだな。これで別になにが変わるわけでもないが」
「こうして詳らかになっていくと……あれですね。あんまり、まともな状態でこの国に来てる人がいませんね」
トウマとレイナは、光輝教会に召喚されたあと利用されて。
ノインは、スチームバロンの制御装置として無理やり組み込まれて。
リリィたちに至っては、村が全滅した後に未練を残してゴーストになっていた。
「良いではないか。それでこそ、アムルタート王国であろう?」
「そうだ……な」
「共犯者、なにやら難しい顔をしておるの」
「この微妙な違いが分かるようになるとは、やりますねミュリーシア」
トウマは聞き流し、ハーブティを味わった。この間も、ミュリーシアはリリィに撫でられたままだ。
「俺とシアの間に子供ができた場合は、クロスブラッド――光輝教会からも“魔族”からも迫害対象になるというわけか……」
「そこ、ちゃんと頭に『例えば』って付けてください! 余計な誤解を招くだけですからね!」
「あ、ああ。すまない」
鋭い声に険のある瞳を見開き、それでもトウマはうなずいた。
「それなら、俺とミッドランズの人間に子供ができた場合はどうなるのかと思ってな」
「それは普通にありなんじゃないですか? あくまで、思考実験としてですけど」
実際に、そんなことになったらどうなるか。
笑顔なのに、笑っていない緑がかった瞳を見れば末路は明らかだ。
「でも、シア。勇者と聖女の子孫って、聞いたことあるか?」
「言われてみると、確かにないのう。ただ、勇者と聖女の存在自体が秘密のベールの向こうにあるゆえな」
「あ、案外、勇者と聖女がくっついてるだけなんじゃないですかね?」
「いつも、男女セットで呼ばれるんだろうか?」
それならそれで、気が合わない相手だった場合は大変なことになる。
「まあ、その辺は実際生まれてから。考えれば、いいんじゃないかって。あたしは、思いますけどね」
「はい。ご主人様のお子に、私めとの出会いを語る日々を楽しみにしております」
「お子か……」
特に奇異な発言というわけではない。この世界では、常識だろう。
だが、トウマの感覚ではまだまだ先の話だとしか思えない。
「現実感はないな」
「それはそうですよ。現実感があったら、予定があるってことになるじゃないですか」
「トウマの子供ということは、リリィの弟か妹になるです? それとも、リリィの子供? 孫なのです?」
ゴーストの少女が、ミュリーシアの頭を撫でながらあたふたと混乱していた。
「弟か妹でいいんじゃないか? というか、リリィの子供というのはどこから出てきたんだ」
「トウマの子供なら、リリィの子供も同然なのですよ?」
「一蓮托生という意味だろうか?」
トウマとの契約がなくては、リリィたちは理性のある状態で存在し得ない。
だが、それも違う気がした。
「子供は、村全体のものという価値観があるのかも知れぬな」
「ははあ、なるほど。そういうことなら、分からないでもないですね」
「それで、いつ生まれるのです?」
「は?」
納得しかけたところで、空気が固まった。静かな雨音だけが円卓の間に響く。
「トウマの子供が生まれるって、話だったのですよ?」
「違う」
ミュリーシアの頭から手を離したリリィの、つぶらな瞳から目を逸らす。
説明してくれと、トウマはミュリーシアへ視線を送る。
「いずれ、そのうち……の?」
「具体的に何時なのです? 明日なのです?」
「明日は無理ですよ!? 仕込みの時間を考えてください」
「仕込みとか言うんじゃない」
つい先ほどまで、深刻な話をしていたとは思えない惨状。
そんな中で、ノインは幼くも整った相貌に満足げな笑みを浮かべていた。
こうでなくては、と。
「そういえば、自動人形には子を為す機能があると聞いたことがあるのう」
と巻き込まれる直前まで。




